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2022年10月

群集雪崩

渋滞理論と同じようだ。

なぜ人は群集になるのか。

群れをつくるのはひとの性か。

規制のレベルを超えてしまったようだ。

酔って騒ぐ。

人生の楽しみの一つには違いない。

でも、群集の中でのそういう行動は良くなさそうだ。

ケンカもできない密集の中で何が起きるのか。

メッカの季節的な回遊はみんなよく知っていることだ。

ひとは群集となってデモをしたりする。

まるでイワシの群れのような動きではないか。

人類が滅亡するときならいざ知らず、平時にそんなことをするのは何故だろうか。

訓練か、滅亡への備えか。

お互いに支え合う均衡が崩れてしまう。

というより押しつぶされて倒れてどんどんと雪崩が進むのだそうだ。

恐い話だ。

でも、現実だ。

戦場の兵士は後戻りできない状況に追い込まれて命を失う雪崩に巻き込まれるのも・・・。

お祭り騒ぎは、どんちゃんできる空間と時間で行うべきだという示唆なのか。

火遊び

偉くなってしまった自分がいるのに、そこに疑問を感じるのだろうか。

火遊びは、いつもそこら中に溢れているらしい。

社会の常識でもあるようだ。

だが、何かがおかしいのではないか。

規則を作る。そんな規則があってもなくても社会的な動きとしてのひとの活動はあまり、変わらない。

生きるという過程で、様々な事象が起きる。

ひとりの人の身の上にはどんなことでも起こりうるリスクがあり、可能性という解釈をするひともいる。

社会規範は時代で変わる。

人々の考えはもっと軽くどんどんと変わるのだ。

その辺の判断が鈍るのは、やはり己の本質に自信をもてないのが原因ではないだろうか。

あさイチのラジオの声は、昔からのその放送局の顔であったのに・・・。

降板の申し出が本人からあったという報告を聞いた。

オカアサンオナカスイタ

母ちゃん、腹減った。

この思惑とはずいぶんちがうシチュエーションのようである。

貧困に苦しむこどもたちがいる。

父ちゃんを戦争でなくしたり、災害で殺されたりもするのだ。

そこにお母さんがいる。

こどもはおなかを空かしている。

ゴハンタベタとは言えない。

ないのだ。

ないものはねだってもでてこない。

日本の戦時下も同じだったという。

金持ちも、貧乏も関係なく、食料が食べ物がなかったのだ。

あったかもしれないが、とても高くて手に入らない。

台所を潤す食料は家庭菜園からという標語をソロモンでみた。

国連の代表になっていたご婦人がその世話人をしていた。

世界中で、今、「オカアサンハラヘッタ」と言っている子供たちがどのぐらいいるのだろうか。

激しさとは?

