グルメ・クッキング

うちのカレー

どうも評判はよさそうだ。

いつも自慢のカレーがでるときは、気分のよいときのようだ。

お昼もカレーで、夜もカレーなんていうことはざらだ。でも、昼は外だから、あまり頓着しないのだ。

夜は自分の選択ではないから、昼はそんなこと気にしないで、気分でチョイスする。

うちのカレーは、けっこうおいしい・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

おいしいもの

おしゃれ!といわれそうなのが、あいつはグルメだとか・・・、ワインに詳しいとか・・・、高級レストランをよく知っていていつもいいところに出入りしているとか・・・、なんだそうだ。

料理のおいしさを上手にコメントできるなんていうのも、オシャレの一つらしい。そして極めつけは、これは素材がいいとか、どこどこの産物だとわかるような博学さが、あっといわせるものらしい。

たしかに、人にははまるとか、凝るということがあるようだ。あんなものが好きだとかいって、何になるのというようなものまでが、今はおしゃれの一つになるようだ。

家電芸人とかいうのは、そんなたぐいのおいしいもののひとつにあげられるのではないか。最近は、なんか意味のわからない「ねんどる」なんていうのがあるらしい。それはそれで特徴づけとしてはいいのかも・・・、程度でしかない。粘土細工の好きなアイドルのことを「ねんどる」というのだそうだ。

おいしいものというのは、何かあまり興味のもたれないような、希少価値のものだろうか。それとも大道をいくごはんのような主食をいうのだろうか。もっとも、ごはんもピンからキリまである。

おいしさは、でも、ふるさとの味とか・・・、そういうものが一番だろう。どんな名料理人にもそれはまねできない。おなかをすかしたお客さんが一番、おいしいといってくれるだろう。

おいしさとは決してまずさが少ないということではないと私は想うのだが、おいしさとまずさは同じ尺度だろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

企業秘密の範囲について思う

どこまで許されるのだろうか。それともそんな許容範囲はないのだろうか。

企業秘密です。食べ物のうまいものを提供しているお店は、そういうことが多いようだ。面倒なのだろうか。それとも説明できないような奥深さがあり、ほんとうに説明できないのだろうか。

食べ物。おいしければいいことは決してない。健康に直結した食物は私たちの命のもとである。そこに企業秘密というブラックボックスがあるのはどんなものか。薬品は承認されたものでしか市場にはでてこない。そこに段階があって、医師が個別に処方するものもある。

食べ物はどうか。

ドラッグの入った食べ物がもし、ファストフード店で売られていたら・・・。ありえない話だが、たとえばのことである。日本ではたとえ話は喧嘩のもとになるような一番のものだった。そんな疑心暗鬼でおれたちを見ているのか・・・。そうなるのだ。だから日本ではたとえばというシミュレーションは歓迎されない。リスクマネジメントも同じ理由でそっぽを向かれるようだ。

でも考えてみよう。秘伝のタレがどんなものが入っているかわからなければ、私は食べたくない。おまえ腹が座っていないな。臆病もの。そう言われてもかまわない。怒ったりはしない。

なぜならば、そんな不明確な状況に自分を置きたくないのだ。だから、私は海外でもあまり目にしないものは食べない。昔は田舎だったので、さしみは食べなかった。それは、冷蔵庫の整っていない時代には、変な食べ方でしかなかったのだ。すくなくとも山腹の田舎でそだった私にはそればセーフティネットなのだったし、それで自己保身をしていたのだ。

いろんなものが情報開示されている。その情報自体が信頼できなければ、元のもくあみである。そこで終わるしかない。

品質の悪いものは価格が安い。そうは言えない。品質をごまかすために、価格をごまかされればもう消費者は判断できない。これ安すぎるんじゃないの・・・、とは言えるが・・・。これまずいんじゃないのとは、なかなか言えないものだ。技術的にも信義上もである。

この辺が、狙い目なのかもしれない。ひとの心理をついて、偽装する。儲けがあれば、それで法人はお金を食べる生き物だから、・・・・。それで生きていき、さらに悪さを拡大してしまうのだ。

企業秘密は、悪いとは言わない。自分で詳細に検討し、害がないと判断してから、あらためて、第三者に安全性を、きっちりと検証してもらうことだ。

これは、なにも食べ物だけの話ではない。企業そのものについても、いたずらに法人の食べ物だけを膨大にしているなら、許されることではない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

