スポーツ

新メニュー

サイクリング。ウォーキング。ライディング。

最近、床を這うスポーツというかトレーニングがあるらしい。英語でなんというのだろうか。ちょっと推測するとたぶんクローリングとかクリーピングというのでは・・・。

いまごろなぜ這い這いなんだ。

体力造りだ。それが目的だ。そういえばウサギ跳びなんていうのがあった。でもあれはスポーツではない。身体鍛練のメニューだ。関節に負担をかけすぎるため今ではだれもやらない。

綱引きはスポーツになりつつあるようだ。団体戦と最近は個人戦もある。結構、技術が要求されるようだし、かなり体力に自信がある人でないとけがをする。たとえば背骨を逆曲がりに折ってしまうちか、首根っこを折るとか、など・・・。

力比べ、技比べ。これらがキーワードだ。

スポーツの新メニューを考えるのは、とても楽しいことだ。

じっとしている競技なんていうのもあるらしい。

ピュア。

人工パーツが発明されると、改造人間部門とか、自然人部門とかに区分されるだろう。どっちが面白いだろうか。

そのうち総合部門ができて・・・。ちょっと脱線・・・。

私が思うに、水を空気に変えた競技なんているのはどうなんだろうか・・・。

100m空泳競技なんていうか・・・。空気密度を上げて人間が浮くようにすれば可能だ。でも水との違いは・・・。面白みはないか。

新メニューをかんがえてみることは結構楽しい。

無重力という世界もあるから、空泳競技も将来は可能性が高い。ほかにもいっぱいある。身体を動かして、競い合うのは楽しいことだと私は考えている。

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運動音痴

運動神経がない。それが私の悩みだ。

うまくできない。ストレスがたまる。

なんで俺だけができない。

運動音痴クンはそう考える。

勉強ができない。知力が足りない。脳みそは普通のはずだ。でもうまく勉強ができない。それが私の悩みでもある。

落ちこぼれクンはそう自称している。

この世の中にはいろいろな人がいる。頭の中で考えることができることを私は幸せだと思う。何がいいといっても自分というものを感じることができるからだ。

目を閉じてみよう。

そこでいろいろと想う。

世界のこと。自分のこと。隣近所のこと。そして・・・

宇宙のこと。私たちの細胞のこと。小さな虫たちのこと。もっと小さな細菌やウィルスのこと。

何でもこの小さな頭の中で想うことができる。それは、この地球はもちろん、銀河系も、そのもっと大きくて広い宇宙の誕生とか消滅とかもおもうことができるのだ。

そんな素晴らしいものをわたしたちはもっている。みんながそれぞれの想いを伝えれば、そこに新たな世界が開ける。

スポーツとはそういう知恵を身体で表現しようとしてのだ。そこには、身体能力だけではないひとの全体をつかった成果としてでてくるのだ。だから、ルールがあるのだ。すべてに共通なものはなにか。

それは、これから新たにでてくるスポーツの新分野だ。

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静岡が揺れている:ジュビロ磐田

ジュビロがJ2に降格しそうだ。なんてことだ。サッカーとは難しいものだ。いい選手がそろっていても勝てないのだ。

それは置いといて・・・。

騒然としている。あのジュビロが、エスパルスではなくヤマハのジュビロがJ2になるなんて信じられない・・・。そんなところだろう。中山選手が、ファンのみんなも同じ気持ちで戦おうと檄を飛ばしていた。

まさに揺れている。明日午後に仙台とホームでの試合だ。どうなるのだろうか。もし落ちたらどうするのだろうか。この不景気にまったく・・・。

たしかに岐阜商業も立命館になりそうだというがけっぷちにある。どっちがどっちか。じぶんたちで戦えるジュビロの方が楽だろう。

静岡は明日午後にまた揺れそうだ。まけたらどうする。ファンは変わらないと私は考えている。静岡のひとはあまり結果にこだわらない。温かいので安心している。ファンはファンだから・・・、とでもいうのだろうか。

揺れることでおさまるのだ。結果はこだわらないのだ。そこが静岡だ。でも燃えろジュビロだ。燃えよジュビロだ。

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何のスポーツが一番すきですか・・・

あなたはどんなスポーツが好きですか。そんなことを問いかけられたら、どうしようか。すぐに答えられますか。

私にはできない。野球・・・、いやではないけれど、そんなに・・・。サッカー・・・、最近よく見に行くけれども、あんまり・・・。テニス・・・、面白いが・・・、やったことがないし・・・。相撲・・・、子供のころは毎日見ていたし、強かったのだが、今はあんまり・・・。水泳・・・、ウーン・・・、なんか面倒で・・・。

マラソン。

そうですね。マラソンは、約2時間も見ていなければならないが、それがあっという間に感じる。自分ではやらないが、見るのはとても楽しい。とくに最近はフルに放送するので退屈しない。

完璧に強い選手が、不意に脱落する。それは、ちょっとつらいものがある・・・・。でも、結局、走って行ってそこでできるか否かがわかるという競技であるようだ。その変化をみるのは、実は微妙なことなのだが、ヒトの体力の限界に挑戦している偉大な人たち・・・でもあるのだ。

だから感動するのだろう。

マラソンの勝敗は、選手生活の中で総合的な、何か限度があってどこにピークをもっていくかで決まるのかもしれない。ここ一発というだけでは、寿命も短くなる。無理をして練習をこなせば、そこで故障する。

レースに出れない。レースに出るためには練習を控えることもやむを得ない選択だ。とすると勝てない。練習不足だと非難される。

どうもうまくいかない。そこに選手個人のマネジメントの難しさがあると私は考えている。つまり、無責任なコーチが客観的に選手の調子を判断して、インストラクトしていくことが重要なのだ。

