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2022年7月

低成長って悪なのか?

成長ってなんだ。

赤ん坊から大人になることが一番わかりやすい成長の定義ではないか。

だれにも分かる。何もできない赤ん坊が大人になる。

もちろんすべての才能は生まれた時にもっている。

DNAの中に成長のメカニズムがある。

だれもが最後は死ぬというプログラムに従う。

だから、奇妙な永久に成長するパターンはない。

どんな英才も天才も神童達もぼんくらの大人や老人になって死んでいく。

だから、そこに成長のために起きる滞留はない。

なんというシステムだろうか。

経済はいつまでも成長を続けるシナリオでしかないようだ・・・。そうなのか・・・な。

疑問はある。経済は成長を鈍化させることも高度に跳ね上がることもあるが、どうもなんらかの制約をもっているようだ。

経済はひとの作ったものだから、ひとの心理に影響を受ける。

高度成長は長期的にみて右上がりのカーブを急激に描いている。

それをどうするのか。

ずんずんと右上がりにしていかないといけないのか。

経済成長の指標がおかしいのだ。

ひとは持続性に気づいている。

ひとは自然に囲まれた暮らしが一番だとしっている。

家族の語らいや集いは集落での祭りなど伝統文化を地域ごとにもっている。

他国や他地域の貧困を踏み台にする成長は不要だ。

みんな背たけにあった景色をみて日々の暮らしを楽しむ・・・、そんなイメージが浮かぶ。

経済成長の指標は、ひとびとの暮らしへの満足度ではないのか。

しあわせとか、こころのやすらぎとか、努力の喜びとか、いろんなものがそこにはあるのだ。

POW

戦争捕虜となったらどうなる。

国際協定(?)でいのちは保護されると解釈している。

だが、現実はちがうようだ。

いのちのある動物、ひとと意思の通じる生き物としてこき使われる。

生死の境目の食事で働く効率のいい労働単位に見られてきたのではないか。

いくら苦しくて働かされても、いのちだけは国際的な協定で保護されるというのを信じるか。

そんなもの信じないとすると、そこで自害したり、突撃してとにかくいのちを終わりにする。

兵隊として恥辱を味わうのが嫌だからと、グループで絶つなんていうのもあっただろうか。

虚しくてさみしくてなんとも言葉にならない。

だが、現実はそうなのだ。

過去の戦争で同のこうのというのではない。現実にあるところで起きている。

捕虜にならないようにする。きわどい綱渡りなんてやらないことだ。

そのためにはPOW(戦争捕虜)なんて作らないことだ。

我が民を守るのだ。民主国家ではそれが国民の願いだ。

そのための政治であり、外交であり、経済政策ではないのか。

政治家は、戦争に備えて武力を蓄え、武装を強化し、戦力の増強を推進しているのが勇猛果敢で選挙での勝利に結びつくとでも思っているのか。

大きな間違いだ。戦争をなくす・・・。

そのためにどうする。

闘うのか?

闘わずに敗北するのか?

争うのはちがう舞台があるのではないか?

そこに人類の英知をつぎ込んでいくための議論や研究を行う科学を今、私たちは手にしているのではないか。

それをどう活かすか・・・。POWのいのちをどうやって元へと戻す。POWをつくらない社会が大切なのだ。

ひとりの独裁者にはいのちの制約がある。

社会は、いのちの橋渡しをする。かしこい選択というよりひととしての当たり前の選択が平和であり、戦争に対峙することばから離れた定義が今、必要ではないのか。

清濁併せ呑む

ひとが偉大になるに必要不可欠なことの基本らしい。

清濁を飲むなんてなんてこった。

濁ったこころを清めるのなら分かる気がする。

しかし、清い心で濁ったこころを受け入れるのはなぜだ。

なぜ、清いこころで勝負しない。

濁りに清らかさは勝てないからだろう・・・。

だから、悪が正義を亡ぼすことのないように、正義は悪を子飼いにしたがるのではないか。

やくざの取締り官は、やくざにまけてはいけない悪なのだろうか。

そういうやりとりとはちがう・・・と言われそうだ。

大衆のイメージは、理想的なものを取上げる。

現実は、ほんとうは曇っているし、汚れているのだが、そこを装うことでごまかさないと公道は歩けない。

裏道をあるく時の姿で、表をあるいたら、一瞬にして大票田は飛んでしまう。

あっという間にそうなる。

清濁併せのむ度量があるかどうかが、政治家の信条のようだ。

犯罪に手を染めて、政治家とは清濁うんぬんと抜かすならば、行き先は決まってしまう。

裏切りが頻繁に起きる世界でもあるからだ。

中途半端な場合は、返り討ちにあって本懐を遂げることはないだろう。

徹底していかないと・・・という気持ちが、どこかわびしく感じるのではないだろうか。

そもそも悪いことは悪いのだ。

そこの区切りをつけてひとは社会に臨むべきではないか。

清濁併せのんでいるひとがいるならば、それはすぐにわかるはずだ。

そんなときは基本をだいじにして生きることだ。

おのれの信じる道を歩むという気概をもとうではないか・・・、どんな時でもである。

坂道が好き

坂道は上りがきついのだ。

そして下りは楽なのだ。

これって正解ではない。

帰りの下りの方がきついのだ、ほんとだ。

一見楽そうに見えるがからだへの負担は下りの方が大きい。

だから、みんな坂道がすきなのだ。

着想と中身がちがうのが驚きであり、発見なのだ。

そこから坂道への興味が湧いてくるらしい。

全国には、そんな坂道愛好家がわんさといるらしい・・・。

 

