たばこの問題は、その中毒性にある。
やめられない。やめたいという禁煙の誘いが頭を席巻する。
もうだめだ。吸いながら考えようとする。それがおかしいとは思っていない。
一服して禁煙の仕方を探す。でも、ちょっと吸わずにいたあとの、あの感覚が忘れられないのだ。ついつい吸う。たばこって面倒くさい。だって、いつもいつも禁煙がちらつく。
そして、必ずうまくいかない。失敗ばかりだ。なんでそんなルーチンにひっかる。
たばこを吸うようになってから、毎日だ。
でも、どうせだめだといつも思う。意志薄弱だからだ。なんでそうなのか。
健康だからだろう。では、健康なことが原因か。いやそうでもない。
誘惑がある。煙草を吸わないとか、興味がないとかなら、それもない。
そんな人生つまらないとぼやく。俺はちがうとつぶやく。
そして吸い続ける。でも、むなしい。禁煙の誘惑がきょうも明日もずっとこの先続くのだ。
そんな日々は二十年ぐらい昔だ。今は吸っていない。いや吸わない。吸いたくない。あのの臭いがいやだ。道をあるいていても、鼻につくのだ。わかるのだ。煙草をすうひとは臭いでわかる。そんなこと、気にもしたことがないのに、いやはや、もうニコチンの臭いはいやだ。
それでも、吸わない今でも、夢は見る。ああ、吸っているではないか。でも、気が付くと夢の中だ。消さなくていいとほっとする。はっとするのは、気持ちよさそうに夢のなかですっているわが姿を思い出すことだ。
やはり、中毒症状とはそういうものかもしれない・・・。理性を狂わせるということのようだ。
これは教訓だろう。そうだ。
今日のお勧めはなんですか。
今日はとくにありません。
では昨日のおすすめでお願いします。
それは、昨日で終わりました。また来週です。
では明日のおすすめでお願いします。
それでは、明日いらっしゃってください。
はい、わかりました。
おすすめサイトへのアプローチはなかなか難しい。明日また試みようではないか。
どうしてそんなにほがらかなのか。驚くことが多い。普通なのだ。あのテンションが当たり前なのだ。
信じられない。現実なのだ。とても驚くことが多い。なぜそんなにハイなのだろうか。わからない。もっとゆっくりと落ち着いていてもいいのではないか。どこかに行くにもそれでは大変だろう。
起伏があるのだろうか。それが平均なのだろうか。安定しているのだろうか。ほがらかさの内面に何かちがうものがあるように見えることもある。親切さの中に違うものを感じるのは後ろめたいのだが、みんなそういうメカニズムで詐欺にあっているのは確かだ。
暗い詐欺師はいない。おれおれ詐欺はみんなたぶん明るく朗らかではないのか。少なくとも表面的にはそうだろう。演技なのだろうか。
そして、こころから朗らかな人たちがいることも現実なのだ。そこには大きなギャップがあるようだ。でもあまり変わらない。生きているレベルはそれはある種のハイレベルなのだと私は考えている。
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