ニュース

世の中の焦点とは・・・

なんともろい経済体質なのだ。

日本の社会は互助精神も何もないのではないか・・・。そういうと「年越し派遣村」とかがあるではないかというだろう。私はこの運動自体をしらなかった。たしかに新たな名前である。同じようなものが今までもあった。

そうではなく、もっと生活に密着したものが古来あったのではないか。互助精神なんていうのはだれにでもある。でも具体的な方法がわからない。

この世の中の焦点をどこに合わせるのがいいのか。どこにあっていないのか。うろうろとしか見えない眼でなにを見ようとするのか。

何も見えない。度の合ったメガネをもっていない。みんなの意見が違う。

己をひとりひとりが大事にする。そこに焦点をあてよう。ひとりひとりが自分に焦点をあてていく。そこでひとつの成果を得る。余剰分を社会のためにつかうのだ。それが私たちのいきる意味なのだ。

それが、山谷の人生で自分の立場が変化する経緯の中でいろいろと生きてくるのだ。

もしも、私があなただったらどうしますか。もしもあなたがわたしだったらどうしますか。

でも私はあなたではないし、あなたは私ではない。だからどこに焦点が・・・・。

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どんな年を迎えるのか・・・

どんな年にするか。どんな年にしようか。

何をする・・・。何をしたい・・・・。

そんなことは自分でかんがろ・・・。

そして、とてもうれしい。新たなことを考えるのはとても楽しいことだ。

いままでできなかったことができそうだ。あまりにもやりたいことが多くて困るとは言わない。それは、私たちはだれでもできるのは一つ一つなのだから・・・。

何をしたいのか。それが大事だ。何のためにそうしたいのか。それも大事だ。

答えは生きることだ。そして精いっぱい頑張ることだ。何をするかは二の次だ。まずいきること、生きたいと叫ぶことだ。そこから生きるエネルギーが自然にわいてくるのだ。

どんな年でも、生きることだ。そしていろんなことを見て聴いて、生きる実感を味わうことだ。それはとても楽しくてうれしくて切なくて、ときに憤慨したりして怒ったりもするのだ。そんな喜怒哀楽の感情をどんなときにもいろいろと感じられる環境というのは素晴らしいと私は想う。

そういう一年、一年を迎えていきたい・・・。そう私は考えている。

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年末のニュース

この時期はひとつ年を越せるかどうかという時だ。いかに長生きするかという命題にたてば、とても大事な1週間だ。

気候の変化も激しい冬のころだ。環境ががらりと変わる四季を持つ日本では、常に備えておかなければならない。

異常気象といっても、この4つが時期的に変化するだけ・・・、と言えないだろうか。それは危機管理に相当する。ちょっと今年は速いですね。ちょっと異常ですね・・・。こんな会話はよく聴くものだ。

そして、いつか夏が冬にくるなんておかしい・・・、とかいうようになったら、・・・。それは異常だ。春がきて冬がきて秋になったりしたら、どうするか。4つの順番が変わっただけだというのだろうか。

もっともビルの中は年中、エアコンで関係なさそうだ。

年末のニュースからも、そういう気候の話題はもうすぐ消える運命かもしれない。たとえば今年の正月は夏から始まります・・・、なんていうことは関係なくなるということだ。

年末のニュースはいたましい。そう想うのは今年も同じだ。

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みんなの気持ち

みんな気持ちはわかる。でも、それはさみしさとかいうものではない。ほんとに寂しいのは一人になったときではなく、大勢の中でポツンと自分が残されていることを知ったときだろう。

