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核爆弾開発プロジェクト

終戦間際に行われていたプロジェクト。

もちろん秘密だった。

だが、そこに従事するひとたちについては、ほとんど情報がない。

核爆弾が自然に出てくるわけもない。

開発者がいて、それを推進する予算があっての結果だ。

多くの人々がかかわっているのだ。

科学者の力と、爆弾製造のための技術者の姿が目に浮かぶようだ。

なんのために、戦争を終わらせるためにとはよく言われることだ。国を守るため、兵を死から救うためなど、いろいろ言われる。

犠牲者はどうだ。敵国の民はどうでもいいということだろうか。

味方からみれば敵だが、敵からみればやはり敵だ。

単なる爆弾投下の犠牲だけではない。

開発下での被爆者もいる。プルトニューム抽出のプロセスでの犠牲者はどうだったのか。

爆弾の投下とか爆発テストでの被ばくはビキニなどいろいろある。

機密事項。心身への影響を知らされることなく労働者として関与していたひとたちがほとんだだったようだ。

知らない方がいい。そんな方針だったらしい。

戦はいのちの奪い合いという。

そこにはまってしまうと、もう終わりだろうか、ひととしての生き方はできないのではないか。それでも、仕事だということで許されるのだろうか。

いろいろな難しい問題があるものの、やはり今は軍事と平和利用のいずれにおいてもその必要性や、妥当性、人道性など、見直しをする時期ではないのか。

それとも、100億年後の地球崩壊にむけて、他の惑星移住とか、その過程での異星人の敵との戦闘に備える新たな武器の開発に不可欠だというのだろうか。わからない。

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