追いつめられてやることには最後の覚悟がある。
シナリオに従ってやることには、覚悟なんていらない。
その通りにやり抜けばいいだけのことだ。
お前らは考えなくていい・・・となる。
だれにでもできること、それは考えることではないのか。
それを否定される。
なんのためにだ。
それは、企業だったり、国家だったり、犯罪組織だったり、様々な形態がある。
シナリオには作ったひとの意思がある。
だから、そこを知らぬではちゃんとした目的は達成できない。
ただやればいいと言われれても、奴隷制度下でもない現代でだれが納得できはしない。
だから、説明し、注意深く観察して、時には近づいてよく様子や顔色をよく見て判断し、修正したり改善して、納得してもらうための、その説得作業があるのだ。
それがないとどうなる。
ただ、一方的に、カリスマ的だから、遺伝子の欲しいおとこのなかの男だとか言われてそんなことは関係ないのだ。
狂ったシナリオは、誠意ある誠実な民に理解できるわけもない。
企みの世界で情報を流し、騙し合い、騙される世界なんて、どうしてあるのか。
スパイ、諜報機関は、映画の中の話かと思えば、現実のもののようだ。
誤った情報や主観的なインフォメーションでは、現実は語れないようだ。
つい、ボスになびいた内容で伝える。忖度する。ありうるし、できないやつは途中でこぼれ落ちるだけだ。
そんな中で特異なものたちの集団が作られていく。
どこの世界でも同じだろう。
ちっちゃな企業だって、同様だ。
気になれば気になるらしい。
巨大企業でも大国であってもだ。
国連常任安保理なんていう世界の秩序をつかさどるメンバー国のリーダーは、どんな人物がなるのか。
おかしなものだ。みんななんかおかしい。ぶれている・・・。
そんな感じである。では、国連の事務総長という地球の国々の平安をまもるリーダーはどうだろうか。
しがらみのない力のない清廉潔白なひとが多い印象を受ける。
政治学者とか哲学的な思想を持つひとのようだ。
でも、ちからはない。
いつの時代も同じかもしれない。
道半ばで、その人生を閉じることになるのは、どんなひとでも同じだろう。
そこには貧富の差もなにもない。
あるのは今まであったいのちの有無のみの差だ。
ましてやウルガリヒとかは無関係なものだ。
豪華ヨット、超豪華ヨットとかどんどんとスーパーがなんどでもでてきてウルトラスーパーとか、超銀河的なんていう形容詞がつきそうな資産家が保有するものでも、そこにはひとが作ったモノだから、朽ち果てるモノでしかない。
シナリオはあるのか。
ちゃんとしたエンディングまで用意されているのか。
監督が理解していない中身が秘密なシナリオではないのか。
つまり、破滅のシナリオというやつではないのか。
それは発狂したものだけしか書けないものではないか。
その先はないし、後戻りもない。
あるのは破滅のシナリオであり、宇宙の彼方から、何かが見つめているのかもしれない。
一億年のいのちを持つ生命体がいれば、ひとの五十年百年はほんの一瞬のいのちの輝きでしかない。
サクラの花びらの散るがごとしでも長すぎるのかもしれない。
そこにシナリオがあるというのがおかしいのかもしれない。
はやく、それでも、戦はやめて話しあいで片づけるべきだ。いずれそうするならば、そのシナリオは普遍なものだと知るべきだ。
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