後悔の日々

ああ、あの時に思いついたことをやっておけば良かった。

さも、何もないような表現である。

しかし、そこには希望的観測しか入ってはいない。

努力もせずになにができようか・・・ってことだ。

まあ、後悔の日々というのだから、そういうことか。

すべてがうまくいけば後悔なんてないのだ。

だが、そんなこともない。

ある程度うまくいく、どうも全くうまくいかない、そこには程度がある。

すべてをあきらめればどうなるか。

なんの後悔もしなくいいし、そんな後悔するなんていう感情や気持ちもおきない。

それでいいのだろうか・・・。

決してよくないが、そうせざるをえない事情をくみ取ることも必要かもしれない。

マジかよ・・・

マジです。

世の中は全て現実です。

そこから逃避しようとしても無理です。

リアルともいいますね。

バーチャルではないのですよね。

マジなんです。

不利を回避するには・・・

制裁を科す。

課される方は弱そうだ。

しかし、うまく利用されてしまうことがある。

油断するとどうなるか。

もともと有利なのだったが、いつの間にか逆転に次ぐ逆転のようだ。

ほんとうに知らぬ間に悪者にされていて、あいつが悪いのだとなってしまっている。

なにがあった。

ロシアに制裁を科すという方針や政策がいつの間にか、経済に打撃を与える材料にされている。

当然、しっぺ返しはあるとしても、相手の打撃が小さいのだというのか。

そんな上辺のことで騙されているのかもしれない。

不利を有利に持ち込むには、それなりの知恵と仕組みの活用が要るのだ。

不利であることは、見方を変えれば有利にもなる。

そのメカニズムをどうみるかだ・・・。

なぜこの俺が・・・

どうして俺だけが、こんな目に遭うのか。

だれしも、そう思う時がある。

もうどうしようもないという場面で、どうする。

なぜ俺だけが、私だけが、こんな目にあうのか・・・。

それが現実であればあるほど逃げたくなる心境であり、複雑な心理に陥る。

わからないというのが真相だろう。

そして、現実はリアルなどと思い、バーチャルならどんなにいいだろうとか思ったりする。

そして、再度、リアルなのだ・・・と認識し、なぜ俺だけがどうしてなんだとともがくことになる。

これを繰り返してもどこにも答えはない。

とくに健康上の問題、病気やケガの場合は深刻だ。

周りからあのひともうだめらしいよ・・・とか、あいつ仕事もしないで・・・、なんていう言葉が聞こえてくるような気配をしみじみと感じてしまう。

現実は、どうしようもない。

現実は、現実だ。

ありのままなのだから、それを受け入れるしかない。

受け入れればいいのだ・・・となるには、相当の時間がかかる。

そして、自分で納得しなければ、意味はないのだ。

そのためには、己を説得するしかない。

なぜ俺だけがではなく、どうして俺なのか・・・という視点で物事をみる。

そこにはトンネルがあって、つながっている。否定的な世界観と肯定する心理の間の人道があるのだ。

夢を形にする

あなたの夢はなんですか。

私の夢はこうこうです・・・。

そりゃすごい。

すごいですね。

そうでもありません。

私にとっては夢なのですから、すごいとかいうことではありません。

ただそうしたいという気持ちがあるだけなのです。

そういう形が夢を実現するってことなのかもしれない。

座がなごむ

自然な形で誘うことが大切だ。

なごませるでは、なんとなく峩々強すぎるから、座は決して和みはしないだろう。

そんな風に見えるということでしかない。

よそ行きのニュアンスかもしれない。

もちろん、どういう形がいいとかわるいとかいうのではない。

和んでいる座は、硬そうな堅物がほろ酔い加減だとかいうのではないか。

周りが気を使わないようになる。

そこにはなんらかの雰囲気が漂うはずだ。

あいてが自然にはなし、こっちもそういう感じで話をするというような感じだろうか。

敗戦は成功への近道

あまりにもヒーロー的だ。

スーパーマンは別の宇宙から来たのだという。

地球で生まれた大谷選手は、未知の宇宙からの使者ではない。

日本で生まれた野球少年なのだ。

少年野球のキャプテン翼なのだ。

いくらかでも多くの経験を積んで、そこから新たな未知の道を切りひらいてほしい。

そのためには、自分の責任での敗戦や失敗はいくらでも体験すべきである。

チームの勝利は、チームメイトがかちとってくれるはずだ。

そんなチームがいい成績を残す。

みんなが自分はヒーローであり、天才なのだとメジャー選手ならだれしも思っている。

そんな心理がチームを優勝へと導いていくのだ。

知りたいことはあるか・・・

あるか、ないか、わからないか、それとも知らないのかもしれない。

知りたいことは多分分からないこととか、不確かなことであろうか。

私は分からないと答える。

なぜならば、その時々で知りたいことは変化するからである。

常に、何を知りたいかを意識してはいるようだ。

でも、ほとんどは忘れている。

自分の力で・・・背番号17

大谷選手が注目の試合に登場している。

自分の力で二刀流を推し進める姿はまぶしく輝いている。

記録は問題ではない。

そこに己の力で推し進め挑む姿がすごいのだ。

だれもが思い描いても、現実離れだと言われることをやってみたいといい、やり遂げている。

多くの否定的な評価をものともせずに己の力を信じて突き進める。

そして、だれもが次のコメントをどうするかさえ忘れているかのようだ。

彼は例外というのがせいぜいの悪たれのようである。

さて、結果はとくに問題ではない・・・。

その延長線上の姿が大切なのだ。

 