ああ、もう一歩なんだがな。

そうは、思う。けど、どっか違うのだ。

歯車のずれのようなものか。

きっちりしてはいるが、相手との比較とか、もっと少しだけ成績のいいやつとかと比べるとどうなのか。

激しさ、答えやゴールに対する激しさが、厳しさが足りないのだ。

井上直哉のパンチは、頭で考えた通りに打たれるようだ。

そこが、サッカーでどんなスポーツでも差になってでてくる。

サッカーならばゴールだ。

惜しい・・・と拍手し、ああもう少しだといっては・・・。

そこがちょっとだけ足りないのだ。

ゴールならゴールするまでがプロセスなのだ。

惜しい・・・では、素人ではないか。

プロになった今、何をなすべきか。

そこに激しさへの厳しさがあると、私は考えている。

お山の大将

だれでも周りが見えなくなるらしい。

山のてっぺんにいるとそうなる。

ちっぽけな山でも同じだ。

そこから抜け出せないことに気づいてお山の大将、その山に限った大将でしかないのに・・・。

裸の王様・・・とどっちが幸せなのだろうか。

どっちもどっちだし、どっちも備えているものだ。

結局、同じものだということだろうか。

山の上から石を投げられたら、そりゃ恐い、怖い、こわい・・・ものだ。

みんな遠巻きにみているのがすぐ分かる。

そのとばっちりは時に山以外にも表れる。

気を付けよう。

白々しい言葉

なんとも意味のない言葉がある。

ほんとうに白々しいものだ。

生涯現役・・・というやつだ。

そんなのあるかって話だ。

死ぬまで働く、働け、生き続けて働けっていうものだ。

そんなのは自分の意思でやることだろう。

国家が国策として掲げるものではない。

できるならば、ひとは考え事をしながら、日向で寝転んでいたいのだ。

もちろん台風や大雨の時もあるから、雨宿りの場所もいる。

人間の現役ってなんだ。

生きている限り、。ひとは人間なのだ。

だから、生涯人間・・・っていう方がより現実的だろう。

ひととして生きる。

労働者として死ぬ。

ひまは与えないという・・・国策かもしれない。

国家財政の不健全さ

借金だらけの国家がある。

稼ぐ額の数倍のようだ。

それで他国に援助もする。

なんでだろう。そんな繰り返しになる。

人道主義、貧困への支援、そのうち、この国は最貧国になる。

いや、実質的にそうなっているのではないか。

健全なこころは健全な身体に宿るとかって言わないかっただろうか。

どうも不健全な財政で、その道を探ろうとかしていないか。

破綻しなければ、それは健全なんだとだれが言っているのか。

金利を上げないのは、できないからだ。

支払い能力が足りないのだ。

大きな財政赤字がその琴線をますます緊張させているようだ。

切れたらどうなる。破綻か。

いや、貧しいのは国民だから、いいのだとか・・・言うのだろうか。

嘘はどこにある・・・。

説得の愚

なにかをだれかに説得させる。

納得させるには、説得しなければならない。

しかし、一般的にそれは愚行である。

だれしも、おのれの考えを翻すなんて嫌いだ。

なぜって、面倒くさいだろう。

そうなんだ。

だが、一つの目的を共有している時は全く異なるのだ。

そこが知らぬ同士だと、いさかいになる。

個人攻撃が始まると、まるでロシアの大統領のようになるのだ・・・。

これじゃ、怒りばかりが独り歩きして、だれもが恐れて言葉を発しない。

同胞を攻撃するなんて、説得の必要もないほどの軽い関係だったのか。

一国の民がそこをどうみるのだろうか。

親類も大勢いて、姻戚関係が密な二国なのになんで、殺し合いをするのか。

それも説得の具の一つだろうか。

あんたのものはオレのモノとしか見ていないのだろう。

目をつむる

ある本に、一度目をつむるともう目覚めないのではないかと不安が襲う、とあった。

