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2022年5月

島嶼国

島国という特殊な国家が数多くある。

今、問題となってニュースに出てくる南太平洋の島嶼国群は、結構結束が固いし、その歴史を持っている。

我が国はマグロやカツオなどの入漁交渉で協定を結んでいる。

もちろん、同じことが、カリブ海の島嶼国でも数十年来、続いている。

そして、有名なスリランカの件がある。

中国との関わりは、相手国経済に利をもたらさないという評判がずっとあり、スリランカのケースは今、まさに正念場となっている。

教訓をいかにして活用するか、同じ穴のムジナにはならないことだ。

世界では大国であろうと、小国であろうと、島国であろうと、大陸の中の山岳国であろうと、一国という独立した単位なのだ。

そこを序列をかってにきめて、従属しているような気配で畳み込んでいるような感がある。

許せないことだ。

イエスとしか言えないカントリーでは国家のリスクが増すばかりであろうか。

若さ

老人は、いつまでも若いと思っていられるだろうか。

こころは20代という。

それは、すでにわが身の老化を認識している心境だと、私は思う。

なぜならば、若さというエネルギーが若者とくらべる劣っているからだろう。

いつの間にか、そうなっている・・・。

どの辺まで、老いを感じないでいただろうか。

どこか痛いとかの不具合があっても、いずれ治るのだって自信をもっていた、なんらそのことに疑問を抱かなかったあたりだろうか。

出来るときに、やれることをしっかりとやり遂げる・・・、そんな基本的な心掛けが大事なようだと考えている。

でも、それもどのぐらいできていたか、やってきたのかと言えば、それはできることだけしかできないという答えになる。

グローバル化

小規模な地域の営みが、国際的な需要増加によって、グローバルになる。

ローカルなものが、どんどんと世界の人々の手にわたる。

物流がなにでなされているか。

海上輸送だ。

中でもコンテナ輸送がその大半を担っているようだ。

TEUもみんな知っている。

世界は小さく狭くなってしまっている。

でも、一度でも、そこにくさびが入るとどうなる。

世界は隔絶されてしまう。

狭いローカルでの充足は可能か。衣食住だ。

とくに食が問題だ。

自給自足という言葉が昔からあったのだと気づくひとはどのぐらいいるか。

たしかにすべて自分で賄うことができれば、煩わしさはなくなりそうだ。

それは無理だとみんな知っている。

だから、時には自然の中ですべてを忘れてグローバル化なんていう言葉から、遠く離れてみたいものだ。

人の暮らし

幸せに暮らす。

そのためにいろいろなことを自分でできるようになりたいと考える。

なかなかうまくはいかない。

失敗する、うまくなりかける、当たり前になる、慣れてしまう。

こうなると興味を失う。

隣の芝生が青く見えることもある。

なんで俺はうまくいかないのか・・・、と嘆く。

まあ、いいや・・・、と無理やり納得する。

ひとの暮らしは、そんなこんなの繰り返しではないだろうか。

一番、面白いのは、いつまでも上達しないことではないか。

現実はすべて正しい

このテーマには、異論があるだろう。

だが、ほんとうは正しい。

それは、現実とは何かと考えれば分かるのだ。

現在の実態とは、あるがままのことだ。それは、客観的な事実の積み重ねである。

無理なものは無理だし、難しいものは難しい、かといって易しいことは難しくないということではないのだ。

自分でやるべきことは、すべてかなり難しいのだ。

安易にできることなってなにもない。

日々の普段の当たり前の暮らしにしても、様々な要因が絡み合っている。

結果としての現実なのだ。

長期にわたって観察する。

そこに現実の正しさが現れている・・・。

夏の訪れ

夏は来ぬ。

春、夏、秋、冬は、季節変化のない南国の熱帯地域の人たちにとっては、羨ましいらしい。

四季の移り変わりは、日本で生まれ住む者にとっては、当たり前のことだが、どうも羨望の的らしいのだ。

ある外国の訪問先で、タクシーの運転手さんが、もしも日本にいけたら寝ることなんてもったいないからずっと見て回る・・・とか言っていたのだ。

そんなに価値のある今の日本の自然と四季を誇りに思う。

夏の訪れは、熱い夏がまたやってくる・・・というイメージの方が大きい。でも、私は夏の熱い日々が嫌いではない。

理由は、北国で育ったからだ。

地域奉仕活動

三保の松原の松林の清掃活動があった。

朝8時半から10時までの予定だった。

草刈り機でやった後の清掃だった。

世界遺産の関係でコロナ禍でも休日にはかなりの訪問者がある。

環境活動は、どこの地域でも大切なボランティア活動になっている。

高齢化が進む中、世代交代のひとたちの参加が少しずつあるのが分かる。

中には小学生の子どもを奉仕活動に一緒になって参加している人もいた。

なによりも頼もしい。

地域の奉仕活動は、付き合いの少なくなっている現在の状況下では、とても大切だ。

とくに防災の観点での活動が停滞している今は、ほんとうに大切だと思う。

対価

得たものに対して支払うべき価値だ。

そのためには獲得したものに価値があるのが条件だろう。

無価値の価値なんて言い方もある。

なにもないことに価値があるというひともいるかもしれない。

無とは、一番獲得するのが難しい商品だと、あるひとに聞いたことがある。

無の対価は、最大の価値がある・・・。(ほんとかな?)

