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2022年11月

日本はどうなの?

いけるのか。

だめなのか。

やってみないと分からない。

みつどもえの状態だ。

やっぱ、ドイツとスペインの魔の枠に入ってしまったのが・・・。

あとで言い訳にはなる。

もう、あきらめたかのような気分は、敗戦のせいである。

勝ち続けることはできないので、どこかで敗退はする。

それがいつなのか、それが問題なのだ。

それまでは、なんとなくあきらめきれないのが心情だろう。

 

どんなことでも起こりうる・・・

頭の中にあることがらは、いつでもどこでも起きる可能性がある。

大切なときの失敗、思いがけない評価、だれも期にしない・・・などなどだ。

それは勝負ごとでも同じだ。

そこで勝負に対峙する。

そこにあるのは、勝負であり、勝つこと、敗けること、ドロー、そして没収試合なんていうこともあろうか。

とにかく、頭の中で思い浮かべることのできるすべては、起きる可能性がある。

具体的にあげる必要はない。

なぜならば、勝利目指しているのみだからだ。

後はどうにでなれってことなのだ。

それがサポーターの心理だ。

ふつうにやるってむずかしい

本当は難しいことだ。

普通とは当然なこととか、当たり前なことを言う。

そこに至るには、緊張が必要だ。

今までにない緊張感で臨もうとしていると、なんとできないのだ。

あんなにいつも緊張して硬くなっていたのにである。

できない・・・。

焦る・・・。

なんでだ。

それはあまりに普通に緊張のキの字も頭のなかにないからではないか。

いや、ふつうといいうことは、つまり、緊張している状態のことなのだ。

もちろん、あなたにとって・・・ということだ。

私は違う・・・と言いたいが、実はいつも普通の状態が緊張していることそのものなのだ。

いまごろ気づいたのかって・・・思っているのでしょうね。

気配を感じる・・・

化学反応を感じ取る。

それが空気の中の物質をかぎ分けるという機能のようだ。

臭い、たしかに化学物質が漂えば、変化がわかる。

気配とは、ひとやけだものの発する臭いなのだ。

殺気も感じる。

それは、ひとが発するものだ。

ひとの心理によって臭いが変化するからだろうか。

 