毎日寝る前に、翌朝があるかと考えてしまう、いうのもあった。

もう、これで終わりか、そう思うしかない時があった。

忘れていただろう・・・。

あんた(俺のことだが)、忘れてんだろう。

その時、どう思ったのだ。

それしかない。

未練、執着、いろいろな言葉があるけれども、もうどうしようもない・・・という終わりが目の前に迫る。

どうしようもない。

ただ、そこには時間がないのだ。

だから、そう思うのだ。

何故って、そんなことは何度もなんども繰り返しでてくるのだ。

なぜ、おれが、どうして他の人ではないのだ。なぜだ・・・。

もう止まらなくなる。

いつの間にか、眠っていた気がする。

今、ここにいる・・・。

それが、その時の私の頭の中の答えだった。

今、ここに・・・私は(今は)生きている。

目をつむって思い出す。

いつも、それでも、私は、今、ここにいる。

今、ここにしか、私は昔からずっと、そうなのだ。

演じ切る

役をどう演じるか。

役者でなくとも、普通の一般人でも同じことだ。

仕事だろうとプライベートだろうと、同じではないか。

いつの間にか、隣に妻がおり、こどもらがいて、そしてそれぞれが成長して変わる。

変わりゆく時々に応じて、ひとは演じている。

どうすべきか。

すべて初めてのことだから、分からないのだ・・・。

自分のイメージで演じることだ。

ゲームのようなものかもしれない。

演じることができないときはどうする。

そういう場面を想像してできないのだと・・・嘆き苦しむ様をそのまま表現するというか、行動で示せばいい。

それができるならば、だれも苦労はしない・・・。???・・・。

そうだな。

でも、それ自体が演じていることに、すぐそばからは見えるはずだ。

このタイトルをつけた時点での視点でみれば、そうなるのだ。

だから、悩んでどうなるものなら、そうしろ。

どうにもならなくても悩まないわけにはいかないだろう・・・からな。

俊介・中村

偉大なフットボーラーだ。

すごいやつだ。

なんであんなに器用に力強くボールを支配できるのか。

まるでドローンのようなものだったのか。

足先のコントロールでネットを揺らす。

もちろん枠内に入るってことだし、本人は入れるのだろう。

能動的にやっていた気がする。

ボールに意思を詰め込んでいるというよりも、ボールに乗り移ったという表現が合う。

お疲れ様でした。

世界知の指導者になってほしい・・・ものだ。

その勇姿がみたい・・・ものだ。

これから・・・

いつもいつもこれからだという。

どこでも、だれにでも、そういうのだ。

これからだ。

そんな間に、いつのまにか、いなくなった。

いや、みえなくなったのだ。

つまり、いない。

もう、そのひとはここにはいない。

どこにももういない。

あんなに張り切っていたのに、もう躓いたのだ。

その落胆たるや、だれにもわかないだろう。

敗退したのに、勝者になったひとがいる。

自滅してはだめなのだ。

己の主張をしっかりと持っているのが強さなのだ。

驕るもの久しからずやかな・・・。

シロビキ

プーチンはシロビキに引導を渡される。

そんな見方があるようだ。

で、退陣になるとしても、どうなるやらだ。

シロビキが握っているロシアの運命というものらしい。

そんな状況をみてその隣国は演出で権力へのこだわりを見せたのか。

みせしめなんていうやり方は、なんとも辟易するものでしかない。

でも、当事者にとっては面子まるつぶれにしたとほくそ笑んでいるのやら・・・。

してやったりなのだろうか。

で、ウクライナへの軍事進攻はどう収めるのか。

シロビキの引導が来る前にちゃんと手当しないと手遅れになるやもしれぬ。

いや、もう既に遅し・・・か。

黄海でドンパチになったようだ。

もういつ引き金がひかれてもおかしくはない様相を呈している。

 

