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2022年6月

ジョコ氏、プーチン氏を訪れる

もちろん、ゼレンスキー氏を訪問後のことである。

前後はどっちでも構わない。

両者を訪ねたというのが骨子だ。

G7はドイツでロシアはクリミア後、外れている。

G20はインドネシアでこれから開催の予定だ。

ロシアは議長国であるインドネシアから招待を受けているようだ。

今の状況で生出演、出席はほぼ不可能だろう。

それこそ世界の注目が集まっている人物だから、そんな公の場には到底でれないだろう。

セキュリティの問題ということなら、それは簡単に欠席で済むだろう。

だが、世界の問題を解決するには、不可欠な人物なのだ。

このまま二極化を進めれば、危惧するシナリオ通りにコトは運んでいくだろう。

つまり核戦争へと突入する。

脇役が先陣を切り、否応なしに核ミサイルが地球上を飛び交う。

AIやICTなどもう関係なくなる。地球場の通信網は破綻するからだ。

・・・・。・・・・。・・・。・・。・。

こんな状況を共有すれば、誰だってそんな顛末の一端を背負うのは回避するはずだ。

仕方がなかったの言い訳はどこから来るのか。

異端国が仕掛けてしまったのだ・・・・。

それでいいのか・・・。

破滅するならば、だれも文句をいう生き物がいなくなるのだから、無に帰すだけだ・・・ってことか。

マスコミも正義の新聞報道もどんな報道も無に帰するのだ・・・。

宇宙の隅からほくそ笑んでいる宇宙の知的生物がいるのではないか・・・。

地球はそれだけの価値がある。

G20ではそんな地球とそこに棲む人間や生き物たちのこれからをテーマにして議論してほしいものだ。

 