寒い、停電も・・・

冬の怖さは寒さだ。

冷たい。痛い。しもやけになる。

凍傷というやつは、血流を止めるのだ。

電気もない。

水も足りない。

これでどう冬を過ごすのか。

難しい。

ひとはなにも特別なことを望んではいない。

為政者が、己の私利私欲のためにやらかすことがすべてはおかしいのだ。

私利ではなく、公共の利益でなくではならない。

その根幹が民の民衆の声ではないか。

声は、民意を現す。

そこをどうとらえるかが、本当の為政者の姿ではないか。

なぜ、私利私欲に走るのか。

いのちが有限だから、恥も外聞も関係ないというのだろうか。

多くの人々に迷惑をかけてまで生きる必要があるのか・・・。

弱者切り捨て・敗退濃厚

どうも今日は後ろ向きである。

気持ちの問題か。

いや、どうにも自信が持てない。

多分、いくら点数を入れていても最後に逆転だろう・・・なんていう怨念がついて回る。

終わってみてやっぱりそうかなんてことになっている。

そんな気がしないか。

ニッポン、日本。にっぽん・・・。

最後は、ああ・・ああ・・・あああ・・・・あああああ・・・とかなるのかな。

弱者はそうなっても仕方がない。

まあ、そこに出たということでもスゴイことなんだってことでいいことにしなければならないのだろうか。

なんともしつこい感情が浮き出てくる。

まさかなでしこのあのあっという間の優勝なんていうことが起きるのではないか・・・。

ほんのちょっとの望みは、試合前までは持てるものだろう。

だれも文句はいわない。

試合が終わるまでは分からない・・・としておこうか。

食品上げ底疑惑

偽装、隠ぺい。

疑惑だって、今度は・・・。

これって嘘ついているっていうことだろう。

それも食べ物についてのことだ。

なんてこった。

こんな言葉しかでてこない。

田舎での自給自足の生活での食卓と、都会へでてからの学校の寮とか宿舎での夕食との違いとでもいえっばいいのだろうか。

価値感の違いとも言えるか。

底上げされていれば、量もカロリーも少ないので、この疑惑はダイエットをしている人には親切だなんていうことはない。

ひとの欲望との闘いなのだから、ダイエットとは。

やっぱり、以前と中身を変えたのならばそう説明することだろうか・・・。

ひとの責務として、商人の義務として、そしてエンジニアとして食品開発に携わるものとしての倫理だろうか。

犯罪者としての不正を働く気ならば、それ上述のすべてを否定していることになる。

疑惑は罪への入口ということだろうか。

でも戸惑う話ではある・・・。

下馬評

結構、正しいのが下馬評だ。

常に自分勝手という解釈が優先する。

そして、悔しがる。

どこにそんな意味がある。

もともとない可能性なのだ。

いや、ごめん、少ない可能性なのだ。

もちろん100%勝ちますなんて言ったとしても、それは時にゼロとなり、百にもなる。

それが勝負なのだ。

如何に客観的に準備し、勝利への道筋を作るか、作れるかが分水嶺だろうか。

下馬評は、それでも一般論としての説得力がある。

恐れずに声を上げるとどうなる・・・

戦時中、地域社会は監視社会だったらしい。

そこで戦争反対とか、徴兵拒否とか、あったらしい。

でも、もう狂気の社会になっていたのだ。

恐れずに声をあげなさい・・・、そんな風に他国の内政で思うのだが・・・。

みなどうなっているか。ぶち込まれている。

さも、お前の将来はないというような仕打ちで拷問にかけられているのではないか。

謀殺なんていう手も見え隠れする。

声を上げろと言えない。

というよりも、だれもが声を上げない。

そんな恐怖の中で、だれが正義だとか民主主義だとか声を高くして言えるだろうか。

弱いものは従うしかない・・・。癪だが、そうなのだ。

でも、いつか変わる。悪は滅びる・・・からだ。

ただ、その真っただ中にいる人たちは、フロントランナーは粛清される。

後に続くものたちは、どこまで同じような仕打ちに遭うのか・・・。

力だろうか、社会の、民の力を何で示すのだ。

選挙の一票ということか・・・。それはちゃんと機能しているのか。

そこが問題だ。

財政規律:こどもにどう教える?

お国の財政は、借金過多だ。

それも世界一だという。

そんな台所事情の国家に住む俺たちやその子どもはどうすりゃいいんだろうか。

悩んでしまう。

俺たちはしょうがないとして、こどもにどう伝える。

そんなのはお前たち大人のバカがやったことだろう。

そんなことを言われるのではないか。

おかしいもんな。

ツケを次の世代へと回していくことをこれ以上続けていくと信用を無くする。

円の価値が消滅し、通用しなくなる。

ドルで・・・、いや中国の通貨が・・・。

そりゃ国家が消滅すれば、属領となって他国の通貨になる。

で、どうする。

このすごい緩い財政規律でいいのか。

ずっと続けるのか・・・、破たんするまでの話ではあるが・・・。

それしかない・・・なんだよと、こどもらに話すしかないな。

政治家はどうする。

みんな財政の専門家ではないから・・・とか言って、逃げるのだろうか。

では、なんなんだっていう話だよな。

民のために政治家を目指すとかなんとか選挙ではいっても、こりゃだめだな・・・。

どう教えるのだ。ちゃんと財政は収支の均衡がとれるように行うのだと・・・、まだ言えるか???

