時代の幅をどうするか
今の時代とよくいう。
だが、時代遅れと時代の先走りと両方ある。
まだかよ・・・。もうそんなかよ・・・。
この二つがある。
そして、中庸がある。富士山に例えれば、号目とつくのは中庸の証だろうか。
まだかよというのは、駿河湾の海底あたりでタカアシガニとすったもんだしているのではないかというイメージか。
もうそんなかよというのはどうか。それは、ようやく一合目当たりで、頂上についているひとたちをみて思うことのような気がする。
幅をどうみるか。
そこが問題だ。どっちもいずれかをみてみようという気もない場合ばおおいようだ。
私は私という感じで、時代の流れを認めようとしない。いつも、今の若い奴らはなんだという見下ろしの態度でしかない。
そんなには変化してはいないのに、そこにデバイドを感じてしまうのはなぜか。
今を生きるには、しっかりとした時代の流れを読み取るちからが大切だ。
その秘訣は、謙虚さではないかと私は考えている。
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