あなたは左利きになれますか

私は右利きだ。

だが、左利きにとてもあこがれている。

だって、そんなに器用に左手を使う。

そして、ほとんどのひとが右手も使えるということのようだ。

生まれつきとはいうが、どうも、子供のころの習慣が影響しているともいう。

右脳と左脳はどっちがどっちか分からないが、逆に作用しているという。右利きは左脳が発達しているということのようだ。

左利きは右脳となる。

両方使えるひとは、両方の脳みそが発達するのだろうか。

片方は休ませる。非常事態が起きた時に、二つある臓器は片方の役割を代替するともいう。

両方使わせると、機能低下が起きる可能性はないのか。

こう考えてくると、やはり自然のままの方がストレスがなくてよいとの結論だ。

だから、私は左利きにはならない。

そのひとの生き方

よいとかわるいとかはない。

どれが、どんなことが当人にとってやりやすいかがその基本的な基準になる。

ひとの成長は、環境によって変わるという。

良い環境は、当人にとってどれだけ満足できるかで決まる。

悪い環境は、他人に合わせる、他者の生き方の規準に当てはめてしまうことだと分かる。

そのひとの生き方は、そのひとにあったものにできるだけしてやることではないだろうか。

それでも、不安は残る。当人が満足することはないのだと私は知っている。

そこにそのひとの自律と自立があれば、必ず見つけ出せると私は信じたい。

こつこつはたらいていきていきたい

こつこつ・・・と働く。

それで生きていく。

そう決めた。

いろいろなところから、コツコツという音が聞こえてくる。

世界が何かに目覚めているのだろうか。

ひとを殺すなんて、そんな生き方に反する。

バツとプラス

いずれも45度回転すると互いに入れ違う。

マル、バツ、サンカクとはよく使う。

しかし、バツとプラスはあまり関わりがなさそうだ。

でも、だれかが、そうと決めたのだ。

でも、どっちを先に決めたのだろうか。

プラスとマイナスなら同時に決めたのだろう。

足し算引き算で必要だからね。

バツは二点が地についているから、安定してはいる。

だが、印象としては悪い方のイメージがある。

プラスは一点のみだ。不安定だ。プラスが45度傾くと安定するということか。

マルは転がり続けるから、サンカクの移動防止の留め具が要る。

バツでもよさそうだが、棒のの先が刺さりそうだ。

風船なら割れてしまう。

これらの競い合いなら、どっちをどんな理由で勝ちにするといいだろうか。

乱獲を防ぐ手立て

資源を管理する。

管理には保護と開発が共存する。

その狭間を見極めることが資源管理だろう。

放置すればいいとはだれも言わない。

自然淘汰で消滅する可能性が大きいからだ。

力の強いものが、つまり生命力の圧倒するものが生き残る。

生き残るだけではなく、他の種を淘汰する。

すると、多様な世界は単色に近くなる。

乱獲を防ぐにはどうするか。

強いものを弱体化するというよな施策が要るのだ。

この地球で乱獲を防ぐ手立ては、人間の力をなにかが制御しないといけないことになる。

魚の世界をひとが管理するなんていうのは、少々おかしいのだ。

自然界をそこにある道理とか原理とか原則をうまく嚙合わせることによってある種のシステムができる。

だが、自然の寿命は宇宙の中での出来事であり、すでの半分の50億年は過ぎ去っているらしい。

そして、そこに人類のような知的生物が出現するのはほんの数億年でしかない、数千万年かな・・・。

で、なんとする。宇宙を制御するなんらかの法則がきっとあるのではないか。

ありのままにという表現でしか、私たちの言葉では言い表せないきがする・・・。

頼み事とごめんなさいの関係

お願いしたいことがあります。

そういうと、いやお前はその前にしなければならないことがあるのを知ってそれを言ってるのかとの声がした。

お願いする前に、過去のことを謝罪して反省しているかどうかをちゃんと示しなさいということのようだ。

どうもいつも先走りばかりで、自分勝手な性格は変わらないようだ。

より年をとっていることが気まずい・・・

老人は若者に対して、もう老いているということにおいて引け目を感じるのだという。

いや、イベントに行ったらみんな若者ばかりだったと・・・いうのだ。

彼らはまだ10代だ。そしてイベントの対象は、5歳児だったらしい。

みんな新生児に足して引け目を感じるだろうか。

いや、そんなことはない。

引け目は成長過程を終えたあとの話だろう。

ということは、成人年齢をひととしての成長の終わりととらえれば、それ以上のひとはみんな同じ心理になるということだ。

たしかに、30歳とか、いや22歳ごろにも、ちがう仕事をするには、もう遅いかなと感じたりした。

ただ、その当時はひととしては大人になっていたとしても、まだ経験が不足しているから、その習得にまい進している最中だろう。

それでも、自分より先に同じ道を歩んでいる仲間には引け目を感じたりする。

まったく違う職種につこうとすると、もう遅いかなとより若い人たちをみて思ってしまう。

同じようなことが自分にも感じていたりするひとがあるのだとは最近になって知った。

気まずさはどっかへおいてけって・・・いうのが正しい判断だと私は考えている。

いいやつほど早く・・・

はやくに亡くなるのは、いつもいいやつばかりだ。

そんな思いがある。

なぜだろうか。

しかし、常にだれかがなくなるのだから、早い方がいいやつだというのは当たらない。

それは、その時だれかより、早くなくなったひとが、そのひとよりもいいやつだったなと思うひとがいるってことだろう。

そして、そのいいいやつの指標はひとつではない。いくつもあるのだ。

だから、みんなほんとはいいやつばかりであり、そうでない奴でもあるのだ。

多様な面をもってひとは生きているし、そして死んでいくのだと私は思う。

でも、はやくにいなくなった友はみんないいやつばかりだと私は思うのだ。

がちんこ

真剣勝負という意味だろうか。

本気でかかるの方が分かり易いか。

それとも、死ぬ気でやるというようなことか。

ケンカのガチンコ勝負なんていうのは、大けがにつながりそうだが、中途半端でやるよりは怪我はすくないともいいう。

しかし、死は覚悟せねばならないだろう。

刃物をもって相手に対峙するなんて、刀でなければできない息がする。