昭和枯れすすき

お茶の間ドラマの主題歌(?)だったかな。

絶望ソングがなぜ、家庭の日常の喜劇に選出されたのか。

哀愁だろうか。

枯れすすきだから、そういう設定だし、どうせだめなんだからというあきらめ感が漂うのも日常の一コマか。

なんとなく心が透かされている気になってしまう。

なぜだろうか。

ひとの哀愁をよく見ているからだろうか。

平成枯れすすき、令和枯れすすきもそのままタイトルになるやもしれない。

枯れすすきは、次代のタネをまいているのだから、そう絶望的ではないし、どっちかというと希望のほうな気がするのだが、どうだろうか。

ルーチン依存

日々の生活のパターンにこだわる。

一流アスリートならいざ知らず、普通のひとが何かの趣味にこだわることがあるという。

それは、ランニングだったり、サイクリングだったりするらしい。

依存症というのが厄介な存在のようだ。

どんどんと深みにはまるパターンだ。

なんでも同じような気がする。

タバコ、アルコールも依存症であるが、中毒という面が大きい。

悪いことではないが、毎日走らないと眠れない・・・となると、これは依存症か。

楽しいから、走る。楽しいから、日々のルーチンに組み入れる。

いつの間にかそれが重荷になる。苦しみになる。

初めはドーパミンが幸福感を満たすのだという。

その内、強迫観念に変わってしまい不安を誘発するようになる。

ひとにはバランスがいる。いつも微調整をしながら日々を生きるのだ。

でも、それを忘れると、客観視できなくなり、ルーチン依存に陥るのだ。

よくある話だ。中毒症状でも同じような調整が大切になる。

けっこう身近なルーチン依存が中毒症状の緩和に効果がありそうではないか・・・。

そんなものではない・・・というのも分かるが・・・、どうなのか。

how to die

どうやって死ぬか。

それはどう生きるかに関わる。

みんな同じなのだ。

死ぬという決まったことのために生きる。

死ぬには、それまでに生き続けないとたどり着けないのだ。

さて、どうする・・・。

よく考えてみよう。

他者の死を招く行為にうつつを抜かしている場合ではないだろう。

己の死をちゃんとしていくには、愚挙をやめねばならないのだ。

まだ、愚か者だと認識していないのだろうか。

取り巻きの距離もどんどん遠くなりつつあるようだ。

刺激してしまったのか、それとも意図的なものか・・・

崩壊寸前で、その存在価値がほとんど消滅しかかっていたのに・・・。

だれかが、それをステュミレートしたようだ。

動かぬ天の岩戸が開き始めたようだ。

身内のものが・・・という勘違いだろう。

独りの人間も一つの国家も独立しているのだから、それが他者や他国のものになるはずもない。

だが、歴史的な事実だとか伝統だとかいいながら、屁理屈を駆使しているのだ。

大勢の市民が暮らす街をミサイルで破壊する。

ほぼ百人のこどもがいたら、だれもそのおじさんの行動には賛成しない。

百人の母親がいたら、だれもそのミサイル攻撃には賛成はもちろん、首を縦には振らない。

ほぼ百人の女性がいたら、だれもそのおじさんの顔を見ないだろう。無視する。

百人のおじさんがいたら、みんなそのおじさんをかわいそうにおもうだろう。

そして、だれもがなぜなのですか・・・と疑問符を頭の中に掲げるでしょう。

コロナ禍なんてありえないと思っていたが起きてしまったように、頭の中での心配事は、どこかで現実になってしまうのだ。

そこに多様性があるなんていうことではないのだ。均質性を問うこころが他者を無視し己の私利私欲を鼓舞するのだろう。

どんな意図があるのかなんて探ること自体がおかしいのだ。

敵がいないと戦争ができないから・・・、そんなことだろうか。

一般市民の女性や子供を殺戮して武器庫を砲撃したとばっちりだと屁理屈をいう。

それは取り巻きが繕っている証拠だろう。そこにだけ、ひとのこころがちょっと垣間見える・・・。

なにか無念である・・・。早く終わらせよ、その力をもっているひとが真に正気であり、かのヒトラーではないというのならば、正々堂々と屁理屈でない正論を吐いてみよ。

未來ものがたり

月と火星への日帰り旅行が当たり前になるときは、すぐそこにある。

海のむこうにある大陸を夢見たのは、コロンブスの時代だが、つい5百年ぐらいまえのことである。

あと同じぐらいたてば、つまり2600年代には、そんなときがそこに存在するのではないか。

もちろん、人類がこのまま絶滅せずに維持できればの話だ。

サルの惑星になっているか、それとも違う元の自然を取り戻した豊かな地球になっているかは、まだ分からない。

絶滅まで時計の針が数分になっている危機的状態という表現や論評もあるからだ。

でも、絶望もあれrば、希望もある。

ひとのこころは自由なのだ。

無限の権力は、この時代にはもうありはしない。

だが、勘違いをするリーダーは大勢いる。

優雅な生活ってなんだろうか。

ただ、知らないだけではないのか。

ひとはみんな同じなのだ。

いのちに支えられた暮らしを楽しむ自由さをもっている生き物だ。

その証拠は、ひとは考えるし、悩みもするし、絶望しては希望を胸に抱きまい進する。

もちろん時には母のないこのようにもなる。

自暴自棄にもなる。

そして未来に向かって走り出す人がいるのだ。

その先に、未来のものがたりが待っているのだ・・・。

やってはいけないこと

ただ一つのみある。

それが、知らない他人に迷惑をかけることだ。

あかの他人にどんな利害があるというのか。

自分が嫌だと思えば、それで勝手なふるまいをしていいのか。

そんなわけはない。

世界中、どこでも同じだ。

アフリカでも中国でも、東南アジアや広い大海の小さな島嶼国でも同じだ。

そんなことをするのは理不尽を通り越している。

神様がいるとすれば、天罰が下る行為だ。

せっかく買い物をできる状態でスーパーにでかけたら、ミサイル攻撃で多くの人たちが意味のない犠牲を払わされたようだ。

G7への報復というが、そんなことが許されるのか。

大国でりっぱな歴史を誇る国ならば、そのリーダーならば、しっかりと釈明してみよ。

ネオナチをやっつけたというつもりか。

だれももうだまされはしない。

やってはいけないことは、どんな時でもやってはいけないのだ・・・。

ちゃんと子供たちに教えていかねば・・・、ならない。でも、できるかな・・・。

腹いせ

様々な対立がある。

心理的に負けてしまえば、そこで終わる。

だから、相手に腹いせしたくなるはずだ。

でも、それではどうしても自分のこころにぼろがでるのだ。

G7サミットのあたり、歓迎の砲撃なんていうニュースは侮辱だ。

北朝鮮がよくやる相手の重大イベント前とか、最中とか、その直後のミサイル発射実験だ。

同じではないか。

だったら、その行動はすべて同じレベルのものなのだと、幼稚園の純粋な子供たちには分かるのだ。

こころが乱れて大人にはよくわからないかもしれない。

脅しに踊らされて上の空のG7になってしまえば、それはそれで意図にはまったと言わねばならない。

世界が注目するのだから、単純で明解な態度を示すってことなのか。

困っていないはずはない。

でも、一番困惑しているのは、普通の暮らしを追われて路傍に迷うこどもらの姿ではないのか。

我が身内が、そんな風になるのは見てみぬふりはできないだろう。

他者の振り見てわが振り直せという。他人の悪いところは見えすぎるが、おのれの悪さには気づかぬものらしい。

ひとの顔

この頃多いのは様々な顔だ。

アンパンマンはご承知だろう。

バイキンマンもどうだ。

スノウマンもある。

パーマンってのもあったな。

葉っぱの顔をしたキャラをよく見る。

魚の頭もみるな。

地球を顔にしたのもあったよな。

山も、川も、空も、宇宙も顔になる。

ほかの星も同じだ。

太陽はお日様と呼ばれて数多くのバージョンがある。

月もそうだ。これは形を変えるところがミソだ。

ひとの顔をもった人間というのが一番怖そうである。

想像するのはやめよう。

ひとでとなると、途端に現実的になるので、痛みを直に感じるようだ。

こころに直接どしんとかズキンとかくるのだ。

衝撃で心の臓がとまりそうになる気がする。

ひとの顔は、やはり笑顔がいい。

あどけない笑みがひとのこころを和ませてくれる。

いつも時代遅れのシナリオで納得する

ああ、あの時、やっとけばよかった。

仕方ないか忙しかったからな。

そんな慰めの連続だ。

今、子どもならば、何をする・・・、君は何をする。

年齢は問わないから、答えてみよう。

プログラミングかな・・・。

遅いだろうか。

いやいやまだ生きるつもりならば、いくつであってもその可能性はあるって、だれでもいえる。

そこを忘れちゃいけない。

ああ、あの時・・・、やっとけば・・・、と。

インクレイブ(飛び地)

