とくに誰かにメッセージを送るというものではない。
ただ、自分の気持ちを文章化できる唯一の機会なのだ。
だから、大切なものである。
どっかとつながるために、文章でコミュニケーションをとる。
そこには、特別なものはない。
だけども、とても大事なことは、思考回路にあるように思う。
自分の心理をどう分析するとかいうのではなく、社会とつながる時にだれでもが孤独を感じるはずだ。
なんてちっぽけな存在なのかと驚嘆してしまう。
小さな小さな自分にどう立ち向かうのか、そんなに心配する必要はない。
みんなほとんど同じなのではないかな・・・、なんて不安を和らげようとしている自分に気づくはずだ。
ちょっとでも安心したいのだ。
これでいいのかなっていうことに答えはない。
なぜならば、常に不足、不満、不平なのだ。
でも、そんな世界でも、いのちは無くなる。なくなってしまう。
高齢者になり、後期高齢者というカテゴリーに放り込まれてしまう。
後期高齢者健康保険料という税金の督促がきた。
そんな通知があったかなといろいろ探したがみつからない。
延滞金の記述が大きくなにか威嚇して「払え」「払えよ」「早く払えよな」とか言っているようだ。
もちろん、支払うべきものは払う。
借金してでも払う。だって、国民だから、国民の義務だからだ。
不合理、理不尽、社会の常識、個人の非常識、関わりの難しさが漂っている。
銃規制でないはずの、銃による警察官らの死亡が報じられている。
立てこもっているという。
警察官は、銃で殺されるなんて想像は普段はしない。頭の中では様々な危険に対処するよう訓練を受けているプロなのだ。
だけれども、社会に受け入れられるポリスマンというフレンドリーな雰囲気を日本では警察官へ強制している気がする。
もっと、職務をみんなで支えないといけない。
そんなに泣いていると警官が来るよと子供たちに叫んで言い聞かせていたのは、もう昔の話かもしれない。
子育ての難しさが、事件の起きるたびにいわれる。
そのたびに他の国々に比べれば、そんなことは・・・・といつも却下されてしまうのはなんとも言えない・・・。
寂しい気分になる。
原爆投下の広島で世界の自由主義国(?)の首脳が集い、平和について協議した・・・ようだ。
中身は戦争についての話であり、侵略者への処罰を強化しようというものだ。
追いつめる。追いつめられる方はどうか。
反発し、反抗するだけである。もちろん、私が悪いとは言わない。
だから、最後は力で説き伏せるというか、打ち負かす以外にはない。
武力の衝突が回避できない状況へと進むのは、火を見るより明らかである。
投稿する気分じゃない・・・という始まりが、今は投降する気分じゃない・・・になっている。
おれは何か敵味方を勘違いしているのではないか・・・。
そりゃ、そうだろう。敵の味方は敵だろうし、敵の敵は味方だろうし、どっちも殺されて殺して・・・。
ああ、分からない。なんで国家になるとひとを殺していいのか。見せしめしていいのか。分からない。
悪いし、いやなことだと明確に分かっているし、なんで、そんなことが許されるのか。
そうしないと法律でそれこそこっぴどくやっつけられてしまう。
そんな状況では逃げることは論外の悪行になる。
・・・・早く、終われ・・・というのがせいぜいである。情けない。ちっぽけさをつま先から頭のてっぺんまで感じている。
地球と火星の間に挟まれて押しつぶされている気がする。
太陽の灼熱の中でもがいている自分の精神というか魂がいるような感じだ。
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