簡潔に分かり易く書く
文章とは難しいもの。作文は得意でしたか。小学校のことだ。
決してそんなことはなかった。かけっこと同じぐらいの気持ちだった。走るのはだめだった。それと同じ程度ならば、もちろんだ。だめなのだ。でも、作文ができあがるとなにかこんなに白い部分を埋め尽くせたのかと自慢げでもあった。
長い文章を書く。これは夢のようなことだった。長い距離をはしるなんて、無理なことだとあきらめていたのによく似ている。
走るなら短距離だろう。だって、理由はいわない。
文章も同じか。いやこれはちょっと違う。適切な文章とはなにか。意思をいかにてきぱきと伝えられるかだろうか。そうすると、どんどんと長くなるのだ。終わらないのだ。つまり、この文句が、つまり、このつまりがなんともじゃん回も繰り返されることになってしまうのだ。
これではらちが明かない。
それでどうする。あきらめる。どうせだめだ。長い距離を走られないのと同じだ。短距離ならばとも思うが、これはこれでだめなのだ。なぜって決まっているでしょう。遅いんだ。みんな早いから、走れてもなんだろうか。50mが30秒なんてことはないかもしれないが、もしそうならなおさら望みなしだ。はかりはしない。どうせ遅いからだ。
できることをやろう。
簡潔ならいいではないか。わかるように書ければいいじゃないか。
走るのもできないなら歩けばいい。何のために、自分のために。つまり健康のためにとなろうか。他者のためでもある。健やかにいきることは大事だ。自分にも、周りにもだ。
競い合うのは嫌いだ。なぜって順番がついちゃうじゃないか。いつもびりなのはわかっている。だから、そうしない。びりでいい。いつからか、ずっとそう思っている自分がいる。
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