世界には数多くの飛び地がある。

他国をはさんで領土が存在する。

大陸にもあることをロシアのバルト海に面する地図で知った。

もちろん島国の場合は、海を挟んでいるので、あまり飛び地とは思わない。

でも、その数は多い。

先進国の島国は、インフラの整備のレベルが違う。

インド洋にもフランスの領土がある。

隣国の島々との格差は大きい。

同様に、カリブ海にもある。

大陸の場合は、海という隔たりがないのでその対策は物理的な構造物になるようだ。

万里の長城がその例であろうか。

アメリカ国境に柵を造るというプランも同じであろうか。

南北朝鮮の境界は、もしも有事勃発の際には、あまり役に立ちそうもない。

敵味方入り乱れての闘いでは銃器の使い方も難しさがあるだろう。

飛び地は、ある種のリトマス試験紙のような役割も果たすのか・・・。

敵に飛び地を占領されたらどうする。

本土に影響がなければ、国民はあまり騒がない・・・とも言える。

でも、鈍感なケースもあれば、敏感なケースではリトマス試験紙がにじんだだけで、これ幸いと攻撃に出たりする口実になる。

なんとも危険な存在の飛び地ではないか。

そこに棲むというのは、どういうことだろうか。

ロシアは、ウクライナを己の国の飛び地だと大きな誤解をしているのではないか。

大国主義には、地球そのものが全て己のものだと極めて無学な過ちを意図的にしている傾向がある。

きわめて危険な人類の存在のようである。

地球の持ち主としての神様たちは、どんな感想を人間に対して抱いているのだろうか。

destroys everything

War destroys thousands of lives of the humanbeings and natures in the very limitted area.

Nothing will be there any more for a long time.

Pollutions walk in the air and stream far away to the touusands of kilometers.

Also the hearts of children and women, mothers sisters and brothers, even those grandparents, etc.

Someone who controlls the war should stop its activity in sutable way as a responsible person.

No one in this world without any condition wonts such a miserable world in this real world.

Please stop the war if you are the real pereson who can stop it right away.

 

 

 

見た見た見た・・・

大谷選手の首を振る姿を7回終了後の打席に立つ前にみた。

きっとそうだ、そういっているのだろう。

みんな思っただろう。

大リーグでは自分の意見や意思を通すことの難しさがある。

いくら大選手と言えども商品なのだ。

優れた商品は当然大事に扱われる。

その価値を低下させることは、本人の意思ではなく、やはりチームのためにどうするかなのだ。

そこには資本の力もある。

だが、大谷選手は、大リーグという夢の舞台で正々堂々と己の大選手としての務めの中でその意思を表現しているのだ。

なんとすごいことか。

あのボールパークに立つことで武者震いして立ちすくむような気がするのだが・・・。

これから、更なる天才たちがそこを夢見て日本を去っていくはずだ。

どんな活躍へと大谷選手の一挙手一投足がつながっていくのか、とても楽しみである。

 