選手もコーチに文句をいいながら、もっと練習しなきゃ勝てない・・・とか言えるだろう。でもそこでやめておくことができる。

私は、急に「あなたはどんなスポーツが好きですか」と訊かれたら、マラソンと答えそうだ。でも私は走らない・・・と断ったら、そんなことは分かっていますといわれそうだ・・・、が。

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16歳少女のプロ野球選手誕生

高校生の16歳の少女がプロ野球に指名されたという。持ち球がいいという評価らしい。

どこにでも逸材というものはいる。どんな時代でも何かに懸命になっている子供たちがいる。自分たちがいろいろな疑問を抱きながら成長してきたように、どの時代にもいるのだ。おれたちだけが特別苦労しているわけではないんだ。

ナックルボールだという。無回転の球は、空気の圧力変化で予測できないらしい。サッカーでもゴールキーパーを撹乱させるには有効な球質だ。

マラソンが30年を経て変わったように、プロの世界も男女差はなくなるのかもしれない。身体能力をよく観察すると、大差ないのだ。総合的な生命力ということにおいては、女性の方が上である。これは生物全般に言えることだ。

欽ちゃんの球団にも女性がいるし、これからは大きく変化していくのだろう。鳴り物入りではないが、話題だけでも楽しいニュースだ。もちろん実力を評価したと採用筋はいっている。

健闘を祈る。

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スポーツ界の動き

昨日の日曜日は、東京女子マラソン、太平洋マスターズ、伊藤園レディース、バドミントン、相撲とスポーツ観戦の日だった。

マラソンの距離というのは、克服できない長さなのかもしれない。あの距離が多分二倍になれば渋井陽子は再度逆転するのかもしれない。でも、マラソンは20キロでも30キロでもない。42.195キロなのだ。レースでだれもが決まったようだが、ここでそう言ってはいかんと想ったはずだ。なぜなら、過去の例があるからだ。くしくもゲスト解説はQチャンだ。高橋直子が解説としてのっていた。自分の想いを重ねてもたぶん大丈夫と思ったのではないかというような快調さだったのに・・・・。いつもなにか期待したくないことが起こる・・・。それでもニューヒロインが誕生したのは、すごいことだ。

太平洋マスターズでは、最後の逆転劇があった。余裕のあるものが最後に追いついていくという姿があった。勝つときはいやでも勝つということだろうか。

北京オリンピックの日本代表2組が決勝で当たった。実力と人気の狭間で、スポーツというのはやはり実力なのだと、あらためて感じた。

昨日は、スポーツ観戦ざんまいの日だった。

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オグシオの解散が放つエネルギー

ペアーは二人で一組である。そして、スポーツではいろいろある。そこに一人ではできないチームワークがでてくる。組み合わせの妙とでもいうのだろう。

オグシオがペアを解散するというニュースがあった。

いいものが分散していくのはいいことだと、私は考えている。つまり、新しいペアを組むことで、そこにエネルギーが生まれることを意味している。

だから、大いに期待している。久し振りにエネルギーが発散していく姿をみたように思う。がんばれ・・・・。

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新しいスポーツ種目の誕生

どんなスポーツがこれからはやるだろうか。相撲なんていうのは、殴る蹴るなどがないから、いいのではないか。

国技を国際スポーツにまで普及浸透させていくという方針は今のところないようだ。でも、円形の土俵は単なる線1本でもいいわけだし、ちからを利用して相手を倒すというのは、シンプルで人気がでるのではないかと、私はずっと考えてきた。

女性相撲も大会ができているし、国際大会があるかもしれない。海外からプロの大相撲に来るのだから、アマチュア世界が普及しつつあるのは確かだ。

相撲は自分でとる方が面白い競技だ。あたらしい日本の伝統がまた世界にでていくのではないか。もっともプロの世界がもう国際化してしまっているのだから、この発想自体が時代遅れかも・・・・。

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五輪東京招致の件

世界の祭典という位置づけにオリンピックはいつまで居座るのだろうか。先進国や途上国のインフラ整備及びインフラ再整備に利用されているのではないだろうかという疑問が最近でてきている。

たしかに何かをきっかけにして、インフラを定期的に整備しなおす必要は高い。そして、何か理由となるものがないと、困難なこともある。空港の整備、高速道路の整備、機能的な都市空間の整備と質的な向上を図ることも大事である。

しかし、五輪という催しがそのためにどの程度役立つのだろうか。東京で開催されれば、それは個人的にはうれしいと思うのだが、何かに利用されているようではその混乱に乗じたテロの発生とかも必然的なものとなろう。

人間全体が疑心暗鬼になっている社会で、はたして一同に集まる競技がこの日本の東京で必要なのだろうか。そのときのリスクは自然災害の面から、十二分に対策を打てるのだろうか。地震だけではなく台風、異常気象や、人心の乱れなどから、外国のテロではなく内的なものもあるのではないか。

日本で開催するということの意義は、世界に対して大きなリスクを背負わすことにはならないだろうか。それなら、発展しつつある新興の国々にそのチャンスを譲ってもいいのではないか。

それとも、毎回その開催国を変更するのではなく、恒久的な施設を世界につくりあげて、各種目ごとに実施することも可能ではないだろうか。その方が、新たな国で開催する場合の負担も種目ごとであれば適正な規模で可能であろう。