そんな感覚が怖くて、いつもはしゃいでいるのが自分だ。それでも、途切れるとすぐに恐れがくるのだ。いつかはしゃぎも終わる。そしたらどうする。どうなるのだ。

そんな気持ちを抱きながら、はしゃぐ。

みんなの気持ちが怖いのだ。どんな風に俺を想っているのかが恐ろしいのだ。きっと悪いことばかりなのだ・・・。そう想うともうどこかへ逃げだしたいと思う。

もう居場所はないような、そんな寂しさがこみ上げてくる。きっと、どこかのトンネルを抜けるときのような世界の変化を目の当たりにしたら、治るのだろうか。

信じられないような清らかな心に出会ったらとても恥ずかしくてせつなくなるのだ。そんな気持ちはみんな分かるはずだ。おれだけが何か恥ずかしい存在のように思えて泣けてくる。どうして、おれだけこんなことを強く意識してしまうのだ。

でもみんな同じ気持ちだということをしらないだけだ。いつごろ、そんなことがわかったのか覚えてはいない。みんなの気持ちは自分もそこに入るんだよなあ・・・。もちろんさ。

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飯島愛さんの記事

この間まで、ほんとうに意識的に憎まれ役というか、いじられ役というかそんなタレント業をやって活躍していて突然引退して、そして今日のニュースだ。

どっちかというと奔放に人生を作っていくタイプの人間だと私は考えていた。その頭脳の良さというようなものが普段のそぶりというかTVやマスコミの露出面では好感が持てたのに、何か残念だ。

やっぱり、なにか弱いところがあったのだろうか。

人間関係というか、男女関係というかそんなことではないのだろうか。それとも気よわになった気配があるが、健康上の理由だったのだろうか。

なんとなく空しいというか虚しいという感じがする。もっと強く力強くいきる女性だと私の分類ではそう主張していたのに、何か残念だ。

エープリルフールであってほしいが、まだ師走だ。ひとにはわからないことがおおい。でもしっかりとある意味では生きたのではないか。一般の人にはできない彼女の持って生まれた才能は開いた・・・、のでは・・・。よくわからない・・・・。

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スポーツ 陣内孝則に似た山口選手の健闘が光った試合があった

プロ。この言葉は、どうもスポーツ選手のもののようだ。

現実にはどんな業界にもプロが必要なのだ。それは、なんでも知っているというエキスパートだから、そう呼ばれるのだ。

ボクシング。プロになっても日の目をみるまでは長い。チャンピオンになって初めて生活が実感できる。だから目指す。

そこに、よさがある。スポーツとしての良さが残っている。競技としての意義が残っている。力と力とが競い合う場だから人々の共感を呼ぶのだ。

挑戦者もまたそこに至る生活をみると同じだ。目的をもって生活している。それは素晴らしい。たしかに、試合は自分で制御できない。それは相手がいるからだ。いい相手を探すことと相手に恵まれることもまた必要だろう。

でも自分との戦いなのだ。そこから自分との戦いを制していけば、きっと人生は強いものになれる。そんな魂の強さが私たちに感じられるのはボクサーの強い意志だ。

闘魂。

それはどこでも必要だ。優しさといえるものかもしれない。闘魂と優しさが私には同じに見える。

スポーツってほんとにいいなと想う。ボクシングってほんとにいいなと、昨日の内藤・山口の対戦を観て感じた。まけた山口選手に拍手を送りたい。もちろん勝った内藤選手はすごい精神の塊だといえよう。

山口選手は陣内孝則ににてる。そう想った。

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マグロの競り

築地で禁止。そんなニュースだった。

理由はマナーだという。それも外国人の観光客が大勢つめかけているのだそうだ。ガイドブックに京都の舞妓さんと並んで紹介されているのだそうな。

なんという仕打ちだろうか。もっと見せていくべきだと私は想うのだが、どこがだめなのか。もちろん衛生面での施設整備や改善をやればいいのだ。それだけ消費者というか一般人がそれも海外からきてみたいと興味をみち好奇心に満ちた目で心で満足して帰るようなものがこの日本にどれだけあるというのだ。