ダボス会議

世界の賢人の声を集める・・・というのが主旨だと理解している。

しかし、世の中が混乱して対立している時には、井戸端会議と同じになるのではないかと、私は今朝、初めて感じた。

つまり、自分の意見や主張を繰り返すだけになる。

どこにも、集約しようという熱意が感じられない・・・(気がする)のだ。

中身は同じなのだ。

これが、いくら世界の賢人たち(そう言われているだけかな)を集めても、その声はどこにでもあるものと同じだ・・・となる根拠だ。

ないよりはいい。これが、結論か。

だれも説得できない、だれも仲介できない、そんなところでのダボスの提言はどうなるか。

ここからの教訓があるってことかな・・・。

 

人の命と海難事故

海の上にいる。

陸とはちがう。

天気の移り変わりがちがう。

荒波の影響で木の葉が揺れる。

海上では船の大きさと耐候性が要る。

木の葉の上のアリは、船酔いをする。

大きな船は、普通のうねりや波浪ではびくともしない。

でも、小さな舟はすぐにひっくり返るもする。

浮体は水密性が肝心だ。

海の怖さは、海の上に出るひとの心理に現れる。

だから、穏やかな海の姿はひとに感動を運んだりもする。

人生の成功者

果たして、いるのだろうか。

私は、人生の成功者であると言えるひとがどのぐらいいるのか。

その判定基準はどうか。

あるのだろうか。

いや、そんなものはない。

だから、自分で作るのだ。

他者の人生の評価は、他人にはできないし、必要もない。

おのれの評価ではどうかだけが問題なのだ。

 

表現する

形のないものをどう表すか。

例えば、こころをどういえば、一番わかりやすいか。

なんだひとの心とはなんだ。

この疑問に答えるのだ。

できるかな。

むずかしい。

だって、かたちをどうする、いろはなにか、おおきさは、かたさは・・・、などなど様々ある。

しかし、もともと形のないものなのだから、どんな表現でも合うはずだ。

ただ、聞いた相手がうなづくかどうかだ。

そこが問題だ。

 