タガのない樽

桶や樽にはタガがある。

しかし、なくすのがはやりらしい。

それが自由だと思うらしいのだ。

自分たちにとっての話だ。

庶民のためなのではない。

私利私欲を肥やすためには、それらを制約するタガは目障りなのだという話らしい。

これでは、なんのための樽なのか分からなくなる。

わが身はバイオマシーン

生物兵器とされたしまった過去はもう時代がちがう。

ひとはもう必要なくなった。

自律攻撃が可能だからだ。

プログラムによって周辺環境の変化に対応した攻撃ができるのだ。

もうひとを戦地へと送ることは無用ではないのか。

だが、違うようだ。

いくら遠くからミサイルや砲弾を撃ち込んでも、その後始末にいかないと占領は完了しないのだ。

領土は動かないがひとが棲むのが土地である。

ひとを支配することは難しいのだ。

自国民以上の福祉政策を与えれば苦情がでるだろう。

そこでふと思ったのは、ひともマシーンだってことだ。

バイオかメカニカルかの違いだ。

違いは小さい。類似というより相似って感じだろうか。

そこに差がなければ、すべていわゆるマシーンに変えてもなんら困ることはない。

ひとの機能のバイオの部分がメカニカルなパーツに置き換えられていくのは目に見えている。

すべての最後は脳機能のところだろうか・・・。

で、どうやって生殖機能を形成していくのだろうか。

それもメカニカルなものに置き換わるのは当然だろう。

そこにいわゆネアンデルタール人とかその他、人類の祖先だというひとの姿はもうない・・・。

そんな世界が宇宙に拡がっていく過程で私たちの子孫は、どこかに散逸してひっそりと生き延びるのかもしれない。

それらを運ぶのはいわゆるウイルスや細菌の類であろうか。

英首相辞任

まだ就任2か月未満だろ・・・。

もう辞任なんてあるのだろうか。

それがあるのだ。

英国は大英帝国のつながりで、共和制ではない。

女王の逝去で国王になった皇太子はかなりのお年である。

それが政権維持への意欲の薄さに関係しているのかもしれない。

小国でも大統領制ではそこに国家の責任が集中している。

文化伝統的な部分で王政がある種の支柱になっているから、希薄なのかもしれない。

これは私見であり、そう感じるひとたちが少なからずいるものと思われる。

我が国はどうだろうか。

ほぼすべての権利を奪い、憲法で国家の象徴としているのは、なにか人権問題が大きいのではないか。

好きな生き方をしないでそこに従うのも一つのようだが、いくら抵抗してもそこはそこという不安定なものになってしまう。

王族や皇族という存在から離脱する行動は、つい最近英国でも我が国でもあった。

その悩みはいかばかりかと思う。

当事者の問題であり国家の問題であり、かつ、人権の問題である。

こんな状況では民からも皇族の面々からのどちらからも極めて奇妙な制度ではないかと思う。

つまり、共産主義国家で一部の権力者が大衆を支配する上級民に位置するような雰囲気が漂っていることだ。

なければそこに出来上がるものならば、それはそれのメカニズム、ひとの摂理のようなものならば、それを明らかにして進めることになろう。

いずれにしても人類は、戦争を繰り返し、弱いものをいじめて搾取し、社会を回すということのようではないのか。

もちろん自然の中で本来のひとらしく生きるのが一番幸せだと、私は思うのだが、なんとも言えない。

やめるという勇気をトラス首相はその短い期間で世界に知らしめたのだろうか。

下り坂です・・・

下り坂なので走らないでください。お願いします。

なぜなのか。

それは、坂道の危険性を知らない人に教えているのだ。

当然なことかもしれない。

でも、若さは下りを利用してさらに早くはしろうとする。

年寄りのいうことなんかそんなんはもっと後のことだし・・・。

下り坂がもしも断崖絶壁だったらどうする。

真っ逆さまに落下するだろう。

はしるもなにもない。

上り坂です・・・。

いくら走っても大丈夫です・・・。

そうなるのかな。

紙飛行機

一枚の紙を折る。

そこに揚力を与える。

推進力が先か。

すると紙が飛ぶのだ。

くるっと回って帰ってきたりする。

うまく飛ばない時は調整する。

ここが面白い・・・。

・・・

炎上商法

様々な場面で、とにかく世間の注目を引けという指令がとんでいるようだ。

安全運転では面白くない。見たくない。なくていい。そうなってしまう。

だから、炎上させる。

でも、なかなかそんなヒットはでやしないものだ。

嘘をつかないコメンテーターも面白くない。

事実のみしか話さないなんて無駄なことだ。

事実はみんなニュースで知っている。

それがどんな状況でどうなるのかっていうシナリオが見たいのだ。

なぜそうなるかもしれないのかっていう話だ。

たまたま無関係だった・・・。

本当はオリンピックの件であまり表にでないようにしていた・・・。

こんなことを言うと、また、そんなこと言って、根も葉もない嘘っぱちだろう・・・なんて言われるのだろうか。

そこでどうする。

もちろん事実に基づいたことのみを嘘をつかずにお伝えしますってなるのか・・・。

そんなの詰まらない話ではないか。

たまには嘘をついてもいいんじゃないかなんていうのは、また、べつの話だ。

演出というやつだったら、そこにストーリィがあるから、落としが付けられる。

おごりだったのか、ほんとうにそうだったのか。

演出ではなかったのかな・・・。

 