そんなことをもっと違う眼で見ていかなければならないだろう。私はそう想う。

築地市場の移転問題とか当事者にとっては、大きな問題があるのは知っている。でも、世界で感動して帰る海外からの旅行者がいるなんてそんなにはない。私たちにわからない何かが築地市場にはあるのだ・・・。

そこをもう一度考えてみようではないか・・・。

沖縄のちゅら水族館のじんべえざめさんは3頭いて、だれもがじっとみつめて満足してようやくその場を離れる・・・。そんな感じに似ているのだ。

もっと大事にしようではないか。それだけ、付加価値があるということだ。そして、もうひとつのサービスとしての競りの場を設けたらどうだろうか。数百万円が観光客のカメラのフラッシュでセリにんが見落とすこともあるというなら、それを防ぐことにもなるし、別のショウを設けることだ。

それぐらいのことは日本を魅せるためにやってもいいし、そんなことはめったにないことだ。いくらビキニの福竜丸をみせて世界に原爆の恐ろしさをぴーあーるしょうとしても来ないところには来ない。

それなら、そこでいろいろと知恵をしぼりぬくことだ。もっと東京都のトップは頭をやわらかくもってほしいものだ。

世界不況は、築地から吹っ飛ばせというぐらいのスローガンでマグロの競り問題も片付けてほしい。期待している・・・。

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静岡のニュース 日本平動物園債

地方債発行。公募が2倍という。日本平動物園の整備費用に充てるのが目的らしい。

今、動物園は花形産業である。若者の希望者が多いと聞く。なぜだろう。それは動物に対する理解が進んでいる証拠であると私は考えている。そして、ここまで来るには長い間の努力があったと思うのだ。上野動物園しか有名ではなかったころ、地方の動物園はかなり苦労したと私は想う。

子供に見せたくてもそんな余裕がなかった。

今、そういう時代に両親から動物を見せに連れて行かれた子供たちが親になり、そして職業として飼育にかかわったり、獣医さんになったりしているのだ。

犬猫は家族というより、もっと今の日本では身近なものになっているのではないか。心理戦なんかはもう犬猫に負けそうだ。かしこい子が多いようだ。性格もいろいろだ。

そんな動物園の整備なら、競争率が高くなるのも当然かなと思う。人気がある。それも根強い人気だ。

こんなニュースなら、日本がまだまだしっかりとしている証拠だと私は考えている。

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心の信号を読む科学

脳の機能がつぎつぎと明かされていくようだ。

どんなことに応用できるのだろうか。

夢を映像化する。そんなことができるようになるらしい。

他人を制御する。自分の信号を他の人につなぐことで、他人の体でいろんなことをやる。その前にロボットを使うのだろうが・・・・。

一度目をつむってみよう。真っ暗というがそうだろうか。いろんな情報が私たちの体の機能を通して入ってくるのがわかる。決して視覚だけではない。聴覚や皮膚感覚なんていうのはすごいものだ。感覚は料理という楽しみをくれる。味覚なんていうのは動物のもっているすぐれた機能だ。

機能は、優劣があって大きくことなる。それがひとの総合力となって個人差がある。でも、もし、そういう機能をレンタルできるのなら、もちろん合法的にということだが、そうならうれしい。ない機能をちょっと拝借して、やりたいことをやり遂げることができる。

今日は、相撲で横綱に挑戦したい。そんなときにそういう機能を備えた身体を拝借することができる。無線ランなんていうものがもっともっと発達して、他人に飛ばすことができるようになる。そんな時に、活用できる。

脳のハイジャックが起こらないように安全措置が重要になる。心の信号を読む科学というのはなんとなく期待できる産業とはならない。核兵器と同様の重要な機密事項となりそうな気配を感じる。

今の期待は脅威としかならないかもしれない。核兵器がテロ組織に渡ったらという想定と同様、この心の信号を読む科学がマインドコントロールの兵器となって、世界に売買されたら、それは今の経済危機どころではなくなる。