インフラ整備の方法も急激ではなく、徐々におこなえるというものではないだろうか。その方がもっと先を見越したプランではないだろうか。

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最強のスポーツとは

もし、たった一つのスポーツで世界最強を選出するとしたら、何がその候補になるのだろうか。

スポーツもいくつかのカテゴリーがある。

球を扱う競技には、テニス、サッカー、野球、バスケ、ラグビー、フットボール、水球、卓球、ゴルフ、クリケット、ハンドボール、ソフトボール、ビーチバレー・・・。

格闘技は身体を使って戦うものだ。レスリング、空手、柔道、剣道、フェンシング、長刀、テコンドーなどか。

タイムを争うものもある。陸上や水泳競技だ。100m競争、200m、400m、800m、5000m、10000m、そしてマラソンなどや、駅伝なんていうのもあるし、リレー種目もある。

距離とか高さ競うものには、幅跳び、高跳び、ハンマー投げ、砲丸投げ、円盤投げ、やり投げなどか。

的を射るものは、弓道、洋弓、ピストル、ライフル、クレー射撃などか。

最強のスポーツをこの中から選ぶのはたぶんできないだろう。だからどうすることにしようか。最強を決めるにはどうしたらいいだろうか。

すべての競技を並べて、そこで総合得点で評価するのがいい。まるで、全教科テストのようなことで考えるだけでもなにかいやな感じだ。だえも兆戦しないだろう。つまり、競技として成立しないということだ。

シンプルに将棋とか、碁とかで争うわけにはいかないだろうか。

意外と何もしなくとも身体検査で、事前に評価されてしまうようなシステムが出来上がれば、みんなが集まってオリンピックとかやる必要はなくなる。そういう研究を進めているところはないのか。

血液検査の数値で能力を判定して、世界中のランキングがすべてのひとにでてくるなんていうのも面白いのではないか。つまりはすべてコンピュータ判定ということになる。

頭脳競争ということにつながるような気配を感じないだろうか。昔は体を使って直接、闘っていたんだよ・・・・。そんな話を祖父が孫にしているかもしれない・・・・。

汗をかいているとか、緊張度とか、心理面とかもすべて数値化されて、もちろん解説者がていねいにコメントしているだろう・・・。

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大リーグへの挑戦 ・・・FAの裏表

日本球界から大リーグへいくこと。それは、夢だろう。あこがれの中の憧れに挑むのだ。そんな気持ちを味わえる野球選手はそんなに多くはない。まず、周囲の同僚が認めることでしか、そう言えないだろう。普通は・・・。

プロの選手の目はすごいものだ。自分との比較でいえば、たぶんあいつは俺より才能があるというか・・・、俺より数段うまいとか・・・、へたくそが・・・とか、すぐにわかるからだ。

あいつは才能がないのによく言えるよなあ・・・、なんて言われたくないだろう。でも、そこに真の力は自分で感じるものだろう。他人の評価で動いたらい、すぐに挫折する。他人のおだてにのっているなら、それは実力がないということで成功しようがない。そんな見定めがとても大事だと思う。

だれもが保障された道を歩んでいるわけではない。だれも助けてはくれない。できないのだ・・・。他人はほかのひとに助言できても本当に助けることはできないのだ。突き放していくことしかない・・・。

できると思わなければ何もできない・・・・。そしてやらなければ何もやれない・・・。そんな想いでなにかを求めるのは、とてもやりきれない気がする。

でも、本人がどうしてもやりたいと思えば、そこに可能性が大きく生まれることも事実だ。今年は、上原選手が挑戦するという。あまりよくない日本での成績を抱えて、どうできるのか。それは、その方がいいのではないかと私は思う。

保障されたものがあるはずはない。未来は現在、過去と続いているものだが、その将来の成功を約束するものは何もないのだ。だから、兆戦というのだ。そして、何もないことがもっと大きな成果を生みだすと私は考えている。

もっと大きなもの、それは決まった大きさのパイではない。自分たちでその大きさを勝ち取っていくものだ。それが、リスクとなっているではなく、大きな可能性となって現実の選択肢の中にあらわれてくるのだ。

大リーグへ挑む選手に期待している。楽しみにしている。

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西部優勝の予感

WBC監督選考の話で、チャンピオン監督がやればいい。そんな意見があった。そして、リーグのセの監督に決まった。

それが、シリーズ前である。西部ではなく巨人の監督に経験とか総合的に考慮して決まった。

その時の渡辺監督のコメントがあった。私は1年生なので、いいと思います。そう言い切った。その時、私はたぶん優勝するのではないかと思った。つまり、とらぬ狸の皮算用がなかったということだろう。うまににんじんをぶら下げるようなことではないということを、何か感じた。

勝つ強いチームに育てる。そのシンプルな方針がいいのだろう。そこにスポーツの良さがある。それはたぶん選手でなければわからないものがあるのではないか。勝つには、無になるということかもしれない。結果はついてくる。

そんな予感があった。でも大体は当たらないのだから、集中力ということが第7戦まで進ませたということかもしれない。両チームともいい戦いをしたのだと思う。

西部優勝おめでとう・・・。

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勝つことは待つことかも・・・ 石川遼プロの例

ついに初優勝した。最後の18番ホールは池ポチャというか、転がり込んだようだ。

それを何のことなしにピンへよせて優勝に花を飾った。優勝談話ではずっと涙を流していたという。下手なゴルフの自分が優勝できたという気持ちだったらしい。

若い才能には厳しい人が多いが、やはり優勝するには、そこに狙いを定めていて、ずっとチャンスを待つしかないようだ。どんな連戦連勝のプロでもいあてないときはある。そんな時は勝ちの神が降りてくるのらしい。

みんなそうかもしれない。つらく苦しいときは、自分が努力しているときであれば、それは何でもない。来る日を、栄功を待っているという自覚も持てるだろう。ただそれは100%保障されたものではない。自分で信じるということが、その支えになるものなのだ。