でも、ピストルとなると、これは刀でも手が出ない。

武器の移り変わりのある時代では、時代遅れで多くのひとが死んだはずだ。

鉄砲隊の前に名刀をもって立ち構えても、あっさりと撃たれ死んでしまうからだ。

歯には歯を、鉄砲には鉄砲を、ミサイルにはミサイルを・・・。

そうくると、ガチンコの戦争では核爆弾、核攻撃となってしまう。

第三次世界大戦ともう名前はある・・・。

その脅威は日に日に高まっているのは事実だ。

ロボット兵の導入も次の時代には、大きな問題をはらんでいそうだ。

ロボットの心理的な発達や成長を人間社会に当てはめていくには、そこに人権というかロボットの権利があるからだ。

そんな前提でいても、今、ウクライナでは世界の大国が殺戮をしているのだ。

もちろん、抗戦している側もどちらも前線では、いのちを落とし合っている。

これで政治家が必要なのかが疑わしくなる。なにか悲しい世界の味がしてしまう。

がちんこなんていうのは、もっとまっとうな世界でのはなしにしてほしいものだ。

空白を満たす

こころの空白は埋まるか。

埋めるにはどうしたらいいのか。

疑問ばかりが出てくる。

正直わからないのだ。

空白があるといけないのか。

こころの空白とはなにか。

あなが開いているのでそこがなにもない空間になるのか。

もともと空間にはなにもない。

空気があったり、宇宙空間のなんとか粒子なんていうことは耳にするが、具体的にはよくわからない。

バケツの空間は水で満たせる。

こころの器もバケツならば、同じ要領で満たせそうだ。

でも、何で満たすのか。

そりゃ、愛情だろうか。

いや、憎しみかもしれない。

喜怒哀楽で満たすのがいいのではないか。

どんなものでも、そこに空白があれば、満たせるのはなにだろうか。

空白は傷ではないので、治癒する必要はないだろう。

単に満たすだけでいい・・・。

サニブラウンハキーム

世界陸上100mの決勝進出だ。

日本人として初めての快挙だという。

7位入賞だ。

PBを出せば1位もある・・・。

そんな夢のようなことが現実になったのだ。

女子世界マラソン

松田選手、頑張ったようだ。

20人ぐらいのグループの後ろについていたが、離された。

解説の高橋がアフリカ勢は速いので、自分のペースで落ちてくるランナーを拾えるといっていた。

10位以内になったのだから、結局は走り向いた。

自分の走りを貫いたということだろうか。

コロナで3人が1人になったのが、とても残念だがよく松田選手が頑張ったと思う。

動物は何を考えているのか

危険な動物は、ひとをそう感じている。

だから、用心している。

ひとがいるときは近づかないとか、住んでいる地域には立ち入らないとかをまもっているようだ。

しかし、食べ物がなくなれば、村に近づいて探しもする。

そこで邪魔されれば防御もする。

動物はこどもを育てる社会性を持っている。

群れをつくって行動する種が多くある。

ひとはその一つだろう。

動物は互いに争う。メスをめぐっての行動はどの種にもある。

ゼネレーションギャップなんていうのもきっとあるはずだ。

でも、いったい、どんなことを考えているのだろうか。

ペットの心理はよくこういう話のネタにされる。

あまりひとと変わらないというのが私の印象である。

海の日

祭日なのだ。明日は、休日なのだ。

そして海の日だ。

もう夏だ。

海水浴場は閉鎖されているところが多いものの、それでも浜辺はくつろぐ人々でにぎわっているようだ。

外国のグループは陽気である。

南米もあるし、フィリピンの人たちもとても活力がある。

海洋民族は、どこからどこへと渡っていったのか、そしてやってきたのか。

その当時の海は、今の宇宙、太陽系のような存在だっただろうか。

現実かどうかの議論が疑惑のような形ででたのは、月面探検だった。

今ならば、もっと簡単にVRとかARという仮想現実のような仕組みでごまかしがでそうだ。

でも、戦争はあまり昔と変わらないようだ。

でも、それでも、かなり変化しているのは確かだ。

ひとが殺される、ひとがミサイルで死ぬという現実がなにか、戦略上のこととして無視されてしまっているのはどこか疑問を感じる。

私たちの心理メカニズムに誤算が起きているのではないか。

正常に認識できないような何かが生れてしまったのではないか。

殺し合いを助長するようなそんな気風が見え隠れしている気がする。

明日の海の日に私たちが考えるべきことはたくさんある。

狭間で揺れる心

これで仕方がないのだ。

幾度となく自分に言い聞かせている。

それでも、時々、どうなんだろうとなるのだ。

それは心理の境界のようなところでも出来事ではないか。

道端の草花が通り風で揺れるかのような気配がするのだ。

仕方がないのだろうか。

仕方ないんじゃないのか・・・。

通り風がやめば、こころの揺れはどっかへと過ぎ去る。

しかたないんだ・・・とつぶやく。

ノーベル平和賞はなんのためにある

ノーベルはダイナマイトを発明し、その普及で一代資産を形成した。

その成果を社会と世界に貢献しようと財団を設立し、褒章を与える制度を構築した。

世界最大の栄誉とされる所以だ。

物理学賞や化学賞、経済賞などとともに、平和賞があるのはみんな知っている。

日本の首相もかつて栄誉の対象となっている。

だが、昨今の世界を見ると、何か平和賞の大賞が偏っているような気もする。

なぜか、いいこと(平和)を目指すのだが、その反感として戦争や紛争が絶えないのだ。

だから、平和と真逆の戦争賞を作ってはどうだろうか。

戦争や社会の混乱に貢献したひとをその候補とするのだ。

過去にはかの有名なヒトラーとか、核爆弾の開発者オッペンハイマー博士とか・・・。

この辺は疑問ばかりだが、ノーベル平和賞がなんのためにあるのかと問えば、戦争をなくすためにある。

でも、人々は戦争のリスクとそれが顕在化しておびえる現実に目をつむってしまう。

目を詰めれば、知らぬ間にいのちは消えている。

年齢に拘わらず、性別の区別なく、一つの命がなんとも路傍の石っころのように粉々に蹴散らされているのだ。

だれがなんのために日々の暮らしを邪魔するのか・・・。

そんな元凶には目印をつけておかないといけないのではないか・・・。

未来が予見できれば、警告もできる。

だが、現実には当人すら知らぬ間に、戦争犯罪人になっているのかもしれない。