ウッドスプーン

SDGsという標語で社会が動いているかに見える。

だが、どうだろうか。

本来の姿にどうやって近づけるのか。

ひととは何ぞやってことだろう。

もう、SDGsをかたる人間たちは、すでに生き物としての「ひと」をすっかり忘れ去っているかに見える。

だから、時々、自然そのものの災害に遭い右往左往する。

水道がでない・・・。ああ、大変なんだ・・・となる。

そして復旧する・・・と、すぐに忘れるのだ。

水は蛇口からでてくるものとなる。

トイレは水がいつもあるものとなる。

どこかおかしいのではないか。

ウッドスプーンや紙ストローとかがSDGsらしい。

みんなが自分で食器類を自然の素材で作るとすればどうなるか。

自然の素材の食べ物がほしくなるだろう。

そして、やっぱり自分で作ろうと思うはずだ。

自然な暮らしは、ひとの最大の贅沢で手の届かないものになりつつある。

さて、はてさて、さてさて・・・どうする。ウッドスプーンに尋ねてみようかな。

かませ犬

きっと弱い犬だろうな。

主役の犬に自信を与える役割でかなり重要のようだ。

それが偽のかませ犬に気づかずにいるとどうなるか。

そりゃ痛い目に遭う。

かませてもらうにはそれなりのしきたりがあるってことのようだ。

あいつ、このごろ・・・いい気になってんじゃないか・・・なんていう言葉が聞こえてくる。

そうなると、こりゃ今までのかませ犬代が莫大になる。

ただより高いものはない。

こんな背景で、国会での追悼演説者を見直せば、どうなのか。

あまり実態に合わない気もする。

野田元総理がどんな追悼の演説を国会で行うのか・・・、見ものだ。

ひとを感動させることが上手な元総理のようである。

さて今回はどこのスクリプターが暗躍するのかなんていうニュースもありやなしや。

タマカワさんは、どんなコメントをするや否や。

もうこりごりってことか。

番組を作るってことと報道としてのメディアは違うんだとか言われてこっぴどくやられているようだ。

吠えてばかりいると目障りなんだよなっていう雰囲気がメディア全体に流れているのがはっきり見える。

次はだれが標的になるのか。候補者になれるような切れ者はそうはいないのが、今の日本であろうか。

かませ犬の訓練は大変なんだろうなと推察できる。

はてさて、組織とは・・・難しいものなりやだ。

俺が一番という中国

世界の国家モデルがあるのか。

ロシアか。いや、それはないだろう。もはやないだろう。

中国はいう。世界の強国になるという。

米国を倒して世界一になるのだというのだ。

北朝鮮は独裁者国家である。

南に韓国があり、もともと単一民族の国家だったのだ。

分裂して北がある。

民を踏み台にしている国家という印象しかない。

民を犠牲にすれば素晴らしい国家ができるという夢の様な話だ。

ナチスを倒したという昔話を今に持ち込んでいるひとはどんな考えの持ち主なのか。

その考えを現実にするには、ナチスに相当するものをでっち上げないといけない。

平和なのに戦争をしかけるには敵を作り味方は脅して従わせる。もちろん暴力という武力でのことだ。

よく言われる米国民は本土に影響なければなんでも許容するという話(嘘でしょうが・・・)がある。

わが身に降り注ぐ火の粉は怖いが、よそなら関係ないという話だ。

地球が一番だと宇宙の遠くから、生物が攻め寄せてきたらどうする。

闘うのだろうか。責められているイコール全滅というシナリオなら、戦わざるをえないだろう。

しかし、友好的かもしれない。そのやり方が通じるのかどうかだろうか。好意なのか敵意なのかが判定できないとどうなる。

闘わざるをえない。そうなのだ。疑心暗鬼ならば、戦う準備を整えて、隙あらば攻め落とすという構想になってしまうから、結局戦うことになる。結果は、両者が傷つき疲弊して第三者に支配されることになる。

