不快を体験してみた・・・
職場のいじめはどうなのか。
2012年の厚労省の円卓会議で6つの指針がでている。
攻撃、切り離し、要求、侵害の中で、攻撃には身体的なものと、精神的なものがある。そして要求にも過剰なものと過少なものがある。切り離しは人間関係だ。そして侵害は個への侵害だ。
この6つは、巧妙だ。そういう中で今まで不快に感じていたことが、この指針に合致する。
あんたのためにやっているんだといういじめに似た叱責とか励ましも、連日同じことをいわれたり、職制でいろいろなひとに言われるとトラウマになる。不快だ。そう思った。
時に、目先を変えるように、よくできたねなんていう。これも感情を揺さぶるための布石だったりする。つまり、揺れ幅を大きくすることで、怒らせたりいらだたせたりするのだ。
取引だっていえばそうだろうが、職場は戦場でもあるし、いのちをかけていることも多い。
仕事ってそれだけ価値がある。
それを、パワハラでごまかす。なんでできない、もっとがんばれという。問題とひとを、いや問題をひとに被せている。お前ができないのが悪い。お前なんかが存在していること自体が問題だというような錯覚に陥れようとしているのかと、戸惑う。
こういう感情は体験し、その中で葛藤しないとわからない。
そのための窓口を組織は提供しているという。
でも、大体はグルだ。いや、そんな職場の風習がどうのこうのなんていうのがおかしいという空気だろうか。
相談は、評価に直結したりする。なんだあいつとか、あのやろうとかいう言葉が上司や上層部からでたりする。
内部告発も同じような心理に注目すれば、所詮、机上の空論だろうか。
パワハラ告発も、そういう机上の空論でいいのか。
これは体験してみることだ。
ちっちゃなことが、大きなことにつながっているのだ。同じメカにニズムで動いている。
そこにみんなで気づこうではないか。
不快を体験してみた。
葛藤した。動揺した。こころがどうにも浮ついてしまった。
現実とは、そういうことなんだ・・・。
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