少なくも政治家たるものは、戦争責任を免れるというおかしな論理を捨てるべきである。

政治家は庶民の代表であり、庶民の日々の暮らしを他国であろうとも、壊すひとではないはずだ。

とても虚しい心境になってしまう・・・。

葛藤

蔦の絡まる校舎なんていうのも、葛藤か。

高校生という時期は、かなり精神活動の盛んなころだ。

そこでどんな刺激を受けるかで、人生が決まるようなものかもしれない。

ひとは迷い道に入り込むことが多い。

そんなとき、出口を見失う。

なぜならば、葛藤があるからだ。

あっち、こっち、いや、そっちか。なんとも出口は見つからない。

だから、三段階での解決策を簡略化しておかないと、脱出はできない。

だめなら、どうする。とにかく命あってのものだねなのだ。

いのちを終わりにするという前提での行動はあり得ない。

なら、出口が見つかるまで葛藤するのがよい。

迷っているようで、すぐに思考が上昇していくはずだ・・・。

信教の不憫さ

この国に生まれたから、仏教徒だ。

西欧ではキリスト教だ。

いろいろな教派がある。

イスラム教、ヒンズなどが主な世界の宗教だろうか。

その他地方、地域独自の宗教が数多くある。

神教は神棚だし、仏教は仏壇だし、日本の家庭はほとんどが神仏を敬う。

しかし、これら心の平安を目指す教えどうしが対立するのはなぜなのか。

平和を望む宗教が宗旨がちがうとすぐに事件を起こし争いになる。

宗教は魂の神泉に関するものだから、いのちの有無とか、この世への未練を省略してしまうのだろう。

だから、みんないとも簡単に死に行ってしまう。

ここに信教の不憫さがあると私は感じてしまう。

コップの中の出来事

地球上の気象の変化もコップの中の気流の流れと同じだと、だれかがいった。

たしかに洗面器の反対側の振動は対面に伝わるし、これも器の中の出来事だ。

ひとの心理的な現象はどうか。

ひとの頭の中の空間の出来事のようだ。

そこにしかないのだ。

もちろんいろいろな表現方法によって、外にでて他者に伝えられるのだが、発信源は頭の中だ。

コップの中に80億のこころが集まったら、どうなるか。

意識だけの世界だから、武器はないし、使えもしない。

意識の伝達で攻撃する、防御する、そして、武器を手にしたときにその頭の意識としての構想が爆発する。

殺戮、虐殺、正当化、敵対化・・・。

コップから解き放たれた意識は、現実の武器を手にして、破壊活動を行う。

私利私欲で正当化する。

組織をつくり、多数工作をする。

反対意見は弱者として閉じ込めて小数化を図り、虐待する。そして抹殺する。

味方だけの世界になる・・・。そうはならない。

元々、ひとは多様な生き物の中の一つでしかない。

単純化されれば、どんどんとその能力は萎んでいくしかない。

供給が絶えれば、成長は止まり、衰退するだけになる。

コップの中も外も同じだ。

コップの中の意識はなくなり、そして外での活動も消滅する。

つまりからっぽのコップが残る。

それは地球かもしれないし、宇宙と私たちが呼ぶものかもしれない。

挑戦する魂

挑んでもどうせ負ける。

初めから決まっている。

で、どうする。

挑む。

で、敗北だ。

で、どうする。

挑む。

挑戦する魂が消えない限り、それは続くのだ。

 

リスマネ

ひとはどんなひとでも、いつも危険に曝されている。

それらを当たり前のこととして、日々の生活をしているのだ。

だから、ある日突然、それが表にでてきても驚くことではない。

いのちは、常に薄氷の上にある。

だから、季節によって氷の厚さがどのぐらいかを推測して、暮らしている。

それでも、ちがう危険があることは忘れてはならない。

己のこころの変化だろうか。

もういいや、この辺でいいだろう、俺なんかもう用なしだろう。

そんな思いが、いのちを守るという意識を遠ざけてしまうようだ。

マルタイが危険を認識していないと、いくら優秀なSPでも護れないというセリフがドラマではでてきていた。

現実もそうなのだろう。

でも、現実離れという言葉で、あのひとは危険を顧みないから・・・なんていう美辞麗句(?)がでたりする。

票のために生きている政治家は、選挙に命をかける。

だから、そこでの戦いはすべての危険に勝るものなのかもしれない。

リスマネもそこのところは、なんともいえない。

有名で有能な政治家は、到底、そんな方針で選挙や公開演説に臨めるはずはない。

ちゃんとしたルールにのっとり活動する。

マルタイとしての自覚をもって政治家としての務めを果たす。

務めをりっぱに果たし終えた政治家はどうする。

元総理は、日本にはまだ多く残っている。

どんな自覚でこの国を導いていくのだろうか。

国家、国民としてのリスマネをわれわれが自覚しないと、それは進みはしないようである。

暗い店内

そういえば、照明が少なくなっている。

スーパーの店内のことだ。

商品の陳列部分は照らされているので、目立っている。

だから、問題はなさそうだ・・・。

でも、コロナウイルスにとってはどうなのか。

このところ急に増えているのが気になる。

薄暗さと関係あるのか。

もっとも悪は暗がりに集まり易いというから、無関係ではなさそうだ。

こころの中も少し暗くなり始めているのかもしれない・・・。

ようやく青空が・・・

今日は、雨雲がなさそうだね。

というと、すぐさま、暑くなるのは嫌だね・・・と。

どんどんと嫌なものが見つかるようだ。

暑さが過ぎると秋だが、すぐに寒い冬がくると・・・なるのだ。

さて、どこで好きな天気や気候になると言えばいいのか、ちと悩んでしまう今日この頃です・・・。

探し物はなんですか

何を探しているのですか。

それが分からないから、何かなのです。

探すとはなんですか。

ないものを追い求めて手にすることでしょうか。

あるものでも気づかないことがあります。

探し物は実はちかくにあったり、既に手にしていることがほとんどです。

いい人生を送りたいというのならば、既にあなたはそこにいるのです。

そう思うこと自体がそれを意味しています。

周囲からは客観的見えてしまうのです。

でも当事者はしらないだけなのです。

それでバランスをとっているのかもしれませんね。

だれがだれのバランスをとるのですか。

それは、だれでもなく、あなた自身のことです。

 