俺が一番という者たちは、世界のこと、地球のこと、貧者のこと、そして民のことをどう考えるのかをちゃんと説明できないといけない・・・。

コメンテータは使い捨てか・・・

もしも局の意見が伝わらないというので良ければ、そんな番組だれも見ない。

適当なコメンテータを出演させていれば、それで済む。

そんな使い捨ての位置づけでしかないところに大事な社員を出演させるだろうか。

どうでもいい、うるさいやつ、できないから適当に扱えるぜっていう態度が見える。

そうか、テレビ番組のコメントなんてそんなものか。

いずれ逃れられない状況に追いやられるという発想の下で、なんともやりきれないだろう。

それやっちまったぜというような圧力が一気にかかる。

そんなもの織り込み済みだっていうことらしい。

なにか視聴者目線で出演に意義を感じているひとは、なんとも言えない気分になる。

ああ、そうか、もともと弱い立ち場だったのか・・・となる。

テレビ朝日の朝のカンバンのような番組も、所詮は議員戦線の琴線にふれてなんの抵抗も反論もできないようだ。

裏付けのない発言は絞首刑のような冷たさで、いやそれ以上の無慈悲さで一気に押し寄せたのだ。

なぜだ・・・。

メディアという立場の虚弱体質でしかない現状を露わにしたようだ。

24時間じゃ足りない・・・

そんなものだろうか。

いくら時間があってもできない時はできない。

そんなに忙しいのだ。

だから、次の日がある・・・。

人生一回限りじゃ足りない・・・。

そんな声が聞こえてくる。

もうごめんだ・・・という声もする。

それぞれなのだ。

いいのも悪いのもあるから、ありのままで、あるがままで終わる。

一日も一生も同じではないだろうか。

極悪非道

人の道に外れた行いがなぜ起きるのだろうか。

あるべき姿があれば、それを壊したりするのが当たり前かもしれない。

人としてどう生きるか。

その答えが見つからなければ、どうなる。

分からないことはできないとなってしまう。

それは、しかし、非道だろうか。

私は違うと思うのだ。

極悪となるとどうか。

極めて悪いというレベルは、非道の中にもランクがあるらしい。

調極悪なんていう形容詞もできるだろうか。

対象となる行いが、今までないレベルならば、どう表現するのだ。

こうなるともう、良妻賢母に頼るしかない。

世の中はすべてこの言葉でしか語れなくなるのかもしれない。

非道でも邪悪でもない単純で普通の当たり前の生き方ならどう呼べばいいのか。

そこでの人としての評価はどうなのだろうか。

極悪非道という意味を今一度、ロシアや世界各地の独裁者を対象にして評価してみてはどうだろうか。

強くなりたい!

なぜ、みんなそんなに強くなりたいのか。

強くなりたいか・・・と問えば、みんなが答える「そうだ」と答える。

そして、そのために努力する。

強くなってどうする。

もっと強くなる。もっと強くなってどうする。

もっともっともっと・・・もっと強くなる。

身体が精神が両方とも極限のこれ以上ない強さを得た時、どういう強さを発揮するのだろうか。

そこに戦う相手はもういないのだ。

どうする。

それ以上、どう強さを証明するのだ。

強さの定義を知らずに如何に強くなっても、そこでの評価はできない。

だから、しっかりとその評価ができるように定義づけて進めることが大切になる。

ひとの強さとは、弱さの裏返しなのだ。

表裏一体なのだ。

強さを支えるものは弱さなのだ。

では、弱くなれば、強くなれると、きみはいうのだな。

証明はできるのだろうな・・・。

見せてもらおうか・・・。

金持ちは貧乏人の成れの果て

どこにあるのか。

貧乏と金持ちの区切りのことだ。

みんな貧乏だった。

みんながお金持ちになろうと、みんなで誓った。

そのためには好い社会を創ろうとみんなで誓ったのだ。

だが、どうだ。

貧乏だったものがお金持ちになり、すべて忘れたのだ。

元は貧乏だったのかなと思い始めた。

記憶にないというのだ。

では、初めからお金持ちだったのだ。

それなら、社会をよくすることはなんら意味がない。

変化のないことが良いことだとなる。

矛盾がいっぱいある。

みんながお金持ちになり、だれも貧乏なひとはいなくなったので、その貧乏と言いう定義や言葉そのものがなくなった。

でも、現実に貧困はある。

こころの貧困がいま、問題なのだ。

海はプラスチックのごみで埋めつくされている。

どんどん大きな流れ物になり、島のようになり、深海を埋め尽くして陸地を作り、マグマに溶かされてもとに戻る・・・。

そうか。そんなシナリオか。

地球の豊かさとは、金持ちになった人間の作ったしろものだったのか。

いずれ、崩落して崩壊する運命でしかないようだ。

そのころは一人の人間も生物もいない無の世界になっているのだろう。

地球号という宇宙の土台を失って今は無の空間になっている。

みんなどこにいったのだろうか。

 