毎日、何を食べたらいいのか

いったい私たちは、毎日、何を食べて生きていけばいいのだろうか。

お米が汚染されている。カビ毒や農薬が混入残存している。それが、安全な食糧として巷に流通している。貧しい人たちには安い食糧を供給するというなら、きわめていい政策である。でも、うなぎも米も本来、口に入れることを想定しないで、帳簿上の利益のために利ざやを稼ぐ商売しか、頭にはないようだ。

私たちはいったい毎日何を食べたらいいのだろうか。自給自足が必要になってきている。二酸化炭素を許容内に収めるにも、それがいいのだ。無駄なお金をかけない。それがまず大切であろう。

次に想うのは、事前に検証することである。トレーサビリティはもちろん、安全性を示すことが自分たちの仕事の重要性をアピールし、他の仕事のひとたちも同様にその役割を果たす。そこには、社会のルールを子供のころから説明していくのがいい。私たちの社会はこうやってすべてがわかるようになっている。だれがどこで何を作ってそれがどういう風に処理されて消費市場にでているのかがわかる。もし、そこに食用に合わないものがあれば、どうするか研究すればいい。

これから、安全な水が入るかわからないという時代もくる。水がなくなるかもしれない。そんなとき、どうするだろうか。今あるものをリサイクルすることだろう。

宇宙船なら、日本の飛行士が実験をするようだ。

でも私たちは、この地球上でそれをやればいい。地球の自浄機能を活かして、リサイクルさせる。

日々、食べるものを近くで栽培して、日々、それを収穫し、生活に使う。在庫のない生活とでもいうのだろうか。

こう考えると、じゃ明日食べるものが手元になくなる・・・・。そんな声が聞こえてくる。そうではなくて、自然の中に保管しておくことだ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)
|

行列が絶えない店がある

ここは静岡市清水区。場所は漁港の市場だ。ここに魚屋さんの魚市場がある。

食堂が数軒ある。どうもその一つが評判のようだ。待たないと食べてない店だ。二十人ぐらいがいついっても待っている。一度だけ入ったことがある。確かにマグロ丼の中味も多いしおいしかった。

でも、それだけであんなに行列はできない。みんな並んで食べるのが好きなのかもしれない。こんな不況の町でそんなに客が集まるのはなぜだろう。

マスコミが取り上げたからだろうか。いや、清水すし横丁はエスパルスプラザでちょっと歩いて10分ぐらい離れているし、どうもわからない。

何が客をよんでいるのか。わからない。でも行列は今日もできていた。私はコンビニでおにぎりとサンドイッチを買って食べることにした。並んでまで・・・という心境だから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

食べること

モノを食べるのは命を維持するためだ。

そんなことを言うと、なんと野蛮なといわれるかもしれない。

でも、それでいい。

これからいろいろなことが解明されて、病気もなくなり、やがて死もなくなるかもしれない。ヒトが死んだのはいつごろか21世紀ごろの科学がまだ発達していなかったころのことだ・・・・。そんな会話が聞かれるのももうすぐではないか。

でも、それはいやだ。

なぜならば、生まれて消えるのは生命体の定めである。いつかいなくなるから、いつか消滅するから・・・。だから、がんばる。ひとの命は継続するものだ。だから、そこに命が伝わり、文化とか伝統も継承されていくのだ。

食べることは、だからその命を支える重要な活動なのだ。それがすべて必要なくなって単に生きているだけなら、どうなるのか。細胞の衰えもなくなるなら、それは後期老齢者の問題もなくなるだろう。でも、肉体的なものと精神的なものはどうするのか。もし生命の誕生は継続するなら、この世の中はヒトであふれてしまう。

新たな消費税、命税というようなものが出てくるのではないか。それとも、身体を動かしひたいに汗して働く必要もなく、ごくごく一部の人が活動することでいい時代になれば、もうミニチュア化していくだろう。今のありの大きさぐらいなら、これから20倍ぐらいになっても十分だろう。人類1000億人は新たな惑星に移動するのではなく、この地球上に居住できる。それを進化というだろうか。

食べ物もアリの大きさなら、体重10グラムなら食糧は0.1グラムもいらないだろう。そうしたらこの地球上の資源はほぼ無限大になる。

それでもグルメは伝統として残るのだろうか。

そんな世界は地球の寿命100億年の今半分だから、崩壊寸前にあるのではないか。やはり宇宙開発を地道に進めていくしかないだろう。それとも、人間は時間を克服して、複数の空間を利用することができるようになるのだろうか。

隣人はちがう時空の住民なんていうのも現実的な解決方法かもしれない・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

