思惑
ちがってしまった。
思惑って、もともとそういうものだろう。
ちがって当たり前ではないのか。
プーチンというひとが自分の思惑でいろいろと勝手なことをしてきたのだから、このあたりで再認識し反省なんていうのがいいのではないか。
そうしないと崩壊するはずだ。自己崩壊っていったかな。
悪人は、悪事を働くことによって壊れてしまうってことだろう。
いくらごまかして悪人は悪い人でしかない。
相手がわるい、俺は悪くないと突っ張ってみても、他人ではなく自分の判断なのだ。
あんたよりも悪い人は世界には万といるだろう。
でも、そこを認識しないのはおかしい。
世界の大国のリーダーたるものは、いわゆる英雄のはずなのに、だれもそうは思わない。
切ないだろう。
だって、行動が伴わないどころか、おかしいのだ。
WWIIの悪者は自害した。それは、小数他民族を敵視したり、その人権を踏みにじるという行為がおかしいのだ。
普通ではないことを、当たり前と思いこみ他者に強いるという越権行為が国家がらみになっている。
公私混同という定義の見本のようなものだ。
そんなのは私利私欲の一端なのだろうが、国家という、それも世界の大国のリーダーのことなのは、恥ずかしい限りである。
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