優勝劣敗に抗うのが世の常である

劣るものは競争に負けるってことのようだ。

劣るものってなんだ。

弱いものや環境に適応できないものたちのことらしい。

敗けるってなんだ。

そりゃ滅びるってことらしい。

ロシアがウクライナに侵攻しているのは、同じことなのか。

卑劣な手法は強いってことか。

侵略はでっち上げ的な理由で行っていいってことか。

理由はなんとでもつく。結果を出せってことのようだ。

この世の中にはよくあるセリフなのだ。

弱き民は、それでも劣敗に学び、貧困に屈せずに笑顔でいる。

病気に苦しむ家族はどうか。

わが身を顧みれば、笑みがあった。当時も自分で、はたからみたら、あいつあんな状態でよく笑顔でいられるなっていう目で見られただろうに・・・。

弱いものは強くなれる。なぜならば、弱いからだ。

劣るものは秀でるものになれる。理由は劣っているからだ。

いいのだ。弱くて、適応性が不足でもいいのだ。

そこが原点になるのだ・・・。

やっぱり弱いのか

サムライジャパンは、やっぱり強くない。

ワールドカップ本番ではないものの、直前のテストマッチで負けるとは・・・、それも逆転負けである。

これって悲劇そのものだよな。

まだ本番でない、選手の起用法を試している段階だからかまわない、などなど諸説あるようだ。

でも、ドイツは勝っているではないか。

強くはない、でも、勝てる可能性はある・・・。

いろいろな解説があるようだ。

結局、予選リーグを突破するのはものすごく難しいというのが分かる。

実力も、運も、その他いろんなものやことがらが幸運に働かないとだめだってことのようだ。

強気の理由は、そこに、その舞台には立っているということだろう。

スタートには立ったということだ。

なでしこのようなこともある・・・しな。

夢を描く力

やっぱりそうだよね。

ひとは、なにかを作る力が要るのだ。

そして、俺はなぜ何もできないのかと悩む。

その過程でできるようになる。

そこが難しい。

だって、そこのところのプロセスが偶然、さも偶然のようにしか出てこないからだ。

ほとんど何もなしにやっていくことでしか得られない。

新参者にとってはいつも茨の道でしかない。

未知との遭遇というが、そんなもの、会う前ににはだれもに分からないのだ。

闇雲ではないものの、人生一寸先はやっぱり暗黒の世界なのだ。

だが、俺たちには夢がある。

夢は描かないといけない。

横道からすぐにでてくるものではない。

たぶん、それは来るとしたら襲い掛かってくるはずだ。

優れた才能にいつもおびえているからだろうか。

出る杭は打たれるというが、でなければ撃たれないかというとちがう。

でる前に打たれてしまうことがほとんどなのだ。

それをどうする。ちからで対抗してどんどんと這い上がって伸びていくだけではないか。

執念

熊本、京都。

1対1の引き分けだった。

ゴールポストの前に相手選手FDの顔面に当って跳ね返り、それを蹴り帰りがゴールとはならなかった。

なんとも・・・。

J2へさらに1年を過ごすという闘いがある。

残留争いは激しい。

だから、やはりリーグ戦での成績を上位にあげていかないとだめなのだ。

残されたチャンスを活かすのはいいが、そこに頼ってはだめだ。

これは静岡の2チームにも言える。

たしかにこのあたりでうろうろしていると、いつの間にかチーム消滅なんていうことにもなりかねない。

新規一転で新たなチームが地域活性化で浮きあがってくるようだし、静岡J2チームが三つにもなりそうだ。

はやくそろってJ!復帰しよう。

なにが足りないかって・・・。

それは勝ち切る力だろうか。

選手一人ひとりの能力はプロなのだから、そこにかけるしかない。

生涯をかけてやっているのだ、それがプロなのだ。

その力、プロの力を活かす知恵をひとりひとりが出していこうではないか。

青空を独り占め

安倍川の土手をぐるっと回った。

大雨の影響で土砂と流木の処理がまだ8割ぐらいの感じだった。

一度、大雨が降ると海岸地帯のみならず河川沿線は荒らされてしまう。

その処理がとても大変なのだと分かった。

なかなか河川の方まではみていなかったので、知らなかっただけである。

きょうはそんな中、いろいろとみて回った。

ゆっくりと歩いていると普段はみない青空が自分のもののように感じる。

なかなか味わえない瞬間かもしれない。

 

まさかり投法

時代を築いた男のひとりだろうか。

村田投手、元ロッテの大投手だ。

ついこの間ニュースでどうのこうのと名前がでていた。

ひとの命のはかなさをドリフの中本工事さんの事故と重なって想う。

ニューヒーロのサムライジャパンデビューの夜に・・・というのが、ロッテつながりでもあろうか。

きっとそれがうれしかったのかとも思う。

ご冥福を祈る。

チーム力

静岡ダービーは、J2の舞台になる。

新勢力の台頭という意味では大いに歓迎だ。

前向きに受け止める。

後退する必要はない。

すべては明日のためにである。

「割り切る」のだ。

そして「だれがでても変わらない」強いチームを作るのだ。

「その気にさせる」のだ。

これはWC制覇のなでしこの選手(安藤こずえさん)の記事に遭った言葉だ。

なるほど・・・ではないか。

やれるってなった時の感触がフルにでている気がする。

上昇気流に乗るには敗戦の後ではだめなのだ。

勝負にかける意気込みの中でみんながそう想うことでそこに気流が湧きたち、トンビがらくらくと舞う空が描けるのではないか。

 