食生活について

また食品偽装だという。今度はリンゴジュースだという。

それも、青森だという。産地そのものではないか。ここにも中国産という製品が価格面と品質面で日本の業者や専門家のたくらみを可能にしている背景があるようだ。悪いものは使わない。使えない。すぐに見破られる。素人ではない、専門家はその違いがわからなければ、創意工夫という範囲での努力をしようということになる・・・。

そこにひとつ問題がある。創意工夫。いい言葉だ。わたしも好きだ。それは、能力の低い人がその上の仕事をするようなものだろうか。資格のない人が低賃金でそれ以上の仕事をするなんていうことによく似ている。ブラックジャックは医者の世界だ。

食品偽装も低価格でおいしくて身体にいいものがあるとでてしまうような気がする。同じ賃金でより仕事をする生産効率のいい下請会社なんていうのも同じかもしれない。

中小企業が大企業の代わりに仕事するなんていうのも同じかもしれない。みんな自分では行動しない社会がこの世界にはいっぱいある。経済を牛耳ると生産現場にはほとんど興味がなくなり、お金だけがすべてとなる。でもそこに間違いがある。

人は、衣食住だ。ひとは一人では生きられない。ひとは食べていくことが必要だ。そこに永遠のテーマがある。

食生活は質素なほうがいいと私は思っている。そしてそれを心がけている。でも、つい忘れる。健康に悪いものや悪いことだけをやってしまう。暴飲暴食なんて当たり前だ。メタボリックなんてみんな同じだ。肥満なんてみんながそうだ。

食生活をみなおさなければいけない。いつもそう考えているのだが、つい忘れる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

おいしさ

うまいめしを食った。おいしい食事をいただいた。うめえおにぎりを腹いっぱい食わしてもらった。味噌汁が具にあふれてとてもうまかった。野菜があまくてたべすぎた。さかながうまい。焼き魚がうまい。干物のやいたのはさらにおいしい。もちろん刺身もいい。

酒はうまいだろうか。おいしいだろうか。もちろんうまい酒黄桜だろう・・・。うまいということばはとても便利だ。上手だという意味もあるが食べ物ではそうは使わない。

まあ百歩ゆずればいいかも・・・。この味噌汁じょうずですね。そんな使い方になる。作り方が上手ですねということで、おいしとかうまいとかはわからない。

つくり方が上手であって、味は良くないときに使うことばかもしれない。

おいしさとは、あなたにとって何ですか。そう問われたことがあるだろうか。私はない。だから答えはまだ考えていない。おいしさって、なにか嬉しいという感じはするのだが、どんなもんだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

健康食とは何か

おいしく食べる。

それが一番だとわかっていても、おいしさはたくさんのたべものを体に摂取する原因でもある。だから、おいしいものを食べないで我慢するのが、今の常識のような非常識だと私は思う。

健康になるための食事なんてあるのか。

それはおいしく食べることでしかないだろう。ストレスのない生活なんてありえないのだから、いかにストレスを感じとることができるかを競うぐらいがいいのではないか。健康食すなわち不健康食だろう。

おいしいものをできるだけ多く食べよう。それが健康になる秘訣であろう。体力を蓄えることで病気を蹴散らすことが初めて可能となる。健康のためにはバランスだろう。食べ物だけではなく、そのとり方の考え方ではないか。

生きることは健康でなければできない。健康にいきるには、食べものを取らなければならない。どんな食べ物もそれは命を維持するものであり、それには健康が基本となる。そうなれるように規則正しい食事を心がけよう。

健康食とは食べ物そのものではなく、どういう風に取り込むかだと、私は思う。ちがうだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

おみそ汁はいかがですか・・・

ひとことオーダーした後についてきた。「おみそ汁なぞいかがでしょうか・・・」「おいしいですよ・・・」つい、「お願いします・・・」といった。

ご飯に味噌汁。

この組み合わせは日本人には当たり前のものだ。でも最近は単品注文が多いのでついてこない。つい面倒でみそ汁もくださいといわない。

同じ店なのに言われないことがあるのはなぜ・・・。そんな疑問がでた。店員さんによって変わるようなところではないのにどうしてだろうか。みんな同じマニュアルで応対しているはずなのに・・・。そんなところにもし気がつく人ならたぶんそのチェン店の社長のように、叩き上げて出世するかもしれない。

商売のコツというものよりも天性のものがあるのかもしれない。へんなさわやかさを感じた。だれにでも得意なことはあるはずだ・・・。ただ例外もあるので、いつもいい意味だけではないという方が現実的だ。

おみそ汁はいかがですか・・・。私にもそう言えるだろうか。まだまだ修行が足りないようだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

より以前の記事一覧