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TPP交渉の必要性はグローバル化か

必要なのだろうか。

個々の国々が、いろいろな事情を抱えている。

発展途上の国々、発展の行き詰まりを無視できない国々、そして縮小へとまっしぐらに走らざるを得ない国々など、いろいろである。

そういう中で、おれたちの国家がこれからの世界の覇者になるのだと、これまでの歴史と同じように強国を目指す秘密路線を隠そうともしない国家もある。

力づくで強さを示そうと躍起になっても、それは逆に社会の脆弱さを暴露しているような国家もある。

今日の世界は、どこへ向かうのか。小学生に問いかけてみたらいいのではないか。みんな口をそろえて、仲良くしてともに働く社会だというのではないか。

いろいろな事情を抱えてはいても、それはこの世の中がどんどんと一体化しているという途上では同じなのだ。状況がよくなっているところも、逆のところも、それぞれが互いに助け合い支えあうことで、全体としての経済が成立するのだ。

一つ一つの国家の文化や主権はもちろん大事であるものの、そこにもう一つ地域社会としてのかかわりがなくてなんの地域国際社会だといえようか。

相手をけなす文化もあるだろう。そして、力を誇示したい時代もあるだろう。だが、そこには何百年も何千年も培ってきたこの世界の文化や伝統があるはずなのだ。

無法社会という体のいい表現は、無責任なものだ。

烏合の衆ではなくて、それぞれが私たちであり、あなたたちであり、あの人たちであり、彼ら彼女たちなのだ。

大衆は烏合の衆ではなく、それぞれが個性をもった国家の民なのだ。そこで働くちからはみんなと同じだが、それぞれが生き生きとした活力をもっているのだ。

そういう力をこそ、私たちはこれからの地域経済社会で実現していかなけらばならない。一国集中の権力だけを覇者として臨む政策は、無駄なのだと私は考えている。

みんなと協力してやってきた、力をひそかに蓄えて、技術や科学を手にして、他を引き離してやっつけるというシナリオは、だれしもが子供のころに描いて頭のなかで反省したことでもある。

それを現実に夢見る大国主義の国家はどこまで枠を拡大すれば気が済むというのだろうか。

TPP交渉の成功は、そういう世界の幼児帰りに警鐘を鳴らしているはずだ。

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