きっと勝つ・・・、きっと勝てる・・・、次はきっとだ・・・。そんな繰り返しが、こころの中で何度も何度も躍ったことだろう。これからも同じだ。

そして、石川プロ、初優勝おめでとう。

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海は怖くて楽しいところだ・・・

今一番やりたいこと。ボートで駿河湾を探検したい。きっと実現させる。そのために、またいろんなことに挑んでいけそうだ。

海は怖い。山育ちの私は、海は憧れであり、怖い存在だ。船酔いの苦しさは忘れない。はじめはだれでもなるのだという。そして、鏡のような海面もあり、絶壁のような波浪もある。もううなり狂う荒海だ。放り出されたら終わりだ。そうでなくても、船が沈めば終わりだ。

水の上を走るのは楽しい。陸とは違う。それは・・・・、もうすごい楽しさだ。

駿河湾をボートで航そうしたい・・・・。

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サッカー選手の位置づけ

スポーツ選手は、プロという世界があれば大きく羽ばたくことができるようだ。

野球選手になりたい。プロ野球に将来進みたい。相撲とりになりたい。大相撲に入りたい。

巨人大鵬卵焼きという。

今はどういうのだろうか。サッカーもあり、フットボール、バスケットなどもある。

何と言っても、目を見張るのはサッカーだろう。世界にプロチームが存在するのだから、選手の需要は大きい。供給する側の体制も実力本位で決まるようだ。

プロは興業収入が生命線なのだが、サッカーの場合はもっと大きな存在になっているように思われる。それは、ファンの数だろうか。膨大なものだろう。世界規模で湧き上がる歓声が宇宙に届きそうな気がするときがある。

他の惑星からうるさいと苦情が来そうな・・・、でも向こうから見に来るのかもしれない・・・、すでに来ているということはないのだろうか・・・。ちょっと大げさだが、サッカー選手の位置づけを言い表すには、こんなたとえがいいのではないか。それだけ超巨大なというか、超ビッグな位置づけになるようだ。

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WBCとイチロー

野球チームの監督業。日本代表の監督。プロ選手が大勢いて、そこで競技する。試合をする。勝ち負けをルールで決める。

WBC優勝。今度はどうか。

わからない。だれにもわからない。

みんな忘れている。優勝は最後にルールに従って残っていることだということを忘れている。前回はみんなこんな弱いチームかとか、これが限界だとか、想ったはずだ。たまたま最後まで残られたのは、あきらめないでつづけたからだ。

素人も玄人もみんな王監督のWBCはこんなものかと、イチローがいても、一人ではなんの意味もないんだとか、想ったはずだ。

たしかにそこにかける思いが選手にあったから、残った。結果として、優勝した。だから結果をどうのこうのというのではなく、そこに至るプロセスを吟味しよう。そこを評価しようではないか。

かける想いが日本チームを再びそこに導いてくれるかもしれない。確率はマイナスでも勝つときは勝つのだ。いくら、万全の準備をして信頼も厚くても、言葉だけは実績は生まれない。そこに魂をいれるのは、勝つまで続けるという想いだけなのだ。

そういう魂のぶつかり合いが醍醐味ではないか・・・・。プレーできる選手はそういう雰囲気をしっかりと認識してほしい。

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控え選手の悲喜こもごも

大リーグ優勝チーム、フィリーズの田口選手。すごい幸運だといえる。出番がない控え選手で優勝したのだ。

なんともすごい幸運だ。

そして、優勝パレードの最中に、来期契約なしとの発表があったとかいう。大リーグってなんと薄情な組織、世界なのか。戦力外通告というらしい。契約主義の典型だろう。時々刻々をしっかりと歩むということだろうか。

違約金を支払って解雇ということだ。もちろん、プロは自分の力が財産であり、所属チームや組織は関係ないといえばそうだ。だから、なにか夢という目標、そして時事刻々と変わる目的をしっかりと果たしていくことに精力を使うことだ。それが、実力を高めることになる。

運がいいのだと私は考えている。優勝という2文字に付き合える選手なんてそういないのだ。来期はどこでプレーするのか。楽しみにできる・・・。

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Qちゃんのこと

シドニー金メダルが何をいってもすごかった。サングラスをさっとシモンのちょっと手前を歩道側に投げてそこから走り去ったのだ。でも、ゴール直前ではシモンが数十メートルあとに迫っていた。あと200メートルもあれば抜かれていたかもしれない。

ドキドキしながら、最後の1キロメールぐらいはみんながみていたのだ。初めての金だから、ありえないかもしれない・・・、最後に抜かれるかもしれない・・・、そんな気持ちだった。

だから、ゴールしたときは、感動の嵐であった。それもシドニーだ。あのオペラハウスのある港町なのだった。

これから、どんな活躍をしていくのか・・・。とても楽しみにしているヒトが多いのではないか。きっとあっなるほどといいうようなニュースがまた流れてくることを期待していいのではないか。おめでたいニュースもありそうな気がするが・・・・、どうなのか。

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真弓新監督

期待したい。あの朗らかな笑顔がいい。掛布、岡田、真弓は優勝したときの花形スターだったと思う。

スポーツは、やはり人気商売である。プロスポーツの中でも野球は特別だ。来年は阪神タイガース優勝なんていうことになるかも知れない。

ずっと期待が膨らんできた。でも他のチームにも勝ってほしい・・・。

でも、今は「ガンバレ真弓新監督・・・」で行こう。

がんばってください・・・。

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Qちゃんの引退報道

まだ引退会見はみていない。引退するという決意はどこからきたのだろうか。まだまだやれるということと、多くの一流選手が故障で走れなくなるということを考えると、何か目標と目的をごちゃまぜにしているのではないかとも想ってしまう。