負の思考スパイラル

たしかに己の身に降りかかった火の粉は憎たらしいものだ。

なんで俺が、どうして俺だけがそうなる・・・。

いつも俺は運がない・・・。

俺には才能がないのか・・・。

そうではない・・・。

環境に恵まれていないだけのことだ・・・。

なんで俺だけが・・・(幾度も繰り返す文言だ)。

何度でもでてくる・・・。

もういい・・・となる。

終わらせよう・・・。

だれが、こんな風な俺にしてしまったのか・・・。

きっと、あいつのせいだ・・・。

あいてが悪いんだ・・・。

悪いのはあいつなんだ・・・(なんら根拠のない理不尽さに気づくも、これも幾度となくでてくる)。

そのうち、それになんの疑問も持たなくなる。

負の思考のスパイラルをどう上昇に転換するか・・・。

全力で後ろ向きに走ってみてはどうだろうか・・・。

そんなものなんら効果はないだろう。

でも、負の心情をプラスにするには、ゼロという通過点があるのをまずは認識しないと、前には進まない。

だから、できるならば、一度マイナスのマイナスの底になんとかたどり着くことで、最も深い底を自覚し、認識することが最短の解決策となることもある。

でも、難しい・・・。

なぜだろうか。

少しでも上昇したいというそんな思考回路が、そんなマイナスの思考を許さないからだろうか。

プライドとか誇りとかいうものが、最低の人間にも誇りはあるとか・・・、意味のないことばが脳裏をかすめる。

振り払うかのように、なかなか負のスパイラルに気づけないで終わる・・・。

ブレーキがないので、落下すると、すべては木っ端みじんになって消え去るのだ。

ほんな少しだけ浮揚する力を与えれば軟着陸ができるのに・・・、と思うのは俺だけだろうか。

失敗は成功のもとだというが、現実は、だれしもそんなことを何度となく繰り返して生きているのだと・・・思う。

 

相撲取りの生き方

褌、まわし一丁で世の中を渡る。

なんといういきのいい人生だろうか。

若い心身を土俵に向かわせるのは、なんなんだろうか。

ほんの、ごく一部の若者が関取になる。

いくら年をとっても番付でしか評価されない。

それでも精神力が続く限り、相撲を取り続けるのはなぜなんだろうか。

なにかそんな人生にむやみにいとましさを感じるのだ・・・。

土俵にたたきつけたその情熱がなんと素晴らしいものかと・・・、涙がでる。

でも、私にはできない、雲の上のできごとでしかない。

そんな関取をめざす若者にあっぱれといいたい。

生きていること

生死の境をさまよう。

みんなだれでもそんな経験を持っている。

大小さまざまだろうけれども、そこには当事者としてのいのちがかかる。

あるかないか。その二択でしかないのだ。

みんな同じだ。

一瞬でいのちは消える。

あればなんということもない80億の一つでしかない。

なくなる。どっちかの一つだ。

なんとか助かったと喜ぶか、それともそれは単なる偶然なのか。

多分、偶然だろう。そう私は思う。

人生は偶然の重なりでしかない。

誕生そのものがそうではないか。

それならば、死も同じだ。

生きているか死んでしまったかは、あまり関係なさそうだ。

なぜならば、生きているという感覚は認識できるものの、死ぬことに関しては成り行きしか分からないのだ。

今、死んだんだという実感はだれも認識できないのだ。

それが生きていることそのもののような気がする・・・。今、俺、生きてる(実感)。

VIPの警護に想う

映画やドラマの世界でしか知らない。

しかし、ひとは最後は実力を使うようだ。

現実にそういう危機に対応するには、かなりの制圧力が必要になるはずだ。

100倍の力で周到に準備してはじめて可能となる過酷な世界のようである。

なぜ、背後から狙うのか。

そこが盲点だからだ。

では、警護のプロが知らぬはずはない。

この日本は何か誤った安全神話を国民がもってしまったのではないか。

敵が攻めてきたら、皆殺しになる・・・。

そんな恐怖を前の敗戦では民主主義、人権という思想で消し去った感がある。

北の国での強制労働というのは問題にはなったが、帳消しになったのかもしれない。

気のゆるみがある。緊張感にほころびがある。

要人は常に狙われている。そんな前提にひびが入っているのではないか。

銃の規制があるからと油断していたのだ。

今は、手作りで銃もできるし、爆弾の製造もできるのだということを、みんな知らんぷりしているのかもしれない。

だれもそんな危ないことには手をださない・・・と。

プロの仕事に拘わらず、どんな小さな仕事でも、当事者にとっては大きな問題なのだ。

そこにプロの仕事の重要性が隠れている。

シンプルイズベストか・・・

シンプルさは何故に賞賛されるのか。

そんなに安っぽい内容でいいのかな・・・とはならない。

なぜならば、そこにあるのは、膨大な資料とその評価吟味の結果だからだ。

複雑怪奇な内容を分かり易く説明し、納得させる内容に絞り込まれているのだ。

だから、単に容易さを演出するというのは、勘違いなのだ。

やはり、ひとの心の琴線に響くには、それに耐えうる強靭さが求められるのだ。

シンプルは時に間違いを犯すという教訓はあったか、なかったか・・・。

安倍元総理の死

子供のころ、社会党の浅沼稲次郎さんが壇上で銃弾(?)に倒れた。

まだ10歳ちょっとだった。

いくらやくざ映画が盛んだとはいえ、そこには任侠道があるという筋書きだったから、政治家を暴力で倒すのはおかしいと子供心にも分かった。

その後、この日本は戦後が遠くなるという過程の中で、ありえない日本では・・・という神話を作ってしまった。

安全に対する対策が不十分になり、ありえない・・・というイメージが独り歩きしてしまった。

米国の議事堂襲撃事件も、ありえない日本では・・・という雰囲気でなんともおろそかな対処しかしていない気がする。

さぞ無念ではないのか。

この人生100年と言われる時代で長期政権を築いてきた当人が、まさかの死に至るというのは想像だにしていなかったに違いない。

世界のリーダーたちは常に狙われている。

だから、コロナ禍でのテレワークやリモートでの議論や訴えもごく普通になっている今、どうして生の人間が数少ない街頭での演説に精を出さないといけないのか。はなはだ疑問だ。