奔放

子の漢字の「奔」は「ホン」と読む。

はじめて手で書いてみた。

なんとも難しい。

大の下に十を書いて升に近いものを記す。

いつも見るが書かない、自分では記述しない漢字がなんとも多いやらと驚く。

Reskilling リ・スキリング

リスキリング、つまり学び直しのことらしい。

このごろカタカナが多くてよく分からないケースが起きる。

これもその一つだ。

どうしてもウクライナ侵攻など戦乱が頭に浮かぶので、キリングが目立つからではないか。

それらのことも含めて、学び直すことがとくに大切な気がする。

というのは、どうもいのちの問題と関係あるからだ。

こどものころ、おふくろは40代から50過ぎたら死ぬようなことを言っていた。

寿命として50は相場、当時の平均的なものだったのだ。

終活とかいうが、もう30代半ばで始まったいたのだろう。

その代わり、小学生高学年とか中学生はもう大人に見えていた。

活動形態が人生のスケジュールにおいて変化しているのだろう。

昔のこういう記憶は消えないから、やはり健康問題、成人病とか回避が難しいだろう問題にはどうしても敏感になる。

イツシヌ、イツウゴケナクナル・・・なんていうセリフが頭をうごめいているのだ、しょっちゅうだ。

だから、一度リセットしておく必要がある。それが学び直しリ・スキリングではないかな・・・と思った。

 

かくれんぼ

月と天王星が太陽から見て一直線になったらしい。

大勢が望遠鏡で覗いていたっていう話だ。

だから、みんな寝不足で今朝は大変だったというのだ。

でも、俺たちはそんなことしないでグーグー寝たので、普通に起きてきた。

とくに太陽系の惑星のかくれんぼにつきあう必要はない。

宝島

きっと昔、むかしに要らないものを捨てたところなんだ。

だから、ちょっと前のごみの島は夢の島になっているんだろうな。

ゴミってお宝なのだ。

未来に向けて蓄財していることではないのか。

要らないものが本当はとてもとても大切なものになる、そう変化するってことなんだ。

宝島ってどこにもある。

照ノ富士関、しばらく休んでくれ・・・という声援を送ろう!

よくやった。

ここ数百年で一番、感動した。

大の大関がどん底まで落ちたのだ。

まさかの坂があると、政治家が時々使う言葉がある。

ありえない断崖があったのをなんともないようによじ登り、横綱になったのだ。

日本中、モンゴル中のだれもが認めるものだ。

だから、膝をなおして、さらに数十回の優勝に向かって励んでほしい。

きっとできる・・・。そして、だれもがそう期待している。

 

To death, starve or freeze!