戦時下の消防・救助活動

すごいな。単純にそう思う。

戦争の中でそういう活動が常時できているというのが、すばらしいと思う。

長距離ミサイルで攻撃されても、すぐに消防チームが駆け付けて処理に当っている。

攻撃されて破壊された映像がいつまでもあるというのが、通常ではないのか。

人々は戦禍に打ちのめされて失意のどん底にあるのは分かる。

そんな中で社会の秩序が維持されて、復旧・復興の意思が感じられるのだ。

すごいことではないだろうか。

もしもわが身になったら、そういうことができるだろうか・・・。

ふと、そう想う。

そこに何かたくましさと、それらを支える伝統文化の魂があるのだろうと感じる。

戦争は敵を作り、味方を区別して戦うもののようだ。

でも、何も問題のないところに弱いから、気に食わないからやっつけるという筋書きだけで戦争とは言えないので紛争の解決のためとかこじつけている。

弱い味方をいじめてどうなる。

反抗する味方をやっつけるとどうなる。

それは敵になる。味方ではない。

そういう争いの処理には常に消防と救助という自浄自立へのシステムが備わっているようだ。

非常時が日常だというのと、日常が非常時だというはどこに差があるのか。

消防と救助救命活動が可能かどうかがその分かれ目のように思う。

普段も非常時も同じ日常だという

普段何していますか。

会話ででてくるフレーズだ。

でも、非常時は何をしますかなんていうのは、そう多くはでてこないはずだ。

どっちも日常となっている今なら、どうだろうか。

災害が日常的に出現しているのだっていうのだろう。

そうなのだ。

普段着も非常時の衣服も同じだ。

普段なにしているかで、非常時に大きな差がでる。

これは本当だろう。

でも、日常なのだ。どっちも同じひとの人生の中の一コマなのだ。

いつもどこかで非常時の事態に陥って苦しんでいるひとたちがいるし、そうでない地域が存在している。

だから、自助、共助、公助というのだろうか。

ぐっすり眠る

眠る。ひとの営みの最大のもののようだ。

だから、いろいろな表現がある。

タイトルが初めにでてくる。

ぐっすり・・・。

そして、しっかり・・・。

ゆっくり・・・となるとこれは終末観が漂う。

ちゃっかり・・・もありそうだ。

でも、なんとなくがっかりしてしまう。

そして、どうもしっくりしない。

形容詞が示す程度や状況が大切なようだ。

あなたは、どんな眠りを求めているのか。

地球の破壊

いずれ来る。

太陽系の寿命は100億年とかいわれている。

すでに50億年経過しているらしい。

そこにある生命体は動植物その他含めて存在しはじめたのは、ついこの間ではないのか。

数億年か・・・。

人類の歴史で起源20322年だけれども、紀元前4000年とかいう(?)。

いくら足し算しても数億年ではないか。とすると、同じ年数で、期間で崩壊する。

だが、人類は核爆弾というものを作っているので、地上の生命をすべて終わらせるような結末になるDNAなのではないかと疑う。

自滅するように作られている。

そうでないと、地球そのものが持たないからだ。

地球は当然、自然のものだから、消滅するはずだ。

そこでどうするっていうのが知的生命体の使命だなんてだれが決めたわけでもない。

しかし、増えすぎた種が滅びるのも自然の理である。

それは、どんな生命でも同じだろう。

増えすぎるのは良くない。

自然淘汰がある。

それで、その前にケンカして核爆弾を破裂させる運命にあるらしい・・・。

個々のいのちとしては何ができる。何もできないだろう。

あるがままで・・・としか言えない。

狂気の沙汰も一つの自然の理の中に含まれているのだ。

狂気っていうのは、正気のブレの程度を表す指標の一つだといえる。

地球の破壊は仕組まれたものではないにしても、そこの時空を使う者たちの活動によって左右される。

もっと大きな敵が出現しないと、この人類の争いはなくならない。

その人たちの最強の脅しは、核爆弾でやっつけるぞというものだ。

リーサルウエポンというが、まだまだなのではないのかという気もする。

そうならば、地球は破壊されないかもしれない・・・。

ひとのこころ

きっと頭の中にある。

呼吸と栄養の循環で養っている脳の働きのひとつの大切な機能である。

こころのことだ。

無から有を生むしくみのようだ。

絶望のさなかにあっても、ひょっとした一言で、こころは安定もするし、不安定にもなる。

結構、難しい存在なのだ。

もちろん私のこころも同じだ。

だから、しょっちゅういろいろなことを思い描いては消し去っているのだ。