努力したという、過去のイメージで選挙を戦わないとしっくりこない・・・とでもいうのだろうか。

なんとかこの日本では政治家をこんなテロ行為のような危険から護っていかないといけない。

そこに日本の民主主義の行く末がかかっている。

連勝はむずかしいのか

大谷選手の活躍は、素晴らしい。

でも、チームとしては全体的な力の底上げがあって初めて上にいける気がする。

だれもがヒーローになる。

それがチーム力アップの秘訣かもしれない。

オールスター後の半分に期待したい・・・。

強いチームにはわけがある

他の強いチームをものともしない強さはどこからくるのか。

自信だろうか、それとも自然のパフォーマンスが結果を出すということか。

地道なトレーニングがその裏付けだろうか。

そして切磋琢磨というチーム内の争いが勝利を導くという図式だろうか。

なんといっても勝利するチーム内には、だれかれなく力を発揮できる雰囲気がある。

あいつにできるならば、おれにもできる。

あいつがやるなら、俺もやる・・・。

相乗効果が、選手間の刺激になり、だれかがしょんぼりしていると、この間下を向いていた選手が活躍する。

勝てないチームはいつもおののいているのだ、何か分からない何かを恐れているのだ。

連敗を恐れる。何を言われるか分からないから、緊張する。

これで勝たないとどうなる・・・。

不安が不安を呼ぶ、いつも失敗へのレールが敷かれている感じだ。

俺のところへその原因が来るなと回避したくなるような心理状態が監督を初めとする選手間に漂うのだ。

これでは勝てない。

常勝チームは、もし勝てないかもしれない状況でも敗けを意識しない。

常に勝利へのチャンスをうかがっているのだ。

ピンチも何もありはしない。

すべてが勝利への抜け道になる。

相手の心理が勝利という文字になろうとすると、選手の頭に不安がよぎる。

その不安を読み取り、じつに器用に操るのだ。チームが一丸になるのだ・・・。

 

 