夏の気配

いつも夏は知らぬうちに始まってしまう。

そうかと思うと、いつの間にか秋に移り、ああ、冬かという声で終わったのか・・・、となる。

夏になったらああしよう、こうしようとか考えていたものが、ああ、終わりか・・・となるのだ。

だから、夏の気配をなんとか感じようと努力している。

夢の傾向を観察する

どうもこの頃、うなされている。

どうしても、夢の中のできごとがうまく運ばないのだ。

いつも失敗する。

どうせ夢の中だっていう意識もないのだ。

やっぱりだめだったのか・・・、となる。

はっとして目覚める。

夢なのだと自覚する。

でも、かなり切ない夢だとなると、気が重くなる。

だから、夢の傾向でその時々の調子が少しわかる気がする。

無心でいる

無心なんてありえない。

やはり何かを考えているはずだ。

ハイ、君、感想を発表してね。

黙る・・・・。

なぜ、黙っているのですか。

何もいうことがない・・・、黙る。

そんなことはないでしょう。だれだって、いつでもどこでも心の中になにかを感じているのですよ。

黙る・・・。

そして思う。何もないことはあるのだ・・・。なら、そういえばいい。

ハイ、何も感じないので、感想はありません。

・・・、・・・。

だから、無心なんてないと私は考えている。

忘れること

いやなこともそうでないこともみんな忘れる。

新しく出直すには、ゼロになることだ。

すべてを失ったら、どうするだろうと想像しよう。

なにもなければ、それから始まるだけだ。

過去はなんにもならない、もうないのだから、つまりゼロだ。

そうならば、なにができるか。忘れてしまう。

そこがスタート地点だと決める・・・。

忘れられれば、そんなことができる。

大相撲

優勝はだれか。

やはり横綱だろうか。

強い照ノ富士が健在なのは頼もしい限りだ。

怪物のもうひとりの逸ノ城関は、どうしたか。

小兵力士の台頭も頼もしい。

昔は170ぐらいでは、無理と言われていたから、貴景勝関や若隆景関、その他小兵力士の奮闘は大相撲の醍醐味を新たに創出したかのようだ。

乱流を制御する

乱流を整流にするのではない。

乱流はそのまま何かの役に立つ。

だから、再現する。

まったく同じ現象をいつでもどこでも作り出せるようにする。

気象を制御するという効果は絶大だろう。

同様に、乱心を制御することもできるのではないか。

頭の中の精神の気流はどんな風にしてコントロールしたらいいのか。

ナノの世界

外延的拡大よりも、これからは内面的な部分へと入っていくような気がするのだ。

現実の世界はどのぐらいの規模にあるのかは分かっている。

そこから外へと向かうケースと内へと入り込む場合がある。

ナノの世界は後者である。

そこで不可欠なのは全てがナノサイズのものである。

ちっちゃな1ミリ立法の中に世界の知能が入っているものをみんなが持っているなんていうことか。

歴史から数学、天文学、そして国際政治の過去と行く末も入っている。

それをあのひともこのひとも、もちろん私も持っていて自由に使っている。

どこかで戦争が起きそうだとなれば、それは全世界の人々の頭に入ってきて判断する。

だから、ヒトラーやプーチンのような人物が一人で問題を起こすことはない。

ナノの世界とはそんな効果を世界に引き出しそうな予感がする。

空っぽの頭を創る

どんなに理想的だろうか。

それは夢のような世界ではないのか。

もしも、空っぽの頭が手に入ったらあなたはどうしますか。

私は、もったいないのでそのままにしておきたい。

何もない頭の中は空っぽである。

それを証明するのは難しいだろう。

でも、そんな必要もないぐらいにすっからかんの空っぽなのだ。

きっと、ひととしては強く、やさしさに満ちているはずだと勝手に想像する。

空っぽの頭はどうやったらつくれるのか・・・。

面子にこだわる独裁者

この私によくも恥をかかせてくれたな・・・。

そんな憤りが見える気がする。

核のボタンを共有するという仕組みを担う二人を意のままに操る独裁者のようだ。

それではなんのための安全策なのか分からない。

そんな危うい仕組みでもって世界の破滅を防げると考えること自体がおかしいのだ。

砂上の楼閣に住む魔王のようなものか。

魔王が信じているだけであり、周りはその威嚇や恐怖に耐えきれないで震えているという構図のようだ。

だから薄っぺらい思想しか持たないことを周囲に知られない様にとふるまう。

面子が一番なのだ。

それしかないのだ。

そのためには世界の他の多くの人々が悲惨な目にあっても、ちっとも気にしはしないのだ。

辻褄を合わせようと、最後はいい人になるという欲望はからくも打ち砕かれるのだ。

そんな資格は、メンツにこだわるだけの独裁者にありはしないことをしってもらうしかない。

時代を生きる

戦争や紛争などの混乱の時代に生きるのは、生まれた時期に拠る。

いつ生まれるかなんて、だれにもわからない。

どこのだれになるのか、生まれ落ちた時の赤ん坊にとっての公共衛生などの状況なんてまして分かるものではない。

それでも影響を受ける。

弱いからだに生まれ落ちたら、とくに強く影響を受けてしまう。

成長して、社会が混乱していれば、当然、そこに巻き込まれる。

母国というものが弱体だったら、占領されて、支配下に置かれることもある。

逆もある。

だから、それぞれが本当にランダムにそういう個別の条件下へと差し向けられるということのようだ。

決して、自分で選択できる権利なんてありはしないようだ。

そんな中で、生まれ落ちた条件下で暮らしを維持し、もらったイノチを全うする。

それが時代を生きることだと、私は思う。

朝ドラ

大河ドラマ、朝ドラ、そして夜ドラというのもある。

NHKの番組が、他局の番組表の指標になっているような気もしてしまう。

そういえば、大晦日の紅白もある。それで、他局の番組がそこへ立ち向かうか、し好を変えるかの方針を決めているように見える。

でも、そんなことはないと関係者は否定するだろう。

当然のことだ。

アナウンサーという職業がある。

この頃は女子アナという特別な職業があるような感じだ。

一時のスチュアデスになりたいという女の子の夢やパイロットという男の子の夢を昔のものにしているのではないか。

時代は変わる、その典型かもしれない。

NHKという組織は、この日本では特別な気がする。

ジャーナリズムの世界だから、先進的先駆的なのは分かる。

それでも公共放送という枠組みにある。

旧国鉄や専売公社、郵政などは民営化されたが、なぜかNHKは温存されている。

それだけ情報部門、それも国政と密接に関係している公共放送故のことだろうか。

そんな時代もあったなというような時代の指標になるのは、朝ドラも同じだろうなと思う今日この頃である。

人間の可能性

生れた時に親たちからもらったものは、人間という生き物の機能をほとんどすべてに該当する。

