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2023年11月

恬淡と激情

日本人のこころの中だそうだ。

恬淡がわびサビの部分だろうか。

戦乱と侵攻が激情のせいということのようだ。

たしかに、誰にでもある心理だろう。

日本の、日本人の・・・と述べたが、これは誤りだろう。

きっと、同じだ。

欧米人も同じだろう。

ロシアは欧米か、中国は違うだろう。

北朝鮮はどうか。これは問題ありだ。民をリーダが苦しめるのは論外だ。

どんな時代に人民のためというお題目がないとだめだ。

民のために戦うのと、己の私利私欲のために国家権力を使って殺し合う。

これってどうなのか。

一方は許せ得るのか。

その渦中で苦しむのを死ぬ行くのを黙殺することが果たしてどうなんだ。

でも、なにもできない・・・。

恬淡と激情が私たちのこころを転げまわっているような気がする。

どうするエスパルス

モンテとの対決だ。

まだあるだろう。

このシチュエーションでJ1復帰を目指すのはかなり大変だ。

でも、この試練を経て抜け出す方が、復帰後の活躍が期待できる。

私はそう見ている。

たしか3チームの争いになる?

で、そのあともまだあるって?

かなり大変そうなプロセスに見える・・・。

ファイト、ガンバレ、ふれ・ふれ・・・。

あとはどんな言葉があるか。

こころの祈りかもしれない。

 

世相

この時代をどう表現するか。

世相はもう一国の問題では処理できない。

だから、言い訳がいる。

自国第一という思想が幅をきかしつつある。

でも、世界の平和という思想もある。

そんな中で、一部の大国が小国を弱者とみなして囲い込もうとする。

逆らうものが軽視×風潮は、世界の混乱を歓迎するような動きである。

世間の話題を多角化して、現実から目を背けさせるという魂胆なのだ。

貧困が国家を支えるなんていうことが今の現実である。

嘘だろうというのは、あまり現代社会に詳しくない人たちである。

世相をどう表すのか。

今の日本は誰がトップになってもなんら代り映えのしない無思想の社会に見える。

これはあまりにも悲観的過ぎる見方だろうか・・・。

つれづれなるままに・・・

こういう心境となるのは、どんな時でしょうか。

つれづれなるっていうのが、ほとんど分からない。

ケセラセラという感覚に似ていると私は思う。

しかし、どうもしっくりしない。

なるがままにというところに意思が入っているのではないか。

ふと、そんな疑問にぶちあたった。

そうかもしれない。

そうつぶやく自分がいる。

そんなこと、辞書で調べりゃいいじゃないか。

そうではない。

自分でどう感じるかという観点での観察だから、興味深いのだ。

なんでもかんでも辞書では、やりきれないだろう。

そして、たぶん、そこに己の思考と辞書の思考過程に少しでも共通点が見いだせれば、納得できるのではないか。

でも、それは難しいことだと知っての意見なのかはなはだ疑問だ。

思いつきで話しているだけではないのか。

もちろん、思いつきだろうけれどな・・・。

レピュテッションリスク

これって評判を気にすることだろうか。

社会の評価が下落する危険性とでもいえばいいのか。

たしかに企業としては気になるところだ。

それでも闘いはある。

それに打ち勝って売上げを伸ばすことが極めて重要だ。

安全保障と経済安保のはざまで企業は揺れる。

長大重厚から短小軽薄へと明らかに移行はした。

しかし、そこで実際に触り、触れるのは実体のある機械だったりする。

だから、心身の機能でもその調和が不可欠になる。

どっちかでは生きていけない。

バランスの取れた生き方、経営、政治、防衛などの安全保障が基本になっているのだ。

PFASなどのフッ素化合物

化学工場の近隣ではよく不安が募る。

たしかに煙が排出されているし、時々は大きな煙が出ていた気がする。

化学工場では化学薬品の製造が仕事だから、当然のことかもしれない。

だが、近隣は爆発事故とか蒸留塔のようなものの配管の多さに危険を感じたりする。

すでに問題の化学物質を含む物質の使用は数十年前に終了しているようだが、残留の問題がある。

水道施設に問題があれば、そりゃ近隣の井戸水の重要性がよくわかる。

だから、こういうタイミングでこの話題がニュースになっているのは、住民にとっては救いであった。

水俣病のようにその地域経済を支える企業が原因となるとなかなか意見しづらいし、見逃しがちになり、甘い見解で終わらせようとしてしまうのが人情というものだ。

そこは厳しく接するのが社会人として人としての責務である。

論理

よく言われることはお前いつも理屈っぽいなってことがある。

私の友人のことである。

しかし、理屈と論理って似ているかもしれない。

でも、論理的な考えがあんたは素晴らしい。

そんなことを言われればうれしいはずだ。

どこに違いがあるのか。

それは、ほとんどないと私は考えている。

なぜならば、ある仕組みに沿って考え、行動していれば、自然とそうなる。

論理的なものになるのだ。

でも、中途半端であれば、理屈っぽいとなってしまう。

ほんの小さな違いだが、頭の片隅にいれておいて損はない。

ああいえばこういう

そうなんだ。

いつものことだ。

俺がああいえば、彼女はこういう。

その繰り返しだ。

だから、いつも仲がいいのだ。

ケンカではない。

格闘技のようなものだ。

でも、ルールはない。

それが、夫婦のルールだからだ。

ああいえばこういう。

こういえばああいう。

なんと気の合った仲なのか・・・。

自由に思索する・・・

まだ生きていられる。

そう思うのは、なぜというワードがあるからだ。

現実は複雑で流動的で思うようにはならない。

かというと、そうでもない。

なんの躊躇もなくすんなりと目的がかなえられたりもするのだ。

そんなこんなを自由に思うことは、やっぱり人だからできるのだと感心もする。

もちろん、苦楽を共にする存在が大きい。

すべては人生のシナリオが操作しているのかもしれない。

ひとはなぜ飛べないのか。

でも、泳げる。

つまり流体の比重がそこで関わっているのが正解のようである。

環境を変える。

それでひとはまた生きる道を探すことができるらしい。

トラ優勝

なんと38年間も遠ざかっていたようだ。

ダメなんとかというイメージが今年の優勝、日本一で吹っ飛んだ気がする。

セリーグはヤクルトもいるし、ジャイアンツもいる。

デーエヌエ―も結構やるし、広島だって・・・。

この頃、強さの目立つパリーグは、トップチームなどから、選手の大リーグへの移籍が目立つ。

セは筒香選手のように、国内では同レベルに見えてもなかなか通用しきれないもどかしさがある。

少年たちの興味がどう動くのかにスポーツの未来はかかっている。

めったに優勝しないチームの活躍は目を引くものだ。

全体の人気がどう動くかが正念場である。

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