よく頑張ったといいたい。指導者としてまた自ら選手としてまだまだ頑張るのだと思うが、一度身をひいて休養するのがいいと私は考えている。

国際大会にでない。そういう報道もあったし、マラソンは続けるという意味かもしれない。

テニスの伊達選手の例もある。とにかくシドニィでのあのシモンとの劇的な勝負での感動はいつまでたっても忘れられないものだ。日本の歴史の宝もののようなものだ。

あの感動をもう一度味わいたいと国民がみんなが想っているのだが、アテネ、北京とその夢を持てたことが何よりのプレゼントであったと思う。

シドニィの感動は、ずっと記録にそして歴史に残っていくものだと私は考えている。

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才能と運動能力

老年化、高齢化、過疎化、衰退化。これらはすべてマイナスのイメージである。

ことスポーツに関しては、月とスッポンの違いがあるだろう。もう比較すること自体が愚かなことだ。

おれは、若い時に天才スポーツ選手が、老いてくるとやはり若い時のままではない。体力が減退するのは仕方がないとしても、気力も並行してなくなるのだ。

ただ、気持ちだけは、おれは若い時にはイチローよりうまい選手だった。才能は俺の方があった。そう信じて疑わない人たちが多い。そして、あれだけやったのだから、もう人生は終わったという人もいる。情熱はコップ一杯しかないのから・・・、とも言われるが、それは嘘だ。

才能と運動能力は比例する。もともと生まれつき・・・、それが一番だ。いくら努力してもだめなものはだめだ。みんな知っているのだ。良く知っているが、ときにその発現の時期のずれがあるので、努力でうまくなった人もいるという錯覚を起こすことがある。

でも、スポーツはそれなりに楽しむことだ。ましてや、魚を食べてDHA、EPAをたくさんとくり、血流を増やして、脳の活性化に努めればまだまだいくらでも使用には耐えうるのだ。

順応的管理だ。アダプティブ・マネジメントというのだそうだ。つまり自分の稚拙さはごまかしながら、人生を楽しむということだ。これは、若い時から、通用する人生の極意でもある。

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フェンシングの太田選手

森永製菓へ入社したと目に涙を浮かべて喜んでいた。みんなが祝福しているようだ。そして、たしかに無職のオリンピック代表ということを自分に当てはめたら、まあ良くないと考えていた。

同じようなことが、昔あった。公共放送局のラジオ体操の西川さんは昔、体操のオリンピック選手だった。ライバルと二人がいて、片方はタレントになった。そんなこともあった。

ヒトはいろんなことができる・・・、と私はいつも思う。

そして、本当にできるのは一つだ・・・、といつも考えている。

だから、彼の選択はフリーターのオリンピック選手から、りっぱな社会人になったという意味ですごいことだ。その堅実な考えは何か彼の手本となるような教えに基づいているのだと私は想う。

私たちの基本は、衣食住だ。どんな有名人もセレブも大人も偉人もノーベル賞の学者もそのた名もない研究者も、この世の中で生きるには衣食住が基本だ。そして、それはそんなに大それたことでもない。普通のことだ。毎日の暮らしが堅実なのが一番いい。そう私は考えている。

でも、どこかそういう考えのできる太田選手は、きっと並はずれた才能の持ち主でバランスのとれた人間になっていってほしいものだ。

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お騒がせな金メダリスト

強さが似通っている。柔道無差別級の井上選手と朝青竜だ。昔の千代大海もそうだった気がする。ほんとうに強いやつらは自分でそれを証明したいのだろう。

世界一の格闘家になる。そう想っているのではないか。

天皇陛下の前で、ロンドンは目指しませんと明言した。陛下は別の道を歩むんですねと応じていた。そのあとのインタビューで、そんなことは言ってません。なぜなら後輩に負けるかもしれないと弁明というか、何か現実からかい離した言葉を記者に提供していた。

たしかに金メダリストでもいろいろだ。どうもTVでしか見たことはないのだが、内輪では変わり者で強いというのではないか。実力があると誰もが認めるほどの天才なのだろう。そして本人は周囲の想いをよく感じ取っていて俺がいなきゃだれがいるとでも言いたいのではないか。第一人者となれば、もうそこに興味はない。それがある種の人たちが感じる共通のことかもしれない。

お騒がせな金メダリストは、これからどうするのか。斉藤監督が怒っている・・・、そんな姿が思い出される・・・。日本中でそう想っているはずだ・・・。

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ほんの一握りの天才たち

レイズの岩村選手、フィリーズの田口選手。MBLの最高峰に臨もうとしている。

なんてやつらだ。すげえやつらだ。幸運であり、力があり、たゆまぬ努力と生まれついての天才的な選手なのだろうか。

その通りだろう。

そんなに恵まれていても、運がなければあそこまでは残れない。岩村選手はモヒカン頭にしてチームを先導してきたという。周りの選手が真似して、監督もモヒカンにして、ファンもモヒカンが増えつつあるという。

影響をそんなに与えているのはなぜだろうか。岩村選手の発するヒットがチームを活気づかせて毎年ほぼ最下位のチームをリーグ優勝に導いたからであろう。一人の天才が多くの天才たちを鼓舞して成果を勝ち得たのだ。

アメリカンドリームというもののひとつだろう。

ほんの一握りの中のたった二人の日本人メジャーリーグプレーヤーだ。どっちがタイトルをとってもいい・・・。がんばれニッポンだ・・・・。

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岡田阪神のこと

私は、岡田監督の判断は正しいと思っている。もちろん必要な判断ではない。大衆からすればおれは不必要なことだ。

でも、彼は自分で選択したのだ。それは、だから正しいと私は考えている。そこから、新たなものをつかみ取る糧になると信じられるからだ。他人に批判されて右往左往するより、スポーツ選手は、自分の気持ちとその将来をもっと真剣に考えるべきだ。