歩く、しゃべる、食べる、走る、寝る、話す、ひとを愛する・・・など、盛りだくさんである。

そして、他の生き物がもっていないものが数多くある。

ほとんどは知能に含まれる部分だろうか。

私は一番うれしいのが、ひとは考えることができる機能を持っていることだと、思うのだ。

だって、自己認識なんて最高ではないか。

おれは誰かなんて自問自答する、そうできる機能が整っているのだ。

なんて幸せなことかと、感嘆する・・・。

貧困でも裕福でも、だれでもみんな死ぬ・・・、という機能もその一つだ。

機能はひとの細胞が担っている。

細胞は永遠の寿命の保持はその設計意図に含んでいないようだ。

だから、劣化する。ひとの全体機能の表現としては老化という。

みんな劣化し老化して最後が来る・・・、これは運命とか天命とかとも言われるようだ。

そして、途中での事故死や病死もある。

リスクは劣化や老化だけではないのだ。

そこにひとの機能の中で最大のすぐれた予想するというスペックが含まれる。

予想は、不安と期待で構成される。

近未来的には、リスクとか夢(目標)などと表現されるようだ。

ひとは、ついそういう自分の意識に反応してしまうようだ。

不安は、自死を招くことが多くあるし、期待は成功裏に終わることと共に、不成功という失敗の現実の二つがある。

だから、どう生きるかは、ひとの人間としての機能をその詳細な仕様を如何に把握して、社会的な生き物としての考え方と生き方にあると私は考えている。

マリウポリ

ウクライナに世界中が注目している。

世界の目が、数多く、見守る中でどんなことが起きているのか。

判官びいきというものがある。

グローバルな感情のようだ。

日本国内の義経びいきだけではないようだ。

逆に嫌われ者も必ずでる。

正義と悪という構図でみてしまう。

しかし、戦いは殺し合いでしかない。

陣地の奪い合い合戦なのだが、そこに軍人・兵隊がいて、攻防をかわすのだ。

なにかとてもかわいそうで仕方がない。

なぜ、戦うのか。どうしても、この言葉が出てくる。

そんなことをいまさらだれがどう説明できるっていうのかとなるのではないか。

みんな起きたこと、起こしたことに直接的な責任がないのだから・・・、ただ命令に従うという責任でやっているのが現実だろう。

守秘義務はもちろん、軍事的な命令には絶対服従だし、脱走すれば、重罰が課せられる身なのだ。

なにかやるせない・・・。

なぜだ・・・。なぜ、戦争をする。どうして、どこかのだれかがそんな命令ができるのか。

個々の国家から、集団安全保障へと移行すると、衝突の危険性は一時的には軽減される。

だが、平衡状態は必ず崩れるという前提に立てば、さらなら大規模な衝突に発展していくことは、目に見えている。

単純な経路の外交交渉だけではなく、人間心理に基づいたもっと複雑な関係性をしっかりと包含した国際的な体系をどうしても作り上げていかないといけないのだ。

チェスや将棋の応用は、国際政治の舞台で戦争を起こさない、ひとの命を大事にする(保証する)という基本に賛同できれば、可能ではないか。

だれにでも分かるそんな戦のない世界にむけた人類の知恵と工夫がでてこないのは、とてもおかしいと私は考えている。

みなさんはどう思うのか。とくに世界の賢人会議のメンバーに選出されるような人々は、世界の大きな期待を当たり前に受け止める度量を普通にもっている・・・、と私は思うのだが・・・(楽観過ぎるだろうか)。

海の生態

海につるした一本のロープから、いろいろな海の不思議が分かる。

こんなにも生き物がいる・・・って思うのだ。

ほんとに何もないような岸壁のすぐのところにそんな生態がある。

魚はいくら小さくてもそんな海の生態系の中で餌をたべて食物連鎖の一角を担っている。

このごろは本当にきれいな水質の海が当たり前になっている。

東京湾やその他の内湾と呼ばれる閉鎖水域は、一時、まっ茶色に濁って、船で走ると白い得体のしれない泡を出していたのだ。

信じられるだろうか。

難しいのではないか。

臭いもある。

製紙業や沿岸工業地帯はやり玉に挙がった。

環境衛生が重要視されてから久しいが、逆にきれいになり過ぎてプランクトンの発生する環境が悪化しているともいう。

やはり、自然環境はバランスが大事なのだ。

ハリケーンや台風などの嵐も、大海の攪乱によってその一翼を担っているのだ・・・。

晴天

久しぶりだなと思うのはなぜだろうか。

ほとんど天気の良い日が続いているのだが、数日、ほんの数日間雨天が続くと、いつもそう思うのだ。

雨が降らないと様残な不都合がある。

知ってはいるが、やはり青空がいいといつも思う。

 

相乗効果

だれもなにも努力しない。

そんな企業や組織はどうなるか。

存続できない。

逆ならば、相乗効果でどんどんと繁栄するに違いない。

どうやってその相乗りというものを演出していくのか。

もちろん、ひとには競い合うという負けじ魂があるから、それを活用する。

管理者の立場では利用する・・・ってことになる。

上手くいかないと、それはマイナスの効果となる。

なかなかうまくはいかないのが普通だから、幾度かの試行錯誤をスケジュールに組み込もう。

世界のリーダーたち

日本は遅れている。

間違いのない事実であろうか。

欧米では、女性のあらゆる分野への進出が特異なことではなくなっているのだ。

社会への貢献という意味では、男女の差別なくみんなの力が必要になる。

だが、現実はどうしても男尊女卑の思想が底辺に漂っている。

もちろん、ここ数十年ですっかり様変わりしてきている。

こんなことを言うと時代遅れになりそうだ。

けれども、やはり気になる。

遅れていいのだろうか。

今あるポテンシャルを日本として世界レベルにあげていくためには、自分たちの自己評価を高めていくことであろうか。

いまここにあるちからをどう結集していくかですべてが決まるのだ・・・。

生きる知恵

自分の力で生きたい。

そう思うひとはどのぐらいいるだろうか。

他力にすがっていいきる。これも一つのやり方ではある。

しかし、自分で生きるのは、もっとすがすがしくて楽しいはずだ。

どうしたら、よりよい人生が過ごせるのか。

ひとそれぞれではある。

では、あるものの、そこに何かが横たわっている。

ひとは欲張りである。私欲が強ければどうなるか。

それが弱ければ、どうなるか。

かならず対極がある。

プラスとマイナスのようなものがある。

それでバランスをとっていると言えないこともない。

そこをなおそうとすると、無理が生じる。

平均化、平準化で平等で公平な生き方ができるのだろうか。

社会はどうしてもちからによって制御される。

だから、そこにどう生きるかの知恵が要るのだと私はおもう。

Some level of birth rate

Japan will eventually cease to exist, unless birth rate to exceed the level which sees the future.