餓死か、凍死か。

そんな状況にひとはすぐに追いやられてしまう。

おれたちは水がないと生きていけない。

同じように体温を保ち、おなかに食べ物を供給しないと死んでしまう。

すべてが一元化され、もともと個別の生活維持機能が失われている。

多様化といいつつ、水道も上下水道を含めて巨大化されて集合化されている。

一部で下水道の多極化が検討されているとも聞いたことがある。

すでにひとのこころそのものが一つのものに依存している傾向はないか。

様々な考えはたてまえとしてはみんなうなづく、しかし、個々は一様なものしか認めていない。

昔からこうだった、先進国はこうだ、偉い人はこうだ・・・とかになる。

自然死をどう生き方、考え方の多様化で現実のものにしていけるかが、世界の課題ではないだろうか。

そのためには、最低限、戦争での殺し合い、囚人を戦場に送るなんていう行為は即刻中止しなければならない。

締約国会議27で、少なくとも、この議論はしなければならない・・・はずだ、そして、できるはずだ。

カタカナ

アルファベットとカタカナは同じかもしれない。

ふとそんなことを想った。

なぜならば、文字に意味がないからだ。

スペルというか綴りでもって意味を表現するプロセスは同じだからだ。

要素ということか。数字も同じか。

意味を現すのは、意思を伝えるためだ。

その目的のために、ひとはいろいろなことをしてきた。

話て聞かせることで、伝える。

伝えられたことを理解して、次に伝える重要なことは子供たちに同じようにして伝える。

家族の範囲を超えるものにはどうしたらいいのか。

文書で示すのが、汎用性がある。

記録になる。

口頭での伝達はその場限りかと思いきや、そうではなくなった。

録音という技術、録画という技術が、文字や文書による伝達と同じようになったのだ。

ただ問題は受け取る側のひとの能力は変わっていないことだ。

これらの変遷には当然ながら、それぞれの機器があり、携帯する必要性が生れた。

事務所だけならそこでの設備でとなるが、このグローバル時代、どこでもいつでもだれでも・・・となると、これは話がちがってくる。

ひとも後付けの機能ではなく、内部にその能力を付加していかないといけない・・・。

こりゃ改造人間の話になる。ちょっと、これは私は嫌だ。やはり、ありのままの今の仕様で人生を終わりたい。

締約国会議COP

なんのことやら、COPのことだ。

やたらこの言葉がでてくる。

気候変動についての会議だという。

だから気候変動に関する国際条約の締約国が集まって議論する場なのだとはわかる。

そこで何を話し合うのか、こんな紛争の多発している国際情勢の中で・・・。

そんな気がしないか。

もっと平和な状態でないと気候変動へ対処できるちからは発揮できないってことだ。

自堕落な生活をしていて秩序ある社会を構築しようなんていう運動をしているようなものではないのか。

まずはウクライナ侵攻をやめる。イランや中東での紛争をやめる。

不要な核開発やミサイルの発射をやめる。

民主主義の根幹を揺るがすような暴力的な偏った論理を大衆に向かって政治家が叫ばない。

ルールを作り、それを民主主義というルールに従って実行する。

もちろん、ルール自体に問題があれば、そこは重要な議論になる・・・。

エジプトで開かれている会議は、前回のインドネシアでの結論とどう変わりうるのか。

最近、その関心が薄れてきているように思う。

効力がなくなれば、自然消滅しかない。

 