困りごと

困ったことは、解決できる。

もちろん分かっていればだ。

普段は、困ったといいながら、その原因を突き止めようとかしない。

それは触れるのが嫌なのだ。

だれだってそうだろう。

嫌なことには触れたくないのだ。

でも、仕事ならばどうだ。

こりゃしめた・・・、となる。

だって、問題の所在が分からないと解けないが、分かればすぐに解けるのだからである。

私的なことはどうもほんとうにどうしてもできない・・・ことが多い。

分かっている。

だから、葛藤する。

それでいいのだ。

完璧な人生なんて、面白くもないだろう。

ここかしこに穴が開いていて水がもれる、空気が漏れる、障子が破けている・・・。

困りごとはなんですかと時には自分にといかけてみよう。

報酬を得る

他へ働きかける。

そのことで奉仕する。

課題を解決することで、その報酬を得るのだ。

フリーだと、その都度課題を探していかないといけない。

サラリーマンは、時間を企業に預けている。

もちろんそこで報酬に見合う仕事をすることで認められることになる。

レベルに達しないと振り落とされるものの、時間がくれば終わっていいのだ。

時間がある意味での報酬の目処なのだ。

なにもしないでお金をもらうのは、耐えがたいものだとひとはいう。

だから、自分のために精一杯の仕事をする。

そうしないと自分を保てなくなるのだ。

自己崩壊を回避する一番の策が、一心不乱に懸命に働くことなのだ。

つまり、生きがいが大切なのだ。

そこを見失うと社会から脱落したと言われる。

自分の存在の意義とか誇りは、打ち消される。

そんなおのれにだれが耐えられるのだろうか。

だれもいない。

でも、そういう境遇に苦しむひとたちは大勢いる。

社会秩序が崩れれば・・・なんて考えるひとは少ない。

この世の中では2割のひとが支えているらしい、残りの6割は頓着しないようであり、2割がまったく世間に関心のないひとたちだという。

もしもみんなが100%でこの社会をなんとかしようと動いたら、あっという間に地球は崩壊してしまうのではないか。

そんなことも危惧される。

ひとの能力はほどほどに使わないとダメなようである。

それらの報酬は地球という自然の産物でしかないのだから・・・。

人類が食いつぶしてしまうことのないように、制御しているのは、だれだろうか。

なにも考えない時間

大切なのは、無の時間ではないのか。

頭の中が空っぽってことは、あほの代名詞だが、実はちがう。

ひとの記憶はそんなに問題ではないのだ。

忘れることが一つの機能としてある。

覚えるのは記憶することだが、一定の目的を果たせばそこで終わる。

人生の要素は、時間と空間だ。

そこに生命があって、各自が自己を認識しているだけのことだ。

自己認識は、自分以外の大勢の他者も同じだ。

それは同じスペックの人間の機能が決まっているからだ。

定型タイプのヒトで型番は、西暦での生年月日と各種のヒトの機能が記述される。

いつも何かを考えるようにできてしまっているのが、たまに傷だろうか。

だから自己認識の際は、なにも頭の中にない空っぽの状態にするのだ。

それが自己を認識するサインなのだ。

困難なこと

そんな簡単なことがなぜできない。

みんなやっていることがなぜできない。

まずは、こんな言葉がでてくるだろう。

そして、思いは同じだとかいうのだろうか。

みんな厄介者だって思っているのだろうとか・・・。

こんな状況では、ちっとも心が伝わるものはない。

理由は、どっちも否定し拒否しているのだ。

何を・・・、拒否しているって・・・、そりゃコミュニケーションであろうか。

いやいやそんな生易しいものではない。

人格を拒否しているのかな・・・。

己の存在自体をもしも拒否しているのならば、それは悟りの一種ではないか。

でも、現実は厳しい・・・。

暮らすには生活をまずどうするかを考えないといけない。

それって暮らしの必要な条件を満たすことだ。

生きるには衣食住が要る。

そのための意思がいる。

そして、そこに自立とか自律がでてくる。

だから、他者が何をいい、何を望もうが関係ない。

基本は、それぞれの生き方というものになる。

どんな人生でもそのひとが生きてよかったと思えることが最も大事なのだ。

そして、それはそれぞれの状況に依存するものであり、とても簡単ではない。すごく厳しく難しい。

だから、困難という・・・のだ。

ひと試合日本のホームラン打点8の活躍

エンゼルスの大谷選手の活躍はすごかった。

しかし・・・チームは敗れたのだ。

ここ一番の投手の重要性はいうにおよばずか。

みんなわかっている・・・。

そこはチームオーナーのマネジメント次第だってことか。

せっかくの逸材を活かせぬのはトラウト選手の場合も同じだ。

加えて、大谷、ウォルシュ、ウォード選手などの存在をどう活かすかだろうか。

もちろんかみ合わぬというじれったさは、現場の監督の力量次第ともいえそうだ。

野球に対する姿勢は、チームオーナーの姿勢や基本的な方針そのものに依存する。

そこに比例する・・・。

大谷選手は選出されないことが活躍の起爆剤になる・・・

シーズンを通じての活躍は、かなりしんどいはずだ。

休養を与えようではないか。

一年おきぐらいのファンへのサービスで十分だ。

オールスター戦は、今年は選ばないで、一年おきではどうか。

みたいのはみんなおんなじだけれども、ガマンも・・・、大事だ。

はやぶさは数億年後の地球のかけらか・・・

おなじことを繰り返す。

そんな夢を見た。

はやぶさは実は、近い未来の地球なのだ・・・というのだ。

そこには放射能が含まれている。

半減期でも一度影響を受けた痕跡は残る。

ということは、地球は近未来のどこかで崩壊するということだ。

地球という惑星がこなごなになる・・・。

そんな前提でないといけないことになる。

太陽の消滅でうんぬんというならば、仕方のないことだ。

でも、惑星の自然の自律性が崩れてのことならば、太陽の寿命以前に滅びるということになる。

ほんな些細なことなのだろう・・・。

原因はそうなのだろう。

きっとどの世代も子孫の繁栄のためにと願って暮らしを営み、その先に政治があり、共同体としての意識がある。

鑑識をもって暮らしを続けていくはずだ。

だが、私利私欲は人間の性としてなくならないと断言できるから、きっと、そこで狂うのだろうか。

いや、狂うこと自体がDNAのなかに、人類の滅亡への因子として重要な部分を占めているのではないか。

他の宇宙人は、そういうことを完全に滅却して持続的に生存しているらしい。

または、どんな生き物も永久には生存できない。だから、ある時期には宇宙人は存在しない。

生命はちがう形で存在し続けるというのは、嘘ではなさそうだ。