The world will eventually cease to exist, unless any kind of wars continue to cause human culture to be lost because of out-law minds among the leaders.

But no one can say population will decide the future. we need culture as a human-being.

民主主義とは

意見の対立があると、ああ面倒なって思う。

だが、これがないとどうなる。

俺の意見以外は、無駄だとされる社会になる。

独裁政治だ。

民主主義とは、多少面倒でも、大切なのだ。

犇めく

ひしめいている様子は、牛の大群か。

三つの牛の構成で、ひしめきが表現されている。

漢字は、ちょっと気になる部分が多い。

中には、とんと意味のわからぬものもある・・・。

そこが楽しい。

Retaliatory steps

If european country newly joins NATO, something unahappy things would happen.

Putin said or other diplomat chief said according to the press in the world.

Then it decided almost to join as soonest as possible, because the people are in danger from russia.

 

 

 

 

返し矢

この方法は、有用だ。

コミュニケーションの基本だ。

なぜならば、相手との対話で大事なのはことばの共有なのだ。

意味の伝わらない難しい言葉、専門用語で特殊なものを使うとどうなる。

たまたま同じ専門であれば、分かるかもしれない。

プロになると、その分野はごく限られたものになり易い。

だから、相手の話の矢をうまくつかう。

相手も同じ考えならば、こっちの言葉をうまく返してくる。

一二回の交流で意味の共有があるかどうかも分かる。

敵の砲弾も鉄砲の弾も新型かどうか、すぐに分かる。

 

非道

道にあらず。

邪道か。

極道か。

いろいろな道があるのだが、非道はそれを否定している。

それとはなんだろうか。

正道・・・だろうか。

計画して何も進まない会議

計画だけの会議、つまり話だけの集まりだ。

結果は望めないのだ。

時間をつぶして様々な計画だけを話し合う。

中身のない会議ってことか。

それとも、なんら根拠のある資料、情報を基にしていない空想だけの話し合いというようなものか。

そんな見かけだけの会議が、AIどうしの掛け合いでは普通になる・・・というのだ。

経済安全保障法

安保なのだが、経済の分野でのことらしい。

知的情報というと特許ということになる。

それらを保護する。

国家の経済のために保護する。

安全保障の重要な分野になる。

史実として、この日本も欧州の技術知識を学び、国家経済の発展の基礎とした。

だから、途上国諸国がなぜそうしないのかと不思議でもある。

そして、中にはその大きな人口資源をもとに、世界の知識、情報、技術を飲込んであっという間に世界経済を牛耳るまでの急成長した国がある。

小国でもその生命線として軍事力、武器の開発に集中しているところもある。

生き残りというと、やはり侵略されているか、侵害されているという状況なのだろう。

そこで一縷の望みとして戦闘能力の向上に全力をあげているのだ。

背水の陣だろうか。

なんのために、独裁者の保身のためだとしか見えない。

なぜならば、大衆庶民は貧困のさなかに追いやられているのだ。

ひとは収入がなければ生きていけない。

物乞いをするのにも勇気はいる。

誇りを捨てる勇気が少なくともいるのだ。

日本企業に自由な技術の発展を促すという方針を、経済の安全保障という立場から規制する・・・。

自由を束縛されて、もちろんそこを侵せば、法律だから罰せられる。

どこか方針や政策、立法の要となるものが欠けてはいないだろうかと不安が残るのは私だけだろうか。

諜報

これを英語ではintelligennceというようだ。

スパイとは知能を使うのでCIAという意味が分かる。

国家の情報を使って方針、政策を決める。

そこに知能が要るっていうことのようだ。

わが身として感じるちから

読書の効用は、現実を自分の身にふれながら感じる能力だという。

感受性というが、私はそれを面倒なものとしか感じなかった。

だから、読書もできないだめなやつだった。

今も変わらないが、すこしだけ飛ばし読みをすることで本を読むのがあまりは苦にならなくなったのだ。

不思議でもなんでもない。

最初から最後までみることに集中しているだけなのだ。

するとなにかが伝わってくる。

相変わらずできないのは熟読というやつだ。

とても面倒でめんどくさくてできない・・・。

これは変わらない。

でも、わが身として感じる力を獲得したいので、なんとか工夫している・・・。

それが面白い。

だれもみたくない戦争

だれもが見たくないもの、それが戦争ではないのか。

そんなものが現実には簡単に100%の確率で起きる。

それが現実なのだ。

なぜなんていうのは愚問なのだ。

ひとの性として争いは常にある。

そのひとのもつ権力が民主から独裁的になるのは、防げないようだ。

だれもが見たくないのに、なんども繰り返すのはそのゴールがきっとあるのだろう。

争いの結果、そこを目指して人類は活動しているのだろうか。

ちがう・・・という、少しの可能性を今の世界のリーダーに感じるのは、侵略される脅威、恐怖、不安、少しだけの争いを避ける期待を持たせてくれる若い、性差にとらわれない若者たちの勇気だけかもしれない。

