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グルメ・クッキング

野菜ラーメンをつくる

余っている野菜を鍋でゆでる。
ゆでた野菜をどんぶりに移し、ラーメンをゆでる。
野菜を鍋に戻し、味をつける。
どんぶりに盛り付けて終わり。
野菜のおいしさがたまらない。
うまい。おいしい。

生きるための知恵

はさみ。
ほうちょう。
かみそり。
この三つだという。
華人がもつものだ。
どこへいこうとこれらを持つ3人がいれば、どこでも生活できる。
世界のどこはいこうとも、華人がいる。
三つのモノをもっている。

作ってみたいもの

今、頭の中にあるのは、玉ねぎだ。
玉ねぎをホイールで包んで蒸し焼きにしてポン酢で食べたい。
ネギも同じ発想で、食べたい。
そんなものなんでだろうかって不思議だよな。
なにか健康に良さそうな感じがするというのが理由だ。本当は悪いかもしれない。
犬にはこういうネギ類はご法度だ。
もし、ひとにも猫系とか犬系の体質があるのなら、やはり現実にはあるかもしれない。
もちろん、酒のつまみとしてだ。

桑の実

熟した桑の実が食べ放題だ。
日本平の桜通り(旧道)の終わり付近にある。
新しい道路が整備されて、見えにくいところになっている。
柵を超えて、つまんだ。
でも、今日はカラスが数羽回りにいて、遠慮した。
はちもいる。小鳥もいる。
いろんな虫もいる。
野生のサクランボの実は小さい。
それが、道におちて真っ黒になっているところもある。
大きな桑の木は、道路整備と公園整備で昨年伐採されてしまった。
そこの下の道路は、この時期真っ黒に熟した桑の実が落ちていたもんだった。
自然っていいな。
海があり、山があり、川がある。
富士山が見える。
なんともいい土地である。

瞑想

頭のなかを探ってみた。

なかなかわからない。

自分、他人、社会、世の中、国家、地域。

宇宙。自然、大河。海、空。

ひと、さる、さかな、とり、かえる、へび、あとなにがあるか。

瞑想してみる。竜、雲、豪雨、流れ星、太陽、月。

宇宙線、重力波、光、音、磁力、引力。

飛行、遊泳、走行、歩行。修行、行者、僧侶、神官。

乞食、大金持ち、中間層、貧困、宝物、伝統、文化。

ふるさと、田舎、おふくろ、おやじ、親戚、友達、あとなんだろうか。

雪の原、雪の山、麓、川、流れ、小川、向こう岸、対岸、あっちの方、カナタ。

峠、丘、山々、神社、お寺、お墓、田んぼ、畑、リンゴの木、毛ガニの沢、泥鰌、イナゴ。

バッタ、スッチョン、キリギリス、アリ、カブトムシ、あとなんかあるか。

飛ぶ夢は、風邪で熱を出した時の、あの浮遊感だろうか。

飛べるんだっていう感覚だった。それって熱がどんどん上がって危ない状態なんだろうな。でも、なんかダンボの童話なんかを思い出して、それ落ちてしまうぞなんて、バタバタすると浮き上がるんだったよな。

さて、瞑想から戻る訓練だ。

どうするんだっけ。ああ、戻れないかも。

しんぱいすんな。眼を開けりゃいいのだからな。

おいしい・・・

私の一番好きな料理は、なんだろう。

いつもの何でもないレシピのやつだ。

作りての問題のようだ。

好きなひとがつくる料理が最高だって今はわかる。

おいしい・・・とひとり呟く。ありがとう・・・と一人ごとをいう。

たべもの

いつどもどこでもひつようなものはなんだろうか?

たべものですね。

いろんなものがある。

なまでおいしいもの、りょうりしておいしいもの、いろいろですね。

あなたはなにがすきですか、いちばん?

わたしは、ごはんですかね。おにぎり、しおあじだけのがいいですね。

じつにおもしろい・・・;ガリレオの例のセリフに込められたメッセージ

じつにおもしろい!!

この言葉を言わせるために、いろいろと苦労しているようだ。

しかし、本音はいつもくだらない、実にくだらない・・・というのが、実態のようだ。

だから、そこにこれはいける・・・という意味の面白いという言葉が輝きを放つ瞬間がある。

だが、このセリフに込められているものは、実に奥深い。そうではないか。

面白いと感じるのはだれだ。

自分自身だ。

では、もしまったく感じないなら、物語は成立しない。

実にくだらない・・・となる。

すべて自分自身に面白さもくだらなさも包含されていることに気づくのはいつのことやら・・・。

アニサキス食中毒・・・

胃を食い荒らす。

痛みが走る。

幼虫が魚の胃から、筋肉へ移動して、ひとの胃の中に入るらしい。

よくかむことで、そのリスクを減らせるという。

アニサキスも、よく噛んで栄養にしてしまうってことか・・・。

そうではなさそうだが、健康には、よく噛み砕くことが必要だってことは、よく言われることだ。

慢心・・・

おごり・・・ともいう。

栄枯盛衰を肌で感じることはすくないなんて、考えていた。

だが、よく見直すと、あんなに持てはやされて「なんとかの・・・神様」とか、「カリスマ」とか、いろいろ言われて、書籍も覆面ライターでいっぱい出して、有名人になっても、どうもその中身が疑問だったということは多い。

とくに経営の神様というのは、どうも眉唾ものが多い気がする。

地道にそのやるべきことを、慢心することなく、その技術的な核心へと攻め入る姿勢で貫き通すことが、なんとも、途中で難しくなるようだ。

だから、そこで昔のプチ栄華をいかにも世界制覇のような心理で懐かしがるのではないか。そうなったら、もうもう古いことになって衰退しているってことだろう。

どうにも、こういうことが短期にでも起きるようだ。

期間は、2年とか、3年もあったし、たった1年ぐらいで早くも幕を閉じそうな盛衰をみせているものもある。

そこには、慢心がある。時代の寵児だと、だれが言ったのか。未来のリーダーとだれが言ったのか。

おだてた方が悪いのか、それともそれに乗ってしまったものがそうなのか、騙したのか、騙されたのか、どっちだろうか。どっちかだろう。

それが無党派層という責任の主体のない「どっちでも派」ってやつなんだ。

ただただ、その時に面白ければ、お笑い芸人がいかに才能あふれるものでも、それだけでしかない・・・。

慢心とは、無責任な庶民のこころを信頼しようとする依存症の行く末なのだろう・・・。

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