いわゆる試行錯誤ってやつだ。

そして、一日の終わりには無にして消し去るのだ。

すると、翌日はまた新しいイメージが浮かんでいる。

もちろん、すべて消し去るだけなのだが、この繰り返しが続いている。

そして、いのちの火が消えるころには、そんな健気なこころの機能もそれなりに衰える。

こころの重さを測るにはどうする・・・。

天秤を使えばいいだろう。

こころをかける天秤は特殊なやつだ。

悪いこころと良いこころのハカリがある。

どっちが重くてもダメなのだ。

それは均衡が一番なのだ。

社会の公正とかはすべて個々のこころのバランスによって決められていくのだから・・・。

とても大切なのだ。

もっと領土を・・・

隣から土地を略奪する。

すぐ近くだから扱いやすい。

弱い隣国だから奪うのも簡単だしな。

ちょっと脅せばなんとでもなる。

俺の国民からの人気は高いし、対立するやつらはみんな途中で挫折させているからな。

俺の1人天下だしな。

なんとでもなるのだ・・・。

そんな思い上がりが、己の人としての寿命とかを一切考慮せずにいるのだ。

不老不死のような錯覚で、いつまでも天下をとって居座るつもりになってしまっているのだ。

錯覚以外のなにものでもないことに気づかない。

もっと領土をとる・・・。

それでどうなるのだ。

国民はそっぽをむいているのも分からないようだ。

ごく一部のひとに利益を与えることで、多くの民をないがしろにしている現実に気づいていない。

モアランド、モアミサイルということになっているのだ・・・。

おかしい話だ。

勝手にやりすぎだろう

無茶ぶりだ。

我が国の九州と北海道と四国を他国が占拠し、奪い取ったらしい。

そんなニュースが流れたらどうなる。

中国がインドは我が国だとかいったとかいわないとか。

そんなことだれがなんのためになんて聞くこともない。

みんな領土はほしいのだ。

なんのためにといえば、富のためにだろうか。

富国強兵という言葉の先にある領土というもの、奪還するということ。

奪い取るのだという。

ひとは土地についているようだ。

領土にすればそこに棲むひとは、その国の人でしかなくなるのだって・・・。

なんかおかしい。

北朝鮮が韓国は自分のものだというのと同じだろう。

みんな自分のものにしたがり過ぎだ。

多民族を制御し圧政は可能だろうが、完全に支配はできない。

中国4千年の歴史はそう教えているではないか。

支配すれば、支配下におけば、いつか倒される日も来る。

香港が中国をいつか席巻することもありうる。

ひとつの中国ならば、台湾が政権を執ることもあるだろう。

あくまで一つの中国というのだから、そこに独裁一党というものが崩れるのも当たりまえだってみんな知っている。

体制っていうものは、崩れ去るためにある、崩すために作るのだともいう。

もちろん役割が済めばの話になるし、あまりに勝手にやりすぎると人々のこころはついていくはずもない・・・。

ロシアのプーチンの失敗をみんなあざ笑っているのがわかる。

ついに狂気の沙汰に陥ったようだ。

こころあるロシア人は、みな国外へとでている。

戦争の仕方が変わってきているのに、そこに気づかないのだから、しょうがない。

それが悪政の証明たりうるようだ・・・としかいえない。

 

ミサイル発射

急に「ミサイル発射・・・・」の連呼が続いた。

なんだろか。そう思った。

ラジオだから、なんかドラマの宣伝かな。そう思った。

でも、終わらない。

こりゃJアラートだと。

北がミサイルを発射するのは国連決議で禁止されているのではなかったか。

しかし、ロシアが愚挙を仕掛けているおかげで北朝鮮の仕業が正当化されてしまったのかのような錯覚が世界に溢れている。

脅威ってなんだ。

わっと攻撃して攻略して、終わりというイイメージがなくなってはいる。

だから、いくら軍備を増強しようとも、戦争を仕掛けるには不足なものがある。

追いつめられているかどうかだろうか。

そんな状況に程遠いロシアでは困難がある。

しかし、北朝鮮はもう袋のネズミのようなものだといえば、死に物狂いだろうから、そりゃこわい。

そこになんらかの世界の民に役立つことが他国を侵略することで得られるのか。

なにもないはずだ。無駄なことだ。

それは北朝鮮の指導者になるには、その国の民を守ることではないのか。

つくった核爆弾は、自国民の殲滅のために使うことになる気がする。

ロシアの愚挙が北朝鮮の行動を激化させているようだ。

次は、中国へと向けるのではないか。

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