だれも望まないものを、世界の優秀な一部のリーダは見せてやろうじゃないか・・・という。

狂気の世界でないとだれがいえようか・・・。

好事例

良き事例は、自信を生む。

そして、それは誇りにつながる。

好事例を参考にして、新たな事例をシミュレーションする。

観光産業とは・・・

地域の資源を活用する方策の一つだ。

なぜならば、この産業は、衣食住を基本にし、さらに地域の文化や伝統がその魅力になるからだ。

もちろん、社会の動きに敏感になるから、グローバル化もローカル色の選別も進むことになる。

地域の住民が支えるのが基本だから、豊かな暮らしが生れる・・・。

まちがった方策をとらなければ、どこの地域でもそこの特徴を表現した観光産業ができるはずだ。

自分のトリセツ

私の取扱説明書をよく読んでから・・・にしてください。

みんな相手のトリセツをよく読んでいるのだろうか。

プロポーズの前によく読み込んでおかないと、そうではなかったはずと後悔することになる。

しかし、現実は、後悔を含めた部分が人間のトリセツの場合は、当たり前なのだ。

表面を繕うか、素を隠さずに出しているといいうふりをするか、その他もある。

あるある・・・のケースだ。

だから、これらはそう難しくはない。

自分のトリセツの中でもはっきりしているので、他人のモノもある意味理解できるので問題はない。

では、なぜ破局するのか。

それは、トリセツの中にある。

しかじかかくかくの場合は、破局に至る・・・、とか書いてあるはずだ。

織り込み済みのことがらなのだ。

だから、学校ではいじめたり、いじめられたりしながら、ケンカもして、バカヤロー、くそやろー、クソガキなんていう言葉を頭の中で羅列しながら成長するのだ。

いくつもプランがあっても、そこにはここだけは譲れないというものがある。

そこをどう解き明かせるかが、キーポイントだろうか。

AIと話す

悩み事があるならっば、AIと話してみるがいい。

きっと役立つアドバイスがあるだろう。

数千年にわたる人類の知恵がそこにはある。

だから、これからどんな悩み事があろうとも、AIにできないことはない。

過去のデータがすべて役立つとは、すごいことなのだ。

ひとりの新たな失敗が前代未聞のことならば、それは特許申請も可能になるのではないか。

そんな馬鹿でアホなやつは今までいなかった部門の一位だとかの評価もできそうだ。

でも、どんなことでも、どこかにいたはずだ・・・。

だから、そういうことはもうほとんどないだろう。

虐殺だってできるかぎりの凶悪なやつも、最悪なんていうのは、すでに今までにでていて、これから新たにでてくることはまずない。

 

時を旅する

できることなら、自由に時を旅してみたいものだ。

しかし、今ここでできることは、一つひとつを大事にしていくことだ。

だれもが、そう考えて生きている。

もちろん、落胆することも多い。

そして、復活する。

そんな繰り返しで人生の旅をしている。

これって時をかけていることではないか。

 

バラが咲いた

一時はやった。

だれもが歌っていた。

バラガサイタ、バラガサイタ・・・、マッカナバラガ・・・

ロシア国民の良心

国民の意思が反映されているのか。

いくら弾圧し、拘束しようとも、社会の絶対的な心理は変えられない。

下手に逆らうと、そこで押しつぶされてしまう。

数百万人のロシア国民が海外へ避難しているらしい。

政敵を殺害しようとした事実でも、公衆の面前ではそうはできない。

もちろん、ひどい仕打ちで常に監視されているらしい。

というよりも、投獄されているのだから、拘束して犯罪者として扱っている。

国民の意思を示す指標としての選挙の前に候補者を追放するなんていうのは、民主主義とは言えない。

そこにロシアの良心があるはずなのだが・・・。

大谷連発のHR

みた、みた、見てしまった。

そんなことがあるのだ。

ライブで見たのだ。

入るかなってこともあるかな・・・。

入った・・・。

なんと満塁ホームランだ。

 

大谷3勝目

フェンウェイパークでの勝利だ。

1919年以来の二刀流だという。

ベーブルースがまた出てきた・・・。

 

だれとだれの組合せか?

プーチンとバイデン?

バイデンとトランプ?

トランプとクリントン?

シジンピンとキムジョンウン?

シジンピンとバイデンorトランプorニューフェイス?

他の組合せはないのかな・・・。

ケンカ

ケンカするには、相手がいる。

する気がなければ、やっつける。

やっつけられるのは、せつない。

あんなのに負けるか・・・となる。

で、ケンカする。

けんか両成敗というものがある。

ここをどう考えるか。

どっちがより正々堂々としているかで判断するしかない。

今の時代は、孤立するとか、お山の大将ではやっていけない。

いかに世界の世論を勝ち取るかの闘いなのだ。

街の殴り合いとはちがう。

ひとが大勢集まるのを見るのは楽しい

高速道路の渋滞はいやだが、この連休には出ていたようだ。

なにかとても楽しい気分になった。

みんなコロナ禍で傷ついたこころをいやすにはどっかへ出かけるのが一番のようだ。

他の人たちが出かけているのも見るとうれしくなる。

なにせ、コロナ禍の終わらないうちに、ウクライナ侵攻という世界の大事件が起きたのだ。

そこにはなんの理屈もありはしない。

だれだって、そんな・・・ありえない・・・プーチンが・・・そんな・・・。

信じられない。

世界の大国のリーダーが何を血迷ったのか・・・って思うだけだ。

それは、数ヵ月経つと、いやこっちへも攻めてくるとか、どっかと示し合わせて攻めさせるのではと不安になる。

ワルを働くには、その焦点をずらすのがいいとか・・・、考えるとすると、直接関係のなさそうなところで、弱そうなところに攻めて痛めつけるなんていう発想がでるのではないか。

