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2022年9月

大谷翔平

親の顔が見たい。

そこにいるのが不思議な気がする。

両親ともに、兄弟そろってみんな運動神経の優れた逸材だというのだ。

生れるべくしてうまれてきたとしか言えない・・・のだろうか。

でも子供のころはそんなに突出してはいなかったようなのだ。

自我に目覚めて、目標とか目的が明確になってきてそこに集中してきたんだろうと思うのだ。

普通は、あるレベルでスゴイナオレっておもって、停滞する・・・。

でも、自分の思い描く姿がすごかったのだろう。

だれも、いわゆる天才的なプロがこぞってありえない、できっこないといっていたのだ。

そこにストイックさがにじみ出ているきがしてしまう。

真実は定かではないが、すごくそこに集中して生きているらしい。

そりゃそうだろう。

だれもが上ったことのないそんな頂に到達するのだから、すごくなくては、普通の天才レベルではだめなのだ。

世界に冠たる大谷翔平だからこそ、できる偉業以外の何物でもないのだ。

歴史を作っているのが現実であるのが、とても信じがたいのだ・・・。

MVPはどうでもいい。

比べる方がおかしいし、だれも、そのことを望んでいるわけではないのだ。

もっとすごいところに挑んでいるのだ。

そしてそれは限られたところでの闘いなのだと、みんな知っているから、注目を集めるのだ。

いのちとはなんぞや・・・

だれもが一度は思うことだろうか。

そこに己がいるというのだから、逃れる術はないのだ。

自分に嘘をうくことはできない。

自滅するからだ。

みんなそういう心理には気づいている。

でも、いつの間にか、そこに嘘があることに気づかないようにもなるのだ。

どこかで、いつものように、なんらかの歯車が狂うという出来事があるのだ。

日常茶飯事ともいう。

いつの間にか良心とか正義とか倫理とかがどっかへ行ってしまうのだ。

そして、別の世界が自分の世界だとうそぶくようになる。

いのちとはなんぞや。

ときどきは、この念仏のようなことばを頭の中で反復しよう。

自分に嘘をつけるにんげんにならぬように・・・である。

清水区断水中

復旧未定とのことらしい。

これで停電がからんでいたら本当に大変だなって思う。

良かったというのは、より悪い状況よりもそうだというだけのことだ。

何もなくなることに比べたら、なんと支援もあるし、すごいことなんだって思うのだ。

とにかく、早く日常に戻ってほしい・・・。

やっぱり大変なことはたいへんなのだな。

信なくば立たず

信頼が離れてしまっている。

利用できるものはなんでも使う。

選挙で役立つものはどんなことでも許容する。

それが政治家の心理だろう。

主義主張よりなにより当選が第一なのだ。

そんな不安定な仕事なんだけれども、民の意思が込められていると信じられていることがおかしいようだ。

ちゃんとして教育が浸透していてこその選挙なのだけれども、そこまでは到達できていない。

結末は、どこかで破たんする・・・。信のない主義主張は、頓挫するしかないのだ。

本来の目的をどう勘違いして政治活動をしていたのかが疑われる。

リーダーの焦り

そのひとはかなりできるひとだ。

すでに世界のリーダーの一人だ。

そして、偉大な国家のリーダーとしてふさわしくなろうと努力している。

その指標は何か。

古来の栄光のようである。

失った栄光は、代わりに世界のリーダー国という認識に変化しているのだが・・・。

そのひとはそこに気づかずに、過去の栄光に縋り付いてしまったようだ。

世界のリーダーの座をすてて、自国民をその思い違いの迷い道へと誘っている。

強いリーダーは弱いものを引き連れていくと考えているようだ。

しかし、それは違う。

弱者はその立場と状況をよく把握しないと生きていけない。

強者は己の立場をよく理解していないと良きものとはなれない。

私利私欲を肥やした一部の取り巻きを引き連れてどこへ行こうとしているのか。

たしかに富は一億人で分けるより、数人の方が取り分は多くなるだろう。

そしてその先には崩壊があることを知っているやら知らぬやらである。

知っているからこそ抗ってさらに権力にしがみついてくるのだろう。

焦りがそこに見える。それは終焉のものでもある。

犠牲と被害が民に及ぶとなると、そこで初めて真実を知ることになる国民がかわいそうである。

それが平等な社会を目指す思想の下にある政権だというのが、信じられない。

独裁者、一党独裁なんていうのは極めて非効率な組織でしかない。

敵と味方を区分して敵は倒す。味方の裏切りは厳罰に処する。