静岡ダービーは下のランクでやることになる・・・

ジュビロ、エスパルス。

浜松(磐田)、静岡(清水)。

どっちも静岡県だ。

浮き沈みの激しいこのJリーグでの降格争いはなんとも寂しいものだ。

降格なのだ。

格下になるのだ。

そこで威厳が保てようか。

だが、そこがプロだ。

アマチュアではない。

厳しいのは当たり前のことだ。

しかし、その技術的なちがいは歴然としているのも事実だ。

大リーグも同じか。

でも、降格はない。

勝てるチーム作りはどうしたらできるのか。

QCDをうまく活用することでしかない。

お金はチームの品質を改善するために不可欠なのものだ。

そして、そのチーム作りの完成への道のりをしっかりとやることだ。

そこにしかない。

差は大きい。そして、そこの差を埋めるのはそう難しくはない。

どのチームも素材をQCDと情報で優勝するチームへと調理して完成させる道のりなのだから・・・。

貧困に苦しむ親をしあわせにしたい・・・

これがこども願いだった時代がある。

できもしないのに、そう願っていた子供たちが大人になってどうしただろうか。

気づいたら、親はもういない。

そうなのだ。

あることを想いつき発奮して懸命に励む。

だが、その時にはもういないのだ。

だから、無駄だというつもりは毛頭ない。

それが人生そのものなのだ。

そんな中でみんな多少のプラマイを経験して生きてそして死ぬ。

貧困に苦しむひとたちを社会的に開放したいというのは政治の仕事になるようだ。

それもなかなか進まない。

世の中トレードオフの構造なのだ。

一方がうまくいけば、他方ははじけてなくなる・・・。

社会思想がそこにある。

しかし、いいというイデオロギーも時には変革が要るのだと、みんな知っている。

そんなエネルギーは時として戦乱へと社会を落としこんだりするようだ。

その時々に時代に迷った人物が登場する。

ありえないことをするひとだ。

そこに親への感謝とかはありえない・・・だろう。

どこかが狂っているのだ。

そんなことがどんどんとスパイラルの中を沈み込ませるようだ。

ダウンだ。アップではない。

でも、その谷底には、貧しい親を幸せにしたいという願いはあるようだ。

クラッシュ

群集がクラッシュする。

死亡者が出る。

近寄るな・・・と注意する親たちがいる。

当然のことだ。

危険は予知するものだ。

人生も同じだ。

しかし、ときには目をつむって任せるしかないのが現実だ。

そして、自分の本能とか生き方とか心情をそこに表現できるかどうかが大事になる。

なぜって、社会では個人のことなんて考慮しないからだ。

主張なきところに真理はないってことのようになる。

クラッシュするのは、群集には主張がないからだ。

個人はいつも自分の頭の中でクラッシュしている。

いつも主張のない自分に腹を立ててもいる。

一流の証明;大谷選手のケース

だれも頭を縦に振らない環境で挑戦してMVPを達成した。

昨年に続き、今年もというニュースがあった。

そんな話がでるだけでも身震いする。

一流とはそういうものだ。

すごい、おのれの自信をみんなのものにしたひとなんて今までいなかっただろう。

それがすごい。

来季の活躍が楽しみな選手が、まだこの世界に生きて実在している。

景気がいいか・・・

ひとが街に出始めている。

ソウルの事故ではないが、ひとが大勢でれば景気は上向くのだ。

背景はひとの数のようだ。

人口問題が大きなテーマの時代には、如何にして人口の急増を防ぐかが議論されていた。

そして、その統制がうまくいかない途上国はこの問題にさいなまされていたのだ。

しかし、人口抑制というかじ取りを上手くやっていたはずの先進国が高齢老齢という地獄に引き込まれてしまっている。

そこに少子化だ。まるで、ちょっと前の知識層の思考をあざ笑っているかのように見える。

コロナ禍での対応も同じような傾向がある。

世界中がパニックになるなんてありえないと、私は新しい伝染病の話がでるたびに否定していたのだ。

しかし、パンデミックは起きた。

COVID19という名前でもうすでに3年を経過した。

幸いワクチンができて4回ほど接種している。

まるでパニックだ。

ロシアが隣国を攻撃して占領しようとたくらんだ。

だれもが強国には対抗できないだろうという中で、なんとウクライナは抗戦している。

核攻撃をちらつかせながら、ガキ大将はなかなか立場を崩せないでいる。

せっかくの景気がそこで足踏みする。

どうなるか。

どんどんと自由勝手な社会へと世界中が回転していく気さえする。

国連とか地域連合とか、総崩れになっていくのだろうか。

とすると景気はどうなるだろうか・・・。

日常と非日常の差

すぐそばにある。

日常がすぐに非日常に変化する。

そんな体験をだれもがしている。

非日常がふつうになる。

どっちがどうでもないのだ。

あるがままの現実が日常なのだ。

そうではないか。

どう過ごすかは、底力次第のようである。

ミサイル

ミサイル発射でJアラートが発令される。

対象地域では、JR在来線が停止し、緊急事態となる。

上空通過???。

通過した模様、しかし未だ着水は確認されず・・・。

訂正、上空で消滅の模様。

日本の上空は通過していない・・・。

連続発射・・・。

やはり、恐怖だろう。

かなり大胆な行動で挑発しているからな。

しかし、もう破天荒でアウトローには慣れっこかな。

国連と安保理も手がでない。

ロシアと中国の動向も微妙だから、下手に仕掛けられないはずだ。

でも、きっかけはどうにでもなる。

弱いところから攻められるのだ。

たいていは、攻撃の直後に弱点がでる。

そこを狙われる。

もう、やるかやられるかのどっちかだ。

もちろんやっつけるのがこっちの戦略だ。

発火点は、相手になる・・・ように仕向けるのが常とう手段だ。

ミサイル発射で終末が見えてくるきがしないでもない。

それも失敗の弱点を見せつけるのが目的ではなかろうから、恥ずかしい結果に2発も打ったのだろう・・・。

試験結果発表

淡い期待で発表の日を過ごす。

結果はどうか。

やるだけやっても結果がなければ意味はない。

いや、そこで結果をみてどうするか。

決めているのか。

そりゃ、毎年同じ繰り返しがまたくるのか、終わりになるのかだけの話だ。

そうなのだ。

受かればもう準備はしないだろう。

それでいいのか。

そんなことは、既に解決済みだ。

目的ははっきりしている。

ちゃんとしたエンジニアになること、ちゃんとしたひとになること。

そうなのだ。

その過程での一コマなのだと分かっているけれども、やはりなんとなくしんみりもする。

そりゃそうだ・・・。

結果の惑わされるな。落ち込むな。あまり張り切りもするな。

平常心で、いいのだ・・・。

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