ひとは矛盾を嫌うらしい・・・
言文一致。矛盾があると、疑念をもたれる。
不倫。道徳的にはだめのはずだ。
分化だといったものもいた。
個人の問題ともいっている。もっともだとも思う。
でも、まだまだ、女のくせにとか、あんな田舎者のくせにとか、差別が理性と関係なく社会に蔓延している。
理論がある。今日の大新聞の一つにあったのだが、「認知的不協和理論」というらしい。
実はこれが、矛盾を嫌うという心理らしいのだ。それで・・・。
それで、この理論を使ってみてはどうだろうか。
あまりに立場にこだわっていた日本の野党勢力という現実を認めていくと、どうなる。
本当の問題はなんだったのか。
なんか野党の中心人物は元与党の人たちだってことに気づく。
なるほど、保守陣営が政権奪取のために分裂して生まれたのだった。
それが野党のリベラル勢力とくっついてできていた野党第一党だったのだ。
なんだ、そんなことか。
社会の一大問題はなんだ。政治の大問題はなんだ。
国家財政の再建だろう。その根源は国家予算の債務負担が大きすぎることにある。
財政破綻が現実になろうとしている。だが、目先の選挙で振り向けるには、不利でしかない。そこでニンジンに化けさせてごまかす。
これでは矛盾だらけではないか。
社会の、国家の、国民の大問題を見誤っているのだ。
問題解決が、選挙での当選に置き換えられているのだ。
これでは、国民の選挙における行動が見透かされているようで、認知的不協和に陥るようだ。矛盾だろう。そうでなくして矛盾といえるものがあろうか。
やはり直に率直に認めるべきだ。
健全な国家財政を築くということに専念する政策を実施すると説くべきだ。
そこに同意する民は多いはずだ。
脅威に惑わされ、あたふたと戦争にひた走り、子孫の未来を暗雲で包むかのような仕打ちはとて同調できるものではない。
ぜひもう一度、矛盾を是正して正しい選択の説明をしてほしいものだ。
主張がいかにも、遠回りで弱い。もっと力強く主張できる政策にしていかねばと思うのだが、どうか。どっちもどっちだ。
ひとつ、共産党が党名を変更する機会だという記事を目にした。
この辺で本来の野党というまとまりになれば、それは日本の未来が明るいことを示すことでもある。与党というのは保守だったり、リベラルだったりしないと意味がない。
人間はそんなに進歩するものではない。でも、だんだんと本質は見えてくる。
それは、こどもたちの未来という目標にかんがみてどうするか・・・にある。
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