腐敗がどんどんと中枢部へと入り込む結果は、さらにその崩壊のスピードを速める。

・・・になりたてのころ、・・・

だれにでもあるシーンの描写から始まる。

私がひとになりたての頃、あなたは母になった・・・。

そんな風に母親に語りかけることができるだろうか。

できない。

このイメージは社会に己の存在を認識させるための布石なのだ。

なんでもなくても、この文章の出だしだと、なにか有名な賢者の語り口のようになるのだ。

カモフラージュになる。

その辺の石っころが、こう語り始めたら、どうする。

一応、聞いてみようかとか、読んでみようかとか、思うのではないか。

文章を書き始めたころ、私はすぐに飽きてしまった。そして、・・・。

それは、今も変わらない。もともと文章を書くのは苦手だったのだ。今も、それは変わらない・・・。

成立てではなさそうだ・・・。

すごい男たち

照ノ富士関だろうか。

両ひざのいたいたしい姿を見るのがなぜか危ういのだ。

そんな状態で十両、幕内へと返り咲いた。

それで十分だと思っていたら、なんと優勝して横綱へとなったのだ。

すごいおとこだ。

生れたところなんて関係ないし、もうモンゴルも日本の相撲では国内の生まれた田舎の県と同じである。

モンゴルのウランバートルって日本のどこかにあるのだ、きっとそうだ。

今場所は5勝4敗で休場となった。

それでいいのだ、あまりのもすごい生き方に息をつけない。

すこし休場して、ファンに呼吸する時間を与えてくれたのだ。

ほめ殺し

ほめてください。

どんなことでもほめましょう。

かなり無理があるのではないか。

だめなことをすべて良しとしてしまうのはいかがなものだろうか。

疑問だらけだ。

でも、けなしてもなにも生まれないならば、褒めてみるのも一つの手ではある。

だめな時は、何をしてもダメなのだと知ってはいる。

だから、いつも頭の中での葛藤で終わる。

すべてをやってしまったかのようになって、疲れてうつむくのだ。

そんなあなたが好きです・・・とか言われて、嘘つけってなるだろう。

だって、基準がちがうのだ。

なんでもほめるというのは、褒める基準を下げる、最低限まで下げてしまうことなのだ。

けなすこともその範囲に入る。だから、どこもつけ入るすきはなくなる。

ほめ殺し対象の当人はどうなのか。

なにも感じてない。

だって、自分は最高だといつも思っているのだ。

いくら褒められても、そんなものは日常茶飯事ってことなのだ。

どこか基準がちがうようだ。

いや、焦点がちがうか。

やっぱり、どうのこうの言わずに普通に当たり前にやることかな。

アホはアホだし、バカはバカでしかない。

その間に少しだけ、普通があるのかもしれない。

アホもバカにもフツウはある・・・。

リズムは乱れるもの

乱れるからリズムがある。

そこにハーモニィが要るのだ。

揺れるこころがそれをつかむにはどうしたらいいのか。

そんなことをいつも学ぶわけではない。

リズムをちゃんと保ちましょうと言われるも、いつも乱れるのだ。

ちゃんと乱れてくるのだ。

それがリズムではなかったのか。

乱れたリズムは美しいか。

いや、ちょっと違う。

そこの差を感じることで新たなリズムを創り出せる気がしないか。

乱れがないならば、そこから新たな発想は生まれてもこないのではないか。

リズムとは、乱れたり、乱れなかったりもするものなりか。

ことば

もしも言葉がなかったら、どうしていただろうか。

話すことも、語ることもないはずだ。

口はものを食べるため、耳はいらなくなる。

いや、物音を聞いて判断するから、必要だろう。

口は、食事のためだけになるか。

ことばのない世界は、どうなのか。

動物のほとんどはしゃべりはしないが、他の生き物の音はきいている。

生きるための周囲の様子を感知することは大切なものだ。

信号としての音声で、危険も知らせる。

サイレンと同じだ。

やっぱり五感はいるようだ。

テロメア

寿命が近づくと、新たな生命に姿を変える。

それがテロメアだと・・・?

よくわからない。

そんなことできるわけない。

でも、生物の遺伝子はそうなっているのだ。

子孫繁栄というように、個体はいなくなるが、子になって続くのだ。

いのちの伝達だろうか。

不老不死とテロメアを重ねる前に、そこに存在するものを永遠に残すことはできないはずだ。

新旧交代、世代交代、様々な生きた痕をのこすことは難しい。

いのちが消えれば、そこまでの行動もそれで打ち切りになる。

すくなくとも、前進はありえないのだ。

テロメアも同じではないのか。

別個体ではなかろうか・・・?