ほとんどが監督の場合は、選手の出来によって変わるのだ。評価が選手で変わる。いい選手がいればそこで監督の評価もよくなる。でもそれは本当に比例するものだろうか。いい監督とは何か。いい成績をとる監督か。

目に涙を浮かべて去った。その悔しさは私も共有させてもらう。きっといつか戻ってくるだろう。もっとおおらかでもっと自由な発想をもった監督になって帰ってくるのを、ファンはみんな待っている。

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大リーグと日本の野球

この二つは日本人ならだれでも知っている。そして、どっちも好きなのだ。

どっちでも活躍してほしいと思う。でも、日本の野球にこだわるひとがいる。権威主義のようなものか。どうして、日本は米国にコンプレックスを持つのか。それは、そういう風に教えられてきたからだ。

大体、体格からして違うのだ。でもよくみると、米国にも小さなヒトは大勢いるのだ。貧乏なひとも大勢いるのだ。でも、兎小屋の住宅とか言われて、へいへいしているのだ。

どうも日本人はサムライを捨てたようだ。もう武士ではないのだ。だから、日本人はグローバル化したようだ。小さな島国根性を捨て去ったようだ。外国というイメージでは、言葉はどうすんのとか、食べ物はどうすんだいとか不安ばかり・・・。

それをしっかりと振り払ったのは野茂だ。国内関係者の非難を後にどんな覚悟でいったのだろうか。力を信じてやる限り、大丈夫と・・・。

うまくいくには、そのぎりぎりの打算なんかは関係ない。できるといわれても不可能なこともある。

でも、力の有無に関係なく、どうしてもやってみたいという意欲が大きければ、それはできるのだ。覚悟はできるのだ。成果は求めてはいない。打算ではない。そこに行ってみたいという希望であり、夢であり、それを実現するための、覚悟なのだ。

必要な判断は覚悟をすることだろう。そしてそれは正しい判断かはわからない判断だろう。まちがってもいいという覚悟をして前に進むのは、とてもリスクの大きいことだ。だれもその判断を決して正しいとは言わないだろう。

でも、私たちにはどうしても必要な判断をしなければならないときがある。生きていくために必要なのだ。リスクの問題ではない生きるために必要な判断なのだ。

とすると、それはある意味で正しいといえる。

日本と米国の野球は、どちらも面白いものだ。どうして、そこで対立構図になるのかわからないのは、私だけではないと考えている。

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多様な才能を持つこと

相撲とりになる。私の小さなときの夢であった。

科学者になる。ぼくの小さなときの予想であった。

技術者になる。私の現実の世界の想いであった。

私たちは、いろんな才能をいっぱいもっている。万能ES細胞であり、iPS細胞である。そこで条件が整えば、どんなものにもなることができる。

すごい才能が私たちにはある。でも・・・・、・・・・。

同時にできるのは一つだ。万能細胞の私がなれるのはそこで与える条件によってひとつが決まるのだ。つぎに違うものになるとかいう着せ替えごっこではない。

だから、だれでも自分の意志を大事にしていけば、一番になれる。

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レッドソックスは優勝できるか

ボストン。レッドソックス。このチームは強い。

松坂投手がその強いチームにいる。健闘している。岡島もいる。奮闘している。

見違えるようなきりっとした岡島投手がそこにいる。その前はどこにいたのだったろうか。もう忘れているというか、覚えていない。たしかジャイアンツだった。なにか自信なげなピッチングが頭の隅にある。

ジャイアンツにいたということは、才能はあったのだ。でも成果が出せなかったのだ。なぜだろうか。

日本のやり方が合わなかったのだろう。そんな日本人は多い。でも逆もいっぱいいる。ほとんどがそうだ。そして、日本の中で精いっぱいやっていることが好きだというひとがほとんどだ。そこまでいってやりたくない。

私も同感だ。でも、今年のレッドソックスの優勝は大いに期待できると私は考えている。まあ結果はどっちでもいいのだ。そこに至る熱戦が楽しいのだ。そしてきっと優勝してくるだろう。

その時、またコメントしよう。

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メジャーと国内の差とは何か

米国は野球の発祥の地である。そこでプレーしたいと望むのは、当然であろう。

そして大事なことは、あるところまでいかないと、そう願っても叶わないということだろう。夢が現実に近づく瞬間というものが、本人にはわかるのだろう。

だから、そこで瞬時に判断しなければならないのだ。そのあとにそんな時が再び訪れるかは定かではないのだ。ずっと進み続けてきて、あるときできるかも・・・・、と想うのだ。みんなそうではないか。まだ、何もできないときは、夢そのものである。そして、時間がたつと、それは夢でしかなくなる。

でも、夢が現実になるだろうという瞬間は、本人が感じて再認識して、さらにほっぺをつねって・・・、はじめてやれるとか・・・、やれそうだ・・・とか、想うものではないだろうか。

そんな際にたつときは、めったにないのだ。しっかりと自分の心をみて進めばいい。メジャーに行けるやつなんてそんなにはいない。他人が奨めることは、胡散臭いが、自分で感じたのなら本物だと私は思う。