数億年、数十億年、眠りにつく生き物はきっといる。

はやぶさの鉱物類のかけらにその痕跡が放射能とともにあるのではないか・・・。

選挙

久しぶりの選挙になる。

そして、新しい選挙だろうか。

選挙権が10代に拡がった。

本来は、どうなのか。

赤ん坊でも選挙権ってあるのではないか。

ひととしての権利ならば、その論理だ。

だが、社会が大人として認めるまではその教育と成長に責任がある。

親の義務だというが、本来は子どもの権利以外の何物でもない。

現実は、親の財政状態によって差がが付くのだ。

そこで差別されて、その後の成長に影響を与えてしまうことが多いのだ。

手をかけて育てることで子供たちは大きく成長する。

みんなそうだったではないか。

もちろん、親以前に国の問題もあるのだ。

どこで生まれたかで全く違う人間になるのだ。

選挙とは、そういう大事な要素を根幹に抱えている。

さて、どういう方向へと導いていくべきか・・・。

戦争は合法か

たしか、戦争をするにはちゃんと理由を説明し、国民の承認を取得する必要があるのではなかったか。

緊急時の対応でやむなくなんていう理由はありえない。

この自由で民主主義という時代になんということか。

合法なのか。

戦争と宣言していないのではないか。

小競り合いか。

なんといっても肉親が目の前でまたは戦場でいとも簡単に殺されていく。

そんなことがあっていいのか。

日々の夕餉の支度をしている大勢の家庭がそういう質素で素朴なくらいを奪われる。

だれにそんな権利があるのか。

国のリーダーは、民の見本ではないか。

模範を示すのが筋ではないのか。

どこか間違っている。

強いというだけで傲慢になる人間が世界には大勢いる。

死期を悟って自暴自棄になっての結末ならば、なんとも身勝手なことか。

戦争は、あくまでやるとしたら合法的にやらなければならない・・・。

そして始めたら、やめる。

やめればまた、やりたいときに始めればいいのだ。悪魔のリーダーになればいいのだ。

なんとも悔しい・・・、せつない気持ちになる・・・。

バイデン大統領サイクリングで転倒する・・・

ニュースが流れた。

映像も見た。

まだ若いのだ。

若さはいつの間にか消えていく。

小学校の運動会でのパパさんの前のめりの転倒と同じだ。

いつもやっていないことは、うまくはできない。

昔の杵柄は、頭の中のイメージだけだ。

身体能力は、劣化している。

気を付けて政治の運転に向かってほしい。

シナリオのない侵略事業に評価を下す

三日の予定が、なんと落としどころが分からなかくなったようだ。

これでは、あたふたしないわけがない。

世界の異端分子に仲間入りか。

げんこつを振りかざして、入れ墨をみせて脅す。

そんなの世界ではなんともないのだ。

戦のプロは勝ことだ。

政治のプロは何をする。

軍隊を使って侵略するのか。

理由もなく、ただただ己の権力にこだわっているとしかみえない。

ウクライナの民の不幸や生活を奪うことが、ロシアの民の幸せなのだと胸を張って世界に向かって言えるのか。

反対意見の世界の国ぐにの多岐にわたる人々に正々堂々と、その正しさを説明していけるのか。

説明責任はだれに証明してもらうのか。

ロシア正教か、それとも今はいないロシアの英雄に語らせるのか。

だれも本音では支持しないシナリオでどこまで侵略の戦争事業を推進するというのか。

混乱を招くことが目的でしかない・・・。

だが、力づくでもダメなものはダメなのだ。

さて評価はどうか。継続案件の可能性はあるのか。

ESGの観点からはどうか。SDGsに貢献はしているか。

破壊という面や人々の幸せを略奪した事実は消えない。

果たして、この事業の責任者はどう評価されるべきか。

過去の悪人の中では、かのヒトラーに匹敵するかそれ以上という評価もある。

人類の恥ずかしい部分をすべて出してきている。正気の沙汰の人間のできることではない。

こんな言葉が現実にでてくることがおかしい。

こんな世界に落とし入れつつある元凶が、国連安保理の常任理事国のリーダーだとはだれもがおかしい・・・、と思うのだ。

真偽のほど・・・

どうも確かではない。

嘘が多いし、ほとんどが嘘だ。

しかし、ほんの少しの真実が残る。

そこが問題だ。

では、どうする。

真偽のほどを気にしないことだ。

偽物は本物らしくふるまうだろうし、本物は嘘だろうとみられても何もできない。

どう確かめるのか、直接訊こう。

これは偽物ですか、本物ですか。

そして答えをまつのだ。

みんな本物ですと嘘をいう。

中に本物がいることもある・・・。

生涯現役

よく使われることばだ。

太平洋独りぼっちのあのひとは、そんなことを実現している。

まだ多分、生涯の半分もいっていないのではないか。

たしか23歳で太平洋を横断し、この間83歳で再度、横断してきたのだ。

ひとりぼっち、無寄港というテーマは、共通している。

そこにこだわりがあるような気がする。

でも、いつかは様々な島々に寄港して滞在してきままな旅をしてほしい。

それも大勢で・・・。

太平洋大勢寄り道の横断旅ってことかな。

リュックにつめた未来

ポケットの十円玉はこどものころの思い出だ。

でも、リュックの中に未来を詰めたかどうかはわからない。

詰めるのを忘れたような気がするのだ。

だって、入ってなかった気がするからだ。

もし見つけていれば、その未来をどう使うかを考えたはずだと、ひとりで思ってみた。

そんなことは、実際にはない。みんなが頭の中のリュックにもっていたのだ。

だって、おふくろが忘れるはずはない。

自分の娘や息子たちがいつかはきっと自立して自律した暮らしをしていくだろうと・・・。

半ば、さみしく、本心はたくましさに見入っている姿を思い浮かべているはずだから、その未来が俺のリュックにはあるはずだ。

軽度認知障害 MCI

MCIとかmciとか最近よく見る。

軽度認知障害のことだ。

英語では次の通りだ。

軽度:mild (M, m)

認知:cognitive (C, c)

障害:impairment (I, i)

マイルドが軽度か・・・、と一瞬思った。

でも、認知障害とつけば、軽度が一番やっかいな気がしてしまう。

すぐに重度に移行してしまう。

となると、自己認識とかの「自己」「自分」「私」「俺」「僕」が消滅してしまうだろう。

すると、対比する「他者」「あなた」「君」「恋人」「愛しいひと」とかの感情も消えるはずだ。

それが、ちょっとだけ悲しい気がする。

軽度は、もう普通の自己である自分には戻れないという道筋のようだ。

覚悟はできているか。そんなものは必要なくなるだろ・・・、けれども・・・。

おじさんの定義とは?

