あるものを使う
今あるもので生きる。
それしかないのが実態なのだが、今はそうではない。
おかしなことにお金がなければ借りることができる。
もちろん、ルールがあるのでそれを破れば疎外される。
バツを受ける。罪になる。様々な負の影響を受けるから、そうはならない。
あるものがもしもゼロならば、つかえないことになる。
どうする。
ひとの善意を使うという手がある。
それは偽善だとか言われるはずだ。
でも仕方がないのは分かるだろう。
病気をしたら、お医者さんにすべてをゆだねることしかない。
その治療の代償としてお金を渡す。
でも、お金がなければ、どうする。
日々の暮らしにはお金がいる。
土地があれば、耕して作物を植えて食料にすることもできる。
でも、種子が買えない。
盗めば罪になる。
だから、何もできないのが現実なのだ。
家もあれば、壊れる。賄いなどの設備も同じだ。
メンテナンスが必要だ。
機械は壊れるから更新する必要がある。
テレビだって機械だ。
洗濯機もそうだ。
なんでもかんでもそうなのだ。
世の中、いったいどうしたらいいのだろうか。
あるものといったら、私の場合、この身体とこころだけ、つまり自分自身だけだ。
答えはなんだ。それは決まっている自分自身があるのだから、それを使えとなる。
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