大相撲おごりか・・・
極度の緊張感から解放されたための結果だろうか。
品位が、品格が求められるのは、スポーツ人としての誇りであると、私は思う。
そこに自己管理がある。
確かに先場所の成績での挽回劇は、すごかった。
トップの地位にあるものとして、精神面での強さを見せることができた。
これは称賛以外の何物でもない。
だが、そこにおごりがあったのか。
心の隙間になにが入り込んだのだろうか。
凡人の私たちにはわからない部分かもしれない。
横綱が一人の期間が長かった関取もいる。
たしかにいろいろと批判されたりした。そこに横綱としての重責を担う覚悟があった。
緊張から解放されて宙に浮くような気持ちだったのかもしれない。
先駆者としての規範を示すという気概だったのかもしれない。
だが、土俵をはなれればみんな一人の人間である。
そこにはいろいろな努力の結果があるはずだ。
トップにないひととか、途中で落伍してしまう関取も、みんなそれぞれの才能の中で必死に努力した結果なのだと、私は考えている。
やはり他者との比較ではない。
こころの成長は、常におなじところで保持されるものではなく、常に揺れ動いている。
だが、そこに上限とか下限とか、通常のひととしての生活の枠もある。
責務をみんながもっている。ひととしての責任である。
それは、法律を守るという義務以上に厳しいものだと思う。
規律正しい考え方が、全体に流れているものと、信じたい。
過ちだったと・・・。
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