おじさん。

何歳から何歳までがそうなのですか。

あなたはおじさんですか。

自分で決めなさい。そんな返事だった。

こどもでも自分で思うなら、おじさんになれるんだよってことだ。

爺さんは無理だな。

おじさんの年寄をそういうのだから・・・。

「い」の字一つでずいぶん変わるものだと感心するものなんか、いやだなとは思う。

おじさん、ありがとう。

脱炭素

大地と海。

無人の惑星。

生き物のいない世界。

脱炭素はなんのためなのか。

生物の多様性かな・・・。

それとも生物の多様性の目的ってなんだったっけかな。

それは、ひとのためでしかないような気がする。

生物の多様性は、単なるジョークではないのか。

ひとは、人類と言いう意味dが、それが今は私利私欲の世界になってしまったようだ。

他人が困るのは、関係ない。

我が国に被害がなければ、いい・・・。

他国を我が国が攻撃して、その国の人たちが暮らしを破壊されているのをわが国民は楽しんでいるというようなだまし言葉がまかり通る。

我が民を守るために他国の領土を攻撃して奪う戦略は、すべてわが国民のためなのだ・・・っておかしいだろう。

日々ののどかな暮らしを一瞬で奪われるのは、自然災害以上に戦争が原因では悲しいみじめだ。

そんな決断をだれが正当化できようか。

WWIIを経て間なんだことはどこへいったのか。

その戦勝国は勝てば官軍、勝たねばならぬということだけのような気がする。

やはり、WWーIIIへの道筋はどんどんと加速している。

燃える炎は乱世へと「脱炭素」の夢へと向かっているのだろうか。

生き物のいない脱炭素世界へと誘うのは、ひとそのものの望みのような印象を与えそうである。

悲しいのひとことは、どこかに残って欲しい・・・。

本を読む

一冊の本を読む。

百冊の本を読んだ。

千冊の本を読んだ。

一万冊の本を読んだ。

さて、これらはすべて一日で読み終えたのだろうか。

では、主語は私なのか、それとも日本国民なのだろうか。

読んだ成果は、私が読んだのならば、すべておのれのものだ。

しかし、日本国民ならば、たぶん数えられないぐらいの冊数になるし、その成果は国家の還元されるものになる。

教育や研究の大切さは、個人レベルでも国家レベルでも変わりはない。

本を読むと、たった一人でも偉くなったような気がする・・・。

采配

どういうやり方で進めるか。

采配がそこにある。

采配がコントロールするのは、被支配者のことだろうか。

それともモノやコトに関する対象だろうか。

こうなるとよくわからなくなる。

采配がうまい監督は勝率が高くなるっていうのは正しいか。

勝率が悪く敗けが混んでいるチームの監督は、契約解消されてしまう。

だから、如何に采配をうまく行うかが大切になる。

しかし、チーム力は選手の力の総合だという。だから、どんなに力のある優秀な選手がいても、勝につながるとはいえない。

そこに監督の采配がある。

チームの状況に応じてどう対処するか、問題とその現認をしっかりと把握していくことがその要である。

すると、ケガをしていたり、問題を抱えている選手は休養を与えるとか、精神的に追い詰められているケースではヒントを与えて的確なアドバイスが有効になる。

そんな采配ができると、どうなるか・・・。逆もある・・・。

頭の中に迷い込む

時々、頭の中に迷い込んでいく自分がいる。

目を開ければ、すぐにそれは消えてしまうちっちゃなものだ。

けれども、目を閉じていれば、そこは時間と空間が果てしなく広がっているのだ。

それが、この自分のからだの一部のそれも頭の中にあるのだ。

迷路のようになってはいるが、目を開ければすぐに飛び出せるのだ。

だから、迷路はないのかもしれない。

そして、そういう果てしない時空でうろちょろしていかないと、ある種の漠然とした答えには到達できないようだ。

だから、性懲りもなく、ときどき目をつむる。

うまく入り込めない時は、たぶん拒否されているのだろう。

お前の仕事の予定は混んでいるはずだから、そんな暇はないなんて直接はいわないものの、どっかにひっかかりがあるのだ。

だって、自分自身だから、勝手なはずもない。

そこに心身の不思議さがあると、私は考えている。

大谷選手スタメン外れる

今日は、スタメンではない。

昨日は、ウオルシュ選手がサイクルヒットだった。

みんな打った。

今日は、お休みで休養か、それも必要だ。

ファンは、いつも大谷をみたいと思うが、ガマンだ。

明日の活躍のために、我慢しよう。

言葉の魅力

コミュニケーションだというのが、当たり前のことだ。

他者と意思を疎通し合えるなんて、なんともうれしいことではないか。

力で従わせるしかないのではなく、対話で分かり合える可能性をそこで認めることができるのだ。

もしも、そういう能力がなかったら、どうなるか。

争いでものごとを決めるだろう。

どこでもいつも必ず殺し合い、生き残ることがその答えになる世界だ。

それでは、だれも生き残れない。

活かせる知恵も失う。

やはり、相互作用の効果とか、いわゆる相乗効果というものが、この世界では必要なのだ。

だが、当たり前のことだと軽視してしまう。

世界のリーダーは、ときにそこを誤解している。

百年に、いや数十年にひとり、かならずそういうやからがでてくるようだ。

後世に言葉の魅力を残そう・・・。

ゲームの成り行き

だめだな、これでは・・・。

だれでも現状を分析し、問題点を洗い出すことはできる。

楽観的なケースとそうではないシビアな場合がある。

そこで対象となるひとたちはどんな反応を示すか。

ゲームは成り行きとみるのか、それとも戦力の総合力とみるのか。

ちからの差があきらなかならば、その勝率は見えてくる。

完璧でなくていい。

将棋の天才でも勝率は8割ぐらいだという。

では、野球はどうか。

常の勝ち続けるチームなんてない。

でも、あり得るケースがあるだろう。

サッカーでも同じだ。

柔道でも同じだ。

圧倒的なちからの差がある場合は、勝負にならない。

だから、別のルールを設ける。

基準を決めてクラス分けする方法だ。

ゲームは、そういう前提でできるだけ公平に勝負ができるように準備されて初めて成立する。

だから、勝ち負けだけではなく、プレーを楽しもうではないか。

心象

第一印象が影響する。

それは、どうも心象主体の反応ではないのか。

具体的なしゃべりだせば、そこには別の感情が生れる。

だから、どんどんと変化する。

それを、いつものこととして無視すれば、かわらぬままになる。

おのれの己に対する心象が、その分水嶺のようだなと、私は思う。

