あきらめる
あきらめる文化。
ケセラセラとうたう。
そしてなるようになるさという。
おわらいものでいいと我をののしる。
どうせ俺なんかと、他人にいう。
どうせ俺なんか、いてもいなくてもいないのと同じだ。
わけがわからない。
あきらめようか。
そんなことはないと、それでも俺はいわれるだろう。
でも、あきらめられない。
どうする。
復活、回復、復帰。
こんな言葉がでてくる。
でも、どんなもんだろうか。
やはり別の原因がある。
そうだ。
きっとそうだ。
世の中様々だ。一様ではない。あったりまえだ。
あきらめるのにもいろいろある。
だから、どういう類のあきらめを選ぶかが残っている。
どうする。
あきらめるのをあきらめるという選択肢はどうだ。
これが私のオファーだ。
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