世の中のしくみ

こどもらが黙っていても暮らせる社会を先祖は望んだのではないか。

暮らすには稼ぐ手立てが要る。

それを稼業という。

もちろん農業、漁業、林業などの第一次産業は、自然相手の仕事だ。

そして商業、工業などがある。

お金を扱う金融業は、社会のすべてのものに価値を与えて流通を促す。

これらはすべてこどもらが日々の暮らしを続けていけるようにとの配慮ではないのか。

だから、落ちこぼれても救われるというセーフティネットのしくみがそこに見えてくる。

いくらやっても暮らせない社会は、実はおかしいのだ。

先祖が作った仕組みをどんどんと忘れ去ってしまう。

お金が一番大事だというのは、ほんとうなのだろうか。

しくみについて考えてみよう。

すべてはハード型の姿勢で押し通すのか・・・

他国を侵攻する。

圧倒的に有利な状況で攻め立てる。

戦争を仕掛ける。

抵抗を受ける。戦死者が大勢でる。

街を破壊する。

暮らしをぶち壊していく。

捕虜を強制労働させる。

敵国民は、人間ではない・・・のだろうか。

隣国は敵なのか。

こわもての態度で国内を無言化させる。

その勢いで他国を攻撃し続ける。

ひとつの例を強硬に推し進めていく。次につなげていく。

持続性・・・だなんて言えるのか。おかしい・・・。

でも、力には勝てない。戦いで国民が死ぬ。

他の国もマネをする。

ウクライナの次は、どこか。

ロシアの次に攻め立てる国はどこか。

中国が日本をロシアとともに攻める。米国ではちょっと厄介なので米軍基地のある日本を責める。

核の被爆国に、また核爆弾を落とす・・・。そんなことを考えているのではないのか・・・。

このごろ、その動きは激しいようだ。

さてどう対処する。戦うべきか、右のほっぺの次は左があるというのか・・・。

世界が固まってしまう気がする。

ここでも勝てば官軍・・・、敗ければ賊軍・・・か。

勝っても正義がなければ敗けである。

そんな常識が通用する世界に教育を広めていくことが大事なのだと私は考えている。

愚か者だろうか・・・。

ひとこと

他者が至らないことをしている姿をみて注意する。

でもどうかなというのもある。

注意されたら、それをにべもなく断ったり、拒否するのは私は好まない。

でも、一瞬はかっとしたり、はっとするのだ。

そういうことでもいうんだ。

言うんだな・・・。

言われてしまうと、なんとも始末が悪いものだ。

・・・。

こころを病む

こころを病んでいるひとがいる。

こころとは何かを考えすぎたのではないのか。

だれもがいう。

ひとのこころと他の生き物のこころとはちがうのか。

ほとんど生物学的な生態や機能は同じなのだが、こころはちがうのか。

自律とか自制できるとひとのこころは思っている。

他の生き物はどうなのか。

野生のこころはひとのこころとはつながらない・・・とかいうのだ。

病んだこころをなおすにはどうする。

手当をする。

こころの肝心なところに手をあててやるだけだ・・・。

雨音

ぴちゃぴちゃだろうか。

しとしとピッちゃんだろうか。

それともザーザーか。

土砂降りならば、どう表現する。

雨に加えて風が出るのが普通だから、びゅうびゅうなんていうのも入るかな。

いやそれはないだろう。びゅうびゅうは風音だろう。

久しぶりの雨だ・・・。

当たり前は非常識かも・・・

非常識だな。

そう思われているならば、空気で分かるものだ。

ここでは、そうするらしいな・・・と。

そうか、今までのおいらの当たり前は通じないようだ。

とういうことは、まったく逆の思考で臨めばなんとかなる。

もちろん、そこで再度空気をよんでの結果次第ではある・・・。

当たり前は非常識なんだって今、知った。

どこでもあまり変わらないとばかり考えていたことが、非常識だったようだ。

今すぐ宇宙の果てまでいけるなら・・・

今すぐ、地平線の先にいく。

大航海時代のひとたちは、そこに夢をはせたのではないか。

私たちはどうする、今はどうやる・・・。

宇宙の果てまですぐに飛んでいきたいと思うのではないか。

そこには同じ気持ちが潜んでいる。

しかし、少し条件はちがう。

空気がないだろうし、ちがう気体が充満しているかもしれない。

もしも地球と同じ環境があれば、同じ人類がいるかもしれない。

知能の発達の下地が同じならば、すぐに言葉が通じたりするかもしれない。

きっと、夜空になんらかの信号を発しているのではないか。

今すぐは、数億年という単位ならしれたものだと言えようか。

条件はただ一つ、同じ宇宙の果ての人類が同じ過ちを犯していなければの話だ。

それはこの地球の人類にも当てはまる。

果たして持続性はあるのだろうか。

コラボ

中学生のころ、ラバトリーとラボラトリーがよく分からなかった。

ラバとラボで今は、分かる。これからラボにいって論文を読む・・・とかか。

当時は、ラバにいって・・・???だった。

コラボ時代は、様々な組合せがある。

原発事故は、トイレのない住まいだと言われた。

片方の翼しかない飛行機とかトリとか、様々なたとえがある。

でも、ひとに影響しそうなたとえはよくない。

それでもいつも悪い方の連鎖ではなく、前向きでプラス志向のコラボでいいのではないか。

すべてをマイナスに考えることができれば、それらは全て反対のプラス方向があるのだ。

モノサシはひとつだ。マイナスとプラスはつながっているのだ。

暗殺の恐怖

リーダーたるもの暗殺を恐れては、だめではないか。

危険はある。だが、そこに立ち向かうのはなにか。

勇気ではないか。

勇気を持っていないと、人前にでることもできない。

国民の前にでないリーダーは信頼を失う。

なぜでない。

暗殺の実態を熟知しているからだ。

現実を泳いでいるのだから、相手側のことも分かるのだろう。

それが当たり前なのだから、暗殺を避けるために人前にはでないのだ。

戦争を仕掛ける。それが当たり前だから、攻めるが勝ちだから侵攻する。

攻撃される前にやる。同じようなことだ。

自国に被害が及ばない様にやるのも、攻め入るための戦術なのだ。

自国民が被害に遭わないことを前提に敵国の大衆庶民を殺す・・・。なんという理不尽さか。

戦争そのものが、大国によって誤操作されている気がする。

勝てば官軍か。負ければ賊軍になる。

暗殺の恐怖が戦争を掻き立てたのであれば、それは精神的な修行が足りないのだ。

リーダーとしての素質が欠けているのだ・・・。

それをなおす薬はない。

国としては主権者である国民の意思をどう顕在化させるかである。

公正な選挙が行わなければ、そこでの可能性はない。

力の足りないリーダーは、居座りを決めて強権を発動するばかりだ。

でも、ひとは死ぬのだ。寿命があることをリーダーたちは忘れてはいけない。

私企業の公有化っていいの・・・

自由主義経済で、勝手に自国のものにできるのか。

独裁政権ならいざ知らず、なんと厚顔なことなのか。

サハリン2の国有化を大統領が命令したのだ。

国際的な規律に違反していないのか。

そんな私利私欲が通るならば、国際的な商行為なんて不可能ではないのか。

国際協定、二国間協定、これらに加えて安全保障とか相互助け合いなんていう協定や契約行為も無意味になる。

なにも懸案がなければ、どうでもいいことなのかもしれないが、有事に破棄しますなんていう条件をつけているようなものだ。

私利私欲が国家運営の中に入っているから、そうなる。

国家とは国民のものではなかったのだ・・・となる。

主権在民ではない。私権による国家の利用だろう。

許されるはずもない・・・。自明なのだが、不明にされている。

文章を書く

最初は、小学校低学年のころの作文だろうか。

文章で何かを表現するという意図は全く抱いていなかった気がする。

日記帳、夏休みの宿題だ。

絵日記がいいと思っていた。

文章よりは下手さ加減が調整できるとか思ったに違いない。

国語の時間は作文があった。

感想文、読書の感想を書きなさいと言われたのだ。

思ったことを素直に書けばいいのだよ簡単だよとか言われたのだ。

何も思い浮かばないので、頭の中に何もありませんとかいったら、そんなはずはないと否定されたのだ。

そのまま書けと・・・、つまり無ならば、それを書けというのだ。そして理由を添えよとかいう。

もう難しすぎる。たとえが分からない。だから、作文は好きではなかったのだ。そして、読書そのものが面倒くさくて嫌いだったのだ。

それなら、作文が嫌いで当たり前だ。

でも、文章で自分の考えを主張するなんていうストーリィは大好きなんだな。

世の中、なんとかなる・・・・。

バカ殿

お殿様は、バカがいい。

本当はちがう。

賢い殿様は、能ある鷹であるべきなのだろう。

真のバカ殿は、取り巻きがそれを繕う。

だから、賢君とか言われるのだろう。

本当の賢いリーダーたる殿は、バカ殿の様相を呈して身内をまもるのだ。

北朝鮮のケースが当てはまるのかどうかは疑問だ。

ましてや、中国、ロシアのケースはどうだろうか。

そして、日本はどうなのか。

バカ殿という表現は、世界にある。かの有名な裸の王様もいる。

米国の大統領にも似たものがなっていたが、あのケースはどんな評価だろうか。

様々な疑問というか、関連性が示唆されそうだ。

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