心象ってだいじなのだ。それはおのれの心を反映したものなのだから・・・、である。

相手の心理を読む

裏か表か。

相手の心の内を探る。

さてどっちだ。

百円かけている。

いや、百万だ。

あいつは百億だって。

トランプは一千億だそうだ。

じゃ、お前の一万ってどっちでもよさそうだな。

相手の心理をどう読むのか。

冷静であればいいのか。

あまりに心理が高揚しているようでは、だめだが・・・。

俺ではなく、相手の心理を読むのだ。

しかし、相手に読まれているとしか感じないのだ。

それは、飲まれているっていういい表現がある。

知っているだろうな・・・。

しろもの

どうも分かりにくいコトバだ。

なかなかの代物だ。

困った代物だ。

どうも、こんな使い方が正解らしい。

ひとにもものにも使える点では便利かもしれない。

お前はどんな代物なんだよ、一体全体なにやってんだ。

こんな言葉が聞こえたら、まあいち早くその場を去ろう。

暮らしのために何をするか

生きる。暮らしをまもる。

そのために何をするかが問題だ。

何もしない。

そんな選択肢はない。

でも、そういう人生もある。

だから、何をするか、暮らしのために何をするかが、問題なのだ。

エンゼルス勝利

これからの目標は14連勝だという。

当然、14連敗したのだから、取り返すだろう。

どっちもある。

プロの世界は、厳しいが、ちゃんと報われる世界でもある。

少しの可能性があれば、勝利は来るし、また敗けもあるのだ。

大谷選手は、12号ホームランと4勝(4敗)だ。

この前の当番での勝利が、なんとも連敗に繋がってしまったようだ。

ほんの少しのちがいだ。

それを信じてプレーする姿は、やはりプロの中の選ばれし選手なのだと分かった気がする。

勝があれば、敗けがある。

勝負の世界とは、そのためにある。

勝負を避けていては、人生の敗者になる・・・。

とりあえずオメデトーかな。

宇宙のひと

決してまぐれでも例外でもない。

ここにあるものは、宇宙にある。

それは、我々が宇宙人そのものなのだから、わかるのだ。

ここだけなんていうことはあり得ないのだ。

生物の多様性って、みんな知っている。

哺乳類でも様々な機能の違いがある。

空を飛ぶ、水中を泳ぐ、地中で暮らす。

小さなものからおおきなものまでなんでありだ。

遺伝子が宇宙で生きているのだから、ここだけっていうのはないだろう。

でも、そうなら地球人と同じようにわけのわからない争いをしている可能性は大きい。

すると、次は地球でぶつかり合うというより、宇宙での他の生き物たちとの争いが待ち受けているはずだ。

そこでどう生き残るかが、どうも勝負のようだ。

今後、百年から千年又は数万年間は、そういう争いの空間になるのだろう・・・。

一瞬のうちに滅ぼされるかもしれない。

まっとうな人生なんて、今だけの話だよと、子孫は書き残すのかもしれない。

地球の宇宙のひとたち、とくにそのリーダーたる人たちは、もっと視野を普通にみていかないと、飛んで火にいる夏の虫になる・・・。

荒磯が二所ノ関?

いつの間にか、相撲部屋の名前が変わったようだ。

稀勢の里の荒磯親方が、二所ノ関親方になったのだという。

茨木県の霞が関の湖面にちかいところに新部屋を作ったようだ。

バスケのコートもあるっていうことだ。

土俵も二面あるってことのようだ。

出来るならば、そんな相撲取りになっても見たかった気がする。

でも、身長の制約があったと聞いていたので・・・、ではないが、進めなかった。

才能がないと、プロにはなれない。

根性がないとプロにはなれない。

なればなったで当然のこと、強くなりたいと思うだろうし、厳しい稽古になる。

好きでなければできない。

いや、好きならば、やっていたかもしれない。

新しい希望を日本の相撲界は、みせてくれるかも・・・、しれない。

だめなやつ

ダメな奴がいた。

それはオレのことだ。

自分にはわかる。

嘘も真実も分かる。

だから、ダメな奴だっていうのも分かるのだ。

それでも、やせ我慢をして、生きている。

そうではないようなふりをして生きている。

だめなやつでも、生きる力はもっているのだ。

欧米の人たち

欧米か・・・。

なにか意味がわからないが、一時はやったのだ、このことばが・・・。

しかし、よく考えてみると、歴史があるのだ。

欧米に学んだのだ。

全ては欧米の物まねから始まったのだ。

政治システムもそうだ。

民主主義は、敗戦で勢いよく入ってきた。

日本人って不思議だ。

結構、ルーズでフレキシブルなのだ。

考え方が柔軟で臨機応変なのだ。

これは、我がおふくろをみていて学んだことでもある。

今はいい。昔は女性は選挙権もなかったし、男性優位の社会でもあった。でも、実質は、強かったのだ。

もともと、時間がないから、社会もそうなっていたから、女性は家庭を守ることに専念していた。

だから、おんなに教育は不要なんていう非常識がまかり通っていたようだ。

でも、良妻賢母たちは、みずから必要なことがらを学んで暮らしに役立ててきたのだ。

そこには不屈の魂がある・・・、と私は考えている。

だから、欧米のひとたちの文化や知恵をどんどんと取り込めたのだ。

不調です・・・

名選手はいかにして不調を克服するかを知っている。

だから、そんな時はじっと耐えるのだ。

普通の選手は、不調を苦にしてしまう。

周囲もそれに従ってリストから外す。

好調時の成績がなければ、不調を実証はできないのだ。

だから、活躍するという前提や実績がものを言う。

不調です・・・、と言える選手は稀なのだ。

 

投稿すること

自分のこころを表現する。

これが目的ではないか。

ほとんど他者の目に触れることのない文章なのだが、そこに意味がある。

これは自分の表現なのだと、私は考えている。

ひとつの主張だということだ。

ひと段落

仕事をする。

どんな時でも、そこを一気に突き抜けることはあまりない。

だから、ひと段落というものを自分でつける。

そこに大きな意味がある。

人生も同じである。

時には糸を切って凧は風に乗る

糸のある凧では自由がない。

頻繁にそらをじゆうに飛ぶには糸はいらない。

不自由な元凶はタコ糸だ。

タコ部屋なんていうのもある。

なんらかの糸で縛り付けて働かされる場所だ。

逃げられない。

でも、その原因を乗り越えれば、自由に動けるだろうか。

長期の不自由は、ひとを不活発にしてしまう。

だから、普通のひとは、自由になるひとときをできるだけ多く持つべきだ。

 