綻び

破たんすることだろうか。

綻びが出るか出ないかだとすると、そうでもなさそうだ。

綻ぶ、綻ばないのどっちを意味するのかとふと戸惑っている。

綻びなのだから、マイナスの方向のイメージでいいのではないか。

でも、躊躇する。

なぜか。

わからない。

綻びはちゃんとしていないと、それを破たんさせることはできないのだ。

だから、ちゃんとした綻びというものがあるのではないか・・・。

かわいさがもたらすもの

幼子はかわいいものの代表だろうか。

だから、生きながらえて大人になれる。

幼子がこどもになり、少年、青年、大人へと成長し、そして老人に変化する。

つまり可愛さがもたらすものはなにかということなのだ。

老人をつくるために幼子はかわいいのか。

生き残るための手段が可愛さなのだ。

そして増えすぎる。

反動がくる。

かわいい幼子がいなくなる。

生きるいのちがなくなる。

老人はいなくなる。

つまり、可愛さがもたらすのは無ってことか・・・。

そんなことはない・・・。

スタートの論理がおかしいのだ。

カジメの成長点

人間の成長点はあるのか。

カジメにあるのにひとにはないのか。

それってなんだ。

増殖機能か。

生殖機能ということか。

成長機能ということだろう・・・。

限界を超えてしまうと、快復はできない。

地球の成長点はどこか。

そこに棲む生き物たちだろうか。

どうもちがう気がする。

無生物でも地球は生きる。100億年のいのちを全うするだろう。

そして、そこに人間が誕生したがために、少しだけ寿命が減る。

太陽次第ってことか・・・。

生き物の有無ではなさそうだ。

地球の息の根をとめるのは、太陽光の有無かもしれない・・・。

いや、ちがうかな・・・。

辛辣

辛い。

辛いことが束になっている。

そんな二つの字が熟語になったのが辛辣だ。

辛い。

束になっていなくても十分につらいのに、そんなのはない。

これ以上、やめてくれ。

辛さが森になって森林になってしまう。

その辛辣さにこころは折れる。

みんなのこころは束になっていないから・・・だ。

小学生

子ども達、孫かな。

いや、自分の小学1年生の時を覚えているだろうか。

はっきりと覚えているのだ。不思議なくらい明確に覚えている。

三つ子の魂、百までというのも本当だろう。

物心がつくのは、3歳なのかもしれない。

だから、そういう意味では小学生は、りっぱな大人なのだと分かる。

知識がないだけのことだ。

学校生活で学ぶものは、社会の知恵だ。

ひととしてはとくに必要ないのかもしれない。

各家庭で学ぶことで十分なのではないのか。

おやじに学び、おふくろに学んだことは数多い。

その延長線上にこどもたちの未来がある。

でも、今は学校がある。

学習する機会がある、そこにある。

だから、家庭は素人扱いになってしまう。

ともだち百人つくるんだという意気込みは、小1のモットーのようだ。

でも、今はいない。学級の児童数は15人とか20人ぐらいだという。

少ない数は、競争の機会が減ることを意味する。

競い合う必要がない。

だが、10倍に増えたらどうなる。

ほとんどが競争であり、競う前に振り落とされる。

だから、その場に立てることがほぼなくなる。

競争もできるものの特権になる。

多くても、少なくても各個人にとってはあまりうれしくない状況には違いがない。