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レイズ岩村選手活躍す・・・

力がある。さすがだ。すごいやつだ。

MBLのスター選手になるには、日本球界のプレーヤにとって夢のようなことだと私は考えている。そんなだれも届かない夢をすっとかなえるひとがいるのだ。

個人記録よりも、チームの勝利、そう言い切っていたのを覚えている。

きっとシリーズ戦でもがんばってくれるものと信じている。そして、できれば、また日本の球界に戻ってきてくれとお願いしたいものだ。

だれにでもできることではない。でも、その力は証明されたのだ。次は、日本のファンにその夢をみせてやることも楽しいことではないのか。

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講談社の八百長相撲記事の信ぴょう性

どうなのか。大相撲は国技だ。そこが揺れ動いている。

そして、面白いことに注目されている。

八百長。

この言葉は、だれでも知っている。勝負を仕切る。お金とか代償を与えて仕切る。同じような構図は昔からある。それは、お祝とかいろんな慣習の中に埋もれてしまっている。だから、本来、悪いものかどうか・・・。

そういうと、論外だ。そう言われるだろう。

もちろんそうなのだが、どこかおかしいではないか。フェアな勝負をしないことは、スポーツでは己の努力を捨て去ることだから、しないはずだ。

関係のないひとが力士の心情を知らない人がそそのかして、私利私欲のためにやっていることとしか私には思えない。そんな相撲はすぐわかる。なんのための国技なのだ。国民の目が勝負の中に注目していく、そこにそんな小技があったら、その力士はその時点で終わりだ。だれも何もしなくてもそこで終止符が打たれる。

気持ちがついていかないと、相撲はとれない。一瞬、勝負のときに見ているだれもが、ぐっと力が入る。仕切りの一瞬に勝負はつくのだ。そんなところでやれるわけはない。

地味な相撲技のなかでほんとうに力が物理の法則で勝負をきめているのだ。けがをして命を落とす。それは、アマチュア相撲でもその迫力を一度でもみたことのあるひとはわかるだろう。

一般のひとでも相撲家は鍛えられている。それがプロになったら、もう人間ではない。やはり力士なのだ。ちからを操ることを神から与えてもらった人たちなのだ。

そこにそんなことが起こりうるはずはない。日本国民はみんなそう信じている。力士は己のこころに嘘はつかないのだから、そこで本当ならすでに自己破壊をおこしている。そういう時限爆弾を抱えて勝負している力士のこころをしんじなければ日本国民ではない。

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運動会の季節

秋はスポーツのシーズンだ。運動することは、身体にいいとともにこころにも効果があるのだという。スポーツのそう快感はこころで感じるものだ。たぶん血流が増し、体温が上がり、そこで新陳代謝が活発になることで、すっきり感がでてくるのだと私は考えている。

ちょっと大げさな書き出しだが、秋はその好感度が極大化するときでもある。私たちは収穫の喜びをむかしから感じる才能をもっている。何か大切なもの、それが食べ物なのだ。食べ物ができるのは大きな喜びなのだ。

また、生きていける、これからの一年というような感覚だろうか。そこで、食べ物があればみんなで分け合うという風習ができる。あつまりは、いろいろな競い合いをもたらす。久し振りに腹いっぱいになって、やりたいことは、その能力を誇示することであろう。

だれに対してか。もちろん異性にたいしてのアピールである。運動会は老若男女が楽しむ場であろうか。お祭りの変化したものかもしれない。喧嘩が祭りの中心のものが多いのは同じ理由からであろう。

運動会。それは収穫祭の変わりものの姿なのだ。

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清原引退に想うこと

とんぼの曲がよく似合う選手だと感じた。引退した。

まだ、まだと思っていたが、早いものだ。

王監督の引退と関係してはいないだろうが、どうも時代が終わるような感じだ。

イチローは、民主党ではなく、マリナーズの方だ。

西部はいやだったのだろう。そして巨人、オリックスへと変わった。桑田とのKKコンビは、巨人入団で関係がおかしかったのだろう。桑田とは・・・。

格闘技のような身体をつくりあげていたのに、やはりどこか関節部分は弱いのだろう。そんな弱点を克服すれば、次の箇所が一番の弱点となる。そんな繰り返しのトレーニングのような気がする。

いいコーチの存在がいかにスポーツ選手にとって重要かがわかる。

華々しく燃え尽きるという印象だ。そんなイメージが人生に付きまとっているが、でも、地道な生き方をしているようにも見える。ただ天真爛漫さが、人間的にあう・合わないというのは強い方だろうと感じる。

普通に生きたいとは絶対に思わない類の人間ではないのか。幼少のころから注目されて夢のプロ野球に入り、そこで実力を発揮したのだから、そこに挫折はないと思うが、本人の感想はどうなのだろうか。

これから指導者になっていくのだろうが、もうひとつの脱皮が必要と思う。

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チームのために・・・

団体競技である野球、サッカー、バレーボールなどすべて、選手はチームのために頑張ります。そういう人がおおい。

実際にチームに貢献するには、個人が働くことが一番だ。そうすると個人記録が伸びることになる。チームのためにといっておきながら、・・・・。そんなねたみがでてくる。どこでも同じだ。とくに身体能力と努力に裏打ちされてプロの世界では、才能は隠せない。差が出る。

調子のいい時には、ほんとうになんでもうまくいく。そんな時に記録が伸びる。うそのように伸びていく。大スターになる。でも、チームは低迷し万年最下位だ。

バッシングはどこにいく。調子のいヒトに行く。なぜならば、成績のいいことはチームに貢献していることだ。これは間違いない。チームの不振は成績の悪い選手のせいだし、全体のことでもある。そんなとき、成績不振者は首になる。仕方がないことだ。