日本は敵対国として、米国には直接、手出しはすぐにはできないので、その一部にちょっかいをだしてみる・・・。

そんな不安がある。

ひとが大勢集まるのを見るのはいいが、どうも不安のタネがロシア関連で抜けない。

連休

もうすっかり休みと普通の日の区別がなくなっている。

連休が楽しいものだったのは、朝寝坊とかあと5分寝かせてほしいという願望があったときのものなのだ。

今、そう思い知る。

トラウマ

精神疾患にどう対処するか。

このスタンスが大事なのではないか。

どうしても、身内の場合、そうではない、病気のせいではないと否定したくなる。

病気なんだとするならば、それはちゃんと認めて治療する。

そこがどうにもあやふやになってしまう。

トラウマと虎と馬ではないのだ。

心理教育と密接につながった問題なのだ。

だから、社会の問題なのだと自覚している。

具体策は見守るしか、今のところ思い浮かばない。

人出は多いが・・・

売上が追っつかない。

みんな外へはでたいが、ふところは硬いようである。

まだまだ、コロナ禍に違いないのだ。

そんな簡単にはいかない。

それでも、外出が増えれば、いろいろな魅力あるものが目に付くことになる。

自然につぎは売上に結びつくはずであろうか。

知床遊覧船事故

約120mの海底に沈んでいる遊覧船の船内に残っているひとがいるかもしれない。

しかし、船内に残ろうと瞬時に思うひとはいないのではないか。

いや、逃げ遅れることはあっても、自分の意思ではないはずだ。

機関室にはこの船の場合は、だれもいないはずだから、閉じ込めはないだろう。

ほんの少しの判断ではない。とても重要なことなのだ。

気のゆるみが事故を起こすという教訓はどんな不祥事にもつながるものではないか。

あの時、ああやっていれば、何もなかったのに、どうして気づかなかったのか・・・、と悔やむ。

悔やんでも、どうにもならない。

元へは戻れないのだ。

だから、安全第一というのだ。

どんなことにも優先すべきはひとのいのちなのだ・・・。

品質、コスト、納期と情報の4つがどう絡み合っているのかは、他の事例でも明確である。

ひとの命を危険にさらす品質とは、コストをかけないで儲けようとするようなことではないか。

また、時間をかけないで売上を伸ばすなんていうことにも該当しそうだ。

そして、情報が安全の要であるのに、ないがしろにしているのも明確だ。

これ以上はいえない・・・、言ってもすでに分かっていることがらなのだ。

気のゆるみではなく、それが会社の方針だとしたら、安全軽視の経営だというのなら、そんな宣伝で営業してみるがいい。

嘘をつくよりはマシではないか。当然、倒産・廃業という道筋の見える経営戦略なのだから・・・。

 