一番いい時期かもしれない小学生6年間の営みがまぶしく見える。

イラストの題材

絵のうまいへたはどこで決まるのか。

そんな疑問はほかにもある。いっぱいあるのだ。

なぜ、おれは足が遅い。どうしてあの友達は速いのか。

どうして、おれだけだめなのか。

総合点ではいつもダメなやつにしかならない。

それで、ダメなやつの中でも超突にダメなのだ。

それが俺だ。ここだけ、なんとか威張ってみたゆだ。

イラストの題材は、ダメなやつにするか。

そう焦点を定めてしまうと、どうにも見つからないのだ。

みんながデキルやつになってしまう。

このオレだって、ちゃんとイラストの題材を見つけたのだから、デキルやつになってしまっているのだ・・・。

探求

深く追求する。

同じようなことばに探検っていうのがあるな・・・。

深く見つめるってことだろうか。

深く入り込むってことか。

追求に似ているよな。

でも、探求されるとかっていう使い方は、あまりない。

追求される・・・のは嫌だな。

主語と目的語とのちがいか。

能動と受動の関係か。

悪いことを追求されるのは、だれでも嫌だろう。

だから、ちゃんとしないと、追求するぞって脅されるのだろうか。

どうも甘やかされているというか、甘えてしまうと、ろくなことはない。

人間でも同じだろう。

同じ環境で育ち、同じような栄誉を手にしても、そこで考え方が違うと、大きく結末は違うのだ。

一時的な欲求にどう対処するかで違うようになるらしい。

野生とはちがう・・・世界のようだ。

だが、どれもこれも持続性がないと、そこで終わるという宿命があることを忘れちゃいけない。

これが教訓のようだ。

どんな顔して生きていくのか・・・。そんなこと・・・。

わからない・・・。

ダークマター

宇宙を形作るものらしい。

で、なんだ。

重力を持つらしい。

で、・・・。

見えないものらしいのだ。

重力って重さならば、太陽だって、地球だって、石ころだって同じだ。

ひとも同じだ。

物質なんだよな。

素粒子の小さなものっていうか、結局、波ってことになるのだろうか。

光子っていうのもあるよな。

ダークマターってなんだろうか。

散らばらない様にまとめているものってことだろうか・・・。

エコな生活

ひとにいるものはなんだろうか。

いのちとからだと、知恵を出す頭だろうか。

こころはもちろん、自分のものとして要る。

他者の存在を認識することで、己を感じられる。

自意識がない時は、だれでもその他大勢のひとりとして存在する。

だが、時々、おれは俺だなんて自意識過剰になってしまうのだ。

これって、すごく無駄なエネルギーを費やしていることになる。

エコな生活はやはり、大衆の中の一人として己の存在を感じないことではないだろうか。

となるとアイツは何を考えてるんだって批判されることになる。

結構、厄介なものだ・・・。

あなたの秋はなんですか・・・

収穫の秋っていうな。

たしかに春の田植えの時期と、秋の収穫の時期は学校が休みだったな。

そして、稲刈りとかの作業が終わると、シーズン終了ということでお祝いがあったな。

村祭りなんかも記憶に残っているよな。

村の鎮守のお祭りだ。

大きな杉の木がいっぱいあってうっそうとしてたな。

私の秋ってこんな感じかな・・・。

あなたの秋はどうですか。

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