ねたみというものがある。ひとにはそういう感情がある。だれにもある。そしていじめのこころもだれにもある。リンチが始まるのではないか・・・。

チームのためにみんなが苦労しているのか。オーナーのために働いているのか。少なくともMLBでは己のためであろう。みんな大スターだ。

それでも団体競技はチームが勝利しなければならない。ベームはチームとして参加しているからだ。でも、そこで個人の才能が必要なのだ。

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責任の所在について

プロのスポーツ選手は、いつもその成績に責任を感じながらプレーしているという。でも、いつもいい結果が出るわけでもない。

どうしよう・・・。もし期待に添えなければ、どうしたらいいのか・・・。

大きなおおきなプレッシャーがのしかかってくるだろう。それでもプレーをつづけることがファンに楽しみを提供することなのだ。そこに立って初めて伝わるものがある。

だから、結果はともかく、そこに立ち続けることが、まずは大事なのだ。そんな気持ちでプレーすれば、きっと成果はでるのだ。

リラックス。それが一番だ。筋肉がほぐれて活動も最大になる。成果が出ないわけがない。そして楽しくプレーすれば、そこからまたいい結果が生まれる。

責任の所在は、そこに立つ勇気をうしなったら、おおいに問われる。それを忘れないでほしいものだ。

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朝青竜と王監督

モンゴルの英雄。世界のホームラン王。並べて批評するのは、失礼な気がする。でも、外国にきている人たちには、すこしハンディをやってもいいだろう。

相撲。野球。

どっちも子供たちの憧れの職業集団だ。プロという意識があまりなかったころ、スポーツで生活するなんて、芸術家としての画家や小説家よりも難しいと思われていたようだ。すくなくとも私はそう考えていた。

なぜならば、才能だ。どっちももう子供のころから、わかるのだ。もっているかいないか。だから本当に小さいころから、天才少年というやつらしか関取やプロ野球選手にはなれないのだ。みんな怪物少年だったのだ。

そんな中で強豪の並ぶ中で、怪物少年の成長した大勢の天才たちの中で、そこで力の差を見せつけられるのはそれは、もう想像を超えている世界だ。

朝青竜も王さんもそんなまれに見る非才の人である。もう出てこないかもしれない。だから、あとどのぐらい朝青竜ががんばれるかはわからないが、本人がやりたいという意識を深く持っていれば、可能なことだ。

もっと、この表面的にひねくれた横綱に敬意を払ってみてみようではないか。舞の海は、今場所のいきさつを事前に予想していたようだ。プロの目はすべてわかるものだ。自分の専門のことと同じなのだ。うわべだけではないのだ。

非凡な才能をできるかぎり、持続してほしいものだ。王さんには、国民がみんな感謝している。朝青竜に少しだけ、その日本国民の気持ちが伝わっているといいのだが・・・。

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メジャーリーグでの18勝

レッドソックス。日本の投手が怪物が18勝目を挙げたという。

すんげえーやつだ。まさに怪物だ。

どんな身体能力と精神の強さをもっているのだろうか。その頭の中をのぞけるならのぞいてみたいものだ。

おめでとう・・・。来年は20勝を達成してくれるのだろうか。大いにプレッシャーを感じて楽しんでほしいものだ。そのために、私たちファンは大いに期待しようではないか。

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国技について想うこと

潔さが大事だ。武士は食わなくとも威厳を保つように育てられた。恥をかかされたら、そこで身の潔白を晴らすことも大切なことだ。

生きるためには、ひととしての尊厳をキープすることが大事だ。

そのために、何をするのか。それは、ルールを守ることだろう。社会のルールを順守する。ひととして生きる。そこに国技の相撲がある。神に捧げる奉納試合はいろいろある。人なのだが力士は伝統文化のひとである。尊敬される立場にある。尊敬するのは国民一般の大衆である。みんなお相撲さんが大好きだ。

国技とはそんなに大切なものだ。相撲をとって強ければ、もう尊敬以外の何物でもない。男の子も、女の子もみんな相撲好きだ。それが日本人だ。強いものが勝つだけではない。技が求められる。でも物理学の法則は小さくても勝負に勝つことを教えてくれる。

あの土俵の中での神事なのだ。この世界が戦で力を失わないように、枠をきめてその中で大きな勝負をする。技を競い合うのだ。強いだけでは、だめなのだ。というより真の強さは弱さから生まれてくるものだと私は考えている。

日本人の判官びいきはしっかりとした裏付けのあるものだ。社会の均衡は個々の私たち国民のこころのバランスにかかっている。横綱はその象徴なのだ。

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サスケとスポーツ選手

遊園地の遊具の大きなものがサスケの競技設備だ。

俊敏性、腕力、脚力、いろんな筋力の鍛練が欠かせない。レスリング選手、ハンドボール選手、体操選手、消防士、漁師、公務員、鉄工所作業員、プロのいろんなアスリートたちが挑戦した。100人がいた。みんなすごい能力をもつやつらだ。心も強そうだ。

総合力と持続性。これが私のみた攻略のポイントだ。第一ステージは8名だったか。第二ステージで3人しか残らない。前回第三ステージにのこった米国の若者が第二で散った。その前にはファイナリストとして今まで2名しかいない一人が第二でちったという。

筋肉の疲労は乳酸が蓄積するのだという。目に見えるようにわかる。もうだめだろうというのがわかる。それとは別にタイミングを要求される競技種目もある。

成功するのはまぐれでしかない。疲労との戦い。あまりダメージを受けないで通過するのは困難だから、それに耐える筋肉をはぐくむしかない。それでもどこかで引っかかる。

難しいから、いいわけできないし、する必要もないから、アスリートとして挑むのではないか。あっという間に終わりまでみてしまった。見る者の感動を誘うのは、オリンピックとはまた違うようだ。

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緊張することは大事な身体機能の一つである

頭が真っ白になったとかいう経験は、あなたにはあるだろうか。

私は何度もある。

バンジージャンプで、安全ロープをつけないで飛び降りているような気持ちになる。ああ、おれはなんといういうことをしているのか。でも何もできない。安全ロープをつけるのを忘れるなんて、なんとも恥ずかしい・・・・。そんな