なんでもなさそうなことをきっかけにせよ

大きな問題をお願いするときには、なんの関係もないようなことから、徐々に相手の警戒を解いていくのがよい。

そんなことを聞いたことがある。

なぜなのか。

頑固に、かたくなになんているときは、こころが閉ざされているのだ。

だから、ひとつでもゆるみがでるとなし崩しにされそうで怖いのだ。

だれにでもできるような簡単なことを先ずはお願いする。

水を飲ませてください・・・、でもよい。

ちょっと深呼吸をさせてください・・・、でもいいのだ。

刺身の醤油をすこしおおくしてください・・・、なんていうのもありかもしれない。

さて本題に入ろう。

ウクライナ侵略をやめさせるには、先ずはどうするのがいいと思うか。

その手法がロシア側から出てきたようだ。

ウクライナの武器支援はやめてくれないか・・・、だ。

なんでそんなことを言うのか。

バランスが崩れるからであろうか・・・、と推測できる。

ロシア側の兵力を軍事力を上回ることが予想されるから・・・、なのだろうか。

結果として、敗北するとの予想もできそうな気配を感じるからではないのか。

プーチンがそんな弱音を吐いていると思ったら、ゼレンスキー大統領はクリミアを奪還すると息まいているから・・・、元気づけられているのは間違いない。

現状分析はどうなのか。

一時は首都キーフ攻撃で99%対1%ぐらいのAI分析が、60:40ぐらいに早くも変化したのかもしれない。

あるひと手が、相手の喉元に刺さる可能性もある。

攻撃は最大の防御ともいうが、やはり、目には目をという反撃がくる。

核の打ち合いもやむを得ずという表現で、現実に突入すれば、意味のない打ち合いになる。

核を保有する意味がなくなる・・・、予感がする。

で、どうするのだろうか。

で、どうする。

あるのに使えない、使わないという心理がどうひとのこころを動かすのかではないか。

世界には、大国と共に核を保有する小国もあるのだ。

偶発的に、もしもそんな小国が核を誤って紛争地に打ち込んだら、どうなるか。

大国ではないから、すぐに消滅することになる・・・。

なんでもないことなんてないから、やはり核心に迫ることで停戦合意を結ぶことだろうか。

人種差別

日本人は有色人種である。

黄色人種というカテゴリィである。

差別の対象だ。

どこでの話か。それは、欧米一般だろう。

それで、具体的に口先で言われる場合と、直接、暴力で威嚇されたり、時にはなんら意思表示なしに当たり前のように殺されたりする事件もある。

だから、注意するのは、そういう危険地域であることをちゃんと意識しておくことにある。

後から、知らなかったでは遅いのだ。

人生において自分の存在がそんな差別対象になっているなんていうのはおかしい・・・とかなんとか言っても後の祭りになる。

文化や伝統の違うことを、世界中で認識しなければならない。

もちろん一般社会では、そんなことはあり得ないのだ。

でもごく一部にそういう信者のようなグループ集団が存在しているのだ。

白人至上主義というのもその一つのようだ。

今でも脈々と続いている差別は、だれしも現実としてぶつかる可能性がある。

どんな差別があるのか、不明なことが多いので、大変なのだ。

ゴールデンウィーク

なんとも魅力的なことばだろうか。

そんなに何日も休めるなんて、なんていうことだろうか。

そりゃ、休むのはいいが、あんた仕事が進まないっていうのは分っているだろうな。

いつもそのせめぎ合いの中でなんとかする。

だから、気分が向けば少しでも楽になりたい一心で仕事をしてしまう。

でも、できない・・・。

休みに仕事なんかしたら、普通の出勤日に元気がでなくなる。

そんな恐怖心がどっかにある。

時代は変わり、今は違うはずだ。

ちゃんと休む、休む時は休む。

パワーをしっかりとコントロールできるかどうかが、仕事力の指標なのだ。

ゴールデンウィークは、そんな指標の評価に反映されそうである。

強い意思と誠実なこころ

意思と心は同じものだろうか。

私は、強さを意思に求める。

そして、誠実さを心の中に持つようにしている。

意思は強さでカバーする。

そこに誠実であるべきだとするこころがあれば、鬼に金棒ではないか。

荒波に飛び込む己に課した「心の中の起点」だ。

弱さはいつもその辺に転がっている。

誠実さは、一番感じられやすいものだ。

恐そうな顔をしていれば、その誠実さややさしさは倍加するともいう。

印象の問題だから、何倍でも半分でも構わない。

さて、次のこの言葉で何に挑むことにするか・・・。

数はパワーの源になる・・・

地球場の人口は約80億人という。

急激に増加している。

とくに十億人を超える大国は、パワーがみなぎっている。

中国とインドは、その代表ではないだろうか。

ひとの数が多いと、そこに競争が生れる。

だから、いろいろな知恵と工夫が出現し、経済は活性化する。

ところが、社会制度は、人口が多いと無駄も多くなる。

そこで、いろんな統制がでてくる。

大衆の活力を削ぐことに権力が介入する。

すると、そこで大きなパワーが押し込められて充満する。

爆発することが多いので、締付はさらに拡大する。

そんなチキンレースがずっとは続かない。

数はパワーなのだという普遍的な原理を活用しない手はないのだが・・・、だれもが逆の締付しか示さない。

 

海の底

ひとも魚も圧力に弱い。

深い海では生き残れない。

高い山の空気の薄いところでは気圧が低いので生き残れない。

プラスとマイナスの中間が適切なところになる。

もちろんある範囲はある。

その許容範囲内で暮らしているのだ。

だが、長い間の環境変化にはなんとか対応していくことができる。

一代では無理でも、数世代をかけて進化するのだ。

生物の多様性は、そんなところから生まれてきた。

動物の基本的な構造、生態は普遍的な部分が多くある。

何かが稚拙なために、それを補う機能が発達するのが一つの要因になってきたらしい。

つまり、身体的な欠陥が、知性を増やすなんていうことのようだ。

ケンカの強いやつは、頭はあまり要求されないから、改善も改革も必要ないのだ。

海の底はどうか。

光が届かない海底では、視覚は重要ではないから、退化している実態がある。

食べ物の少ないことでも、生物が少なければ同じ現象が起きる。

また、そこで手に入るものを利用した生態系が出来上がる。

海の底の圧力を活かすというのも一つのエネルギー利用の道であろうか。

クライシス

リスクは顕在化する。

それをクライシスとするならば、リスク感知能力が重要となる。

潜在するリスクを如何に閉じ込めるか、又はその原因を除去するかが対策となる。

しかし、ほとんどは対策を検討中に顕在化する。

だから、対応が遅れてしまったと後悔する。

また、リスク論議では、状況は分かるが、それがどの程度の確率で起きるのかなんていう押さえつけがでる。

こんな状態で担当者は何年も置かれてしまうとどうなるだろうか。

常に頭から離れないから、ノイローゼになってしまう。

神経症になり、健康被害を起こす。

いろいろな弊害がでてくる。

・・・(八方ふさがり)・・・。

そこからどうやって立ち直るか。

これが問題だ。

やっぱりあらゆることの改革だろうか。

行動から、心理的な問題の改革が最初に必要となる。

いつまでもぐだぐだしてんじゃねーよってことか。

そうやって、次のステップへと押し上げていくのだ。

リスクがそのままであっても、そこでの葛藤はあと少しで解決への重い蓋を押し開けることができるだろう。

 

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