祖国愛

なんやかんや言っても、自分の生まれた国はいい。

だれしもそう考える。

中には祖国を捨てるひとも大勢いた。

今もいる。

それでも祖国愛はずっとある。

だめなほどかわいいなんていう心理が発端だろうか。

みんなそういうこころをもって生きてはいる。

どこかで間違うのは、歴史の示す通りだ。

一つ穴の貉

一つの穴の中にいると、そこでの決定を変えられるだろうか。

こっち、そっち、いやあっちがいい。

そんなに自由に変更できるか。

なかなかできない。

なぜ。それは、もちろん方向性とか方針は力関係で成立するからだと私は思う。

すでに太刀打ちできないような環境の中で、あることに反対でも、総合的には暮らしがあるなど、自由ではない。

たしかに意見は言えるかもしれない。

その言動ですべてが決まるとして、責任は持てるかというとそうではないのだ。

そこに組織とか家族とか一族とかの難しさがある。

どうしても無理ならば、そこから出るということになる。

しかし、脱走兵とみなされれば殺害なんていうことになる。

そこを天秤にかけることはできない。

家族の暮らしもあるなら、なおさらだ。

一つ穴のムジナの行動は、単独とか独立独歩ではない。

集団生活の典型であり、よくも悪しくもあるのだ。

そんなこんなを日頃から考えて、臨機応変に対処できる態勢を整えよう。

人間らしい生き方がその起点になるのではないだろうか。

ソロモン諸島

第二次大戦で多くの若者がいのちを落としたガダルカナル島がある国だ。

赤道直下というか熱帯地域だから、灼熱の太陽が輝いている。

メラネシアからポリネシアへと変わる物差しならば、メラネシアよりだ。

ミクロネシアは北の方向だから、あまり連携はない。

でも、中には直毛のキリバス系の人たちもいるから、その交流は歴史的な関係にあることが分かる。

国連海洋法でこれら南太平洋島嶼国は、大きな資源を獲得した。

もちろん海洋資源であり、海洋生物や鉱物などがその中身になる。

利権が絡むので、地域連合としての結束がある。

我が国はカツオ・マグロ資源への入漁交渉を続けている。

しかし、これら魚類の回遊経路にも温暖化の影響がかなり以前から出てきている。

どんな対策をとっているかは、地域漁業委員会を結成して、その方針を設定している。

地政学的な問題では、その海洋の広大さが大きな特徴となっている。

やはり、いろいろな資源を世界各国が協力して利用していく枠組みが第二次になるのだと思う。

記述

記して述べる。

文章表現がうまいかへたかはすぐ分かるものだ。

中身が伝わるかどうかが評価の基準だ。

それでも口頭で述べることも難しいものだ。

どっちがどうというのではない。

要は、それらを発する大元がどうなのか・・・、にあるのだ。

 

大谷、ジャッジにHR阻まれる?

フェンス際で捕られた。

残念か、それともあっぱれか。

球場のフェンスは、その日によって変更するというのも一案か。

また、ボールも飛ぶやつとそうでないのと数ランク設けて、ある条件をつけて選び出すというのはどうか。

米国のGDPが上昇したら、フェンスを1m狭くする。

同じく失業率が減ったら、飛ぶ球に変えるとか・・・。

野手は飛球を捕れるように、小型のロケット靴をはくというのはどうか。

となると打者のバットにも何か細工が欲しくなる。

飛ばないバットと飛ぶバットを選べるなんていうのはどうだろうか。

トンデモナイ・・・。

繰返しはつまらないか

プリーズリピートアフタミー。

こんなフレーズがあったな。

どんな意味だったか。

Please repeat after me.だったかな。

リピートアゲン。これもあるか。

なんどとなく繰り返すのが、学習や勉強のコツだったりする。

もちろん、運動でも同じだ。

さらに言えば、日常の生活だって繰り返しだ。

そして、国家の政治や、国際地域の関係だって同じだ。

順調にいっているのはうまい具合に繰り返されている時にだけ言える。

しかし、少し長期的な視点でみると、その繰り返しには、戦争と平和とか混乱と正常化が頻繁に見える。

ただ、繰り返すのみの人生とか社会はつまらないか。

戦争は二度としないと誓いながら、いつもこの社会から戦争はなくならない。それはなぜか。

ただの繰り返しの中に新たな破壊兵器や情報攪乱の新技術が生まれるからなのか。

なぜ、そうしているのか。そうなってしまうのか。

それは、鶏と卵のような関係かな・・・。どっちが先なのか。

平和と戦争のどっちが先なのか。平和は崩れると戦争になる。戦争は収まると平和になる。

どっちを選ぶなんていうのではないことは確かだ。

そんな繰り返しは、絶たなければならないのだ。

争いやもめごとはひとの心から生まれるという。

それならば、ひとの心を上述のセオリーに沿って制御していくことで望むことを成し遂げられる気が少しは出てくるかもしれない。

 

 

ムリムラムダ

そりゃ無理ですよ。

そんなにムラがあっちゃだめでしょう。

なんといっても無駄が多すぎます。

ムリムラムダの使い方としては、こんなものだろうか。

無理してませんか。

ムラばかりですね。

無駄です、何をしても君の場合はダメです。

そうかムリムラムダの後には、ダメだしがくるようだ。

つまりこれらは、私たちの行動の中から排除すべきことがらに結び付いているのだ・・・、そうだろうか。

そうかもしれない。

では、このどうしようもないコトバをどう活かすかが課題になる。

無理の対語は、なんだ。有理かな・・・。

ムラの対語は・・・、緻密かな。

無駄はどうだろう・・・、有効かも・・・。

有理、緻密、有効に生まれ変われる・・・、ということか。

ムリムラムダをうまく使いこなせば、そうなるのか。

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