そんな時には、人間はすべて人工の機能部品を身につけていきていることになり、心理作用もそんなパーツの一つになっているかも・・・。

そんな世の中はいらない・・・・。心の信号なんて・・・・。

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ニュースを伝えること

事件記者。新聞記者のことだろう。TVやラジオが報道関係の目玉と思ったら、実は違った。報道業界は、新聞業界だったのだ。

なぜ。

そこに知識の集約があるからだ。論説のできる人材は新聞社が実は育ててきた。論客は新聞社に集まった。そんな歴史がある。

今、どこに集まる。

新聞社の未来はない。でも報道という未来はある。TVでもラジオでもない。新のニュースを伝えて、そこから何があるのかを探り出すということが実は報道の醍醐味ではないのか。

特ダネではないのだ。力があるかどうかは、やはり人なのだ。ヒトをこの世の中の考え方をリードする人たちをどうやって育てるのか。それは技術者の世界でも同じだ。ヒトがこの世の中の主役なのだ。

ニュースはヒトのために伝える。そこで何が起こり、再び悲惨な戦争が起こらないように人々の生活を守るために活動している。そう言えそうだ。とすると、きわめて大切なこの社会の宝物ではないか。

最近はニュースを作る人たちがいる。マッチポンプであるのか。でっち上げなのか。芸能界のニュースとはそんなものが多い。でも同じ報道だ。

どこが違う。どこも違わない。大衆のこころをつかむノウハウは、どんな成果を生むのか。

ニュースを伝えることで、何かそこにいきがいがうまれればいいのだが、どうだろうか。たんなる顔であっては、意味がない。顔がなければ面白くない。でもどっちがどっちだ。チャンスを生かすことだろう。

ないものは育てればいい。あるものを活用してこの世を生きよう。ないものはないのだ。あるものを使おう。それも有効に使おうではないか。きっと、それでいいはずだ。

ステーキの分厚のはいらない。お米のごはんとさんまかさばかまぐろかいかかほっけか山菜があれば納豆もあるしうめぼしもあるしふりかけだってある。それでいいのだ。あるものできっとすごい健康な生活ができるはずだ。

山も川もある。海もある。この二本足で歩こう。

そしてニュースを聞こう。社会に耳を傾けよう。そこに自分の探すものがきっとあるはずだ。いまはなくてもいい。年齢は関係ない。ヒトは死ぬまでいきるのだ。病気の人も健康な人もニュースを聞いて、自分の生きざまを世界に向けて投げかけよう。そこにきっと無とか大事なものがあるのだ。

ニュースを聞いて考えよう。ニュースとは何かをよく考えよう。

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流れに乗るか蹴落とされるか・・・

事業とか活動では、これはいいものだという評価によって、すぐにある意味常識筋の反応が変わる。

いいものはいい。良くないものはけなす。これがよのなかのいわゆる常識である。だから怖いという。そして、選挙なんかはこの典型であろう。

公衆に馬鹿さ加減をあらわにされたら、どうする。それは、政治家としては終わりだ。そこでバカになるというひともいるだろう。中途半端では仕方ないので本当に馬鹿になってしまう。

でも、それは一時的なものだ。みんなすぐに忘れる。そんなものだ。責任がないことにたいしてはみんな無関心だ。ただ同調する気配を見せるだけだ。

世の中には、こんなに心の清らかなひとがよくいるものだというようなひとが本当にいる。そんなとき、私は自分にはそんなことはできないと恐れを抱いてしまう。でも当人はそれが当たり前と思っている。自分の清潔さに気付かない、そんなひとがいるのだ。

いつも、流れに乗って、のろまなやつは蹴落としてしまえと冗談交じりに想っているひとがいるのが信じられなくなる。どっちが本当なのか。

でも、そこであきらめるわけにはいかない。プロフェッショナルとして自分の道を究めるだけだ。それだけだ。邪魔が入ればそれは、躊躇なく戦うのだ。当然のことだ。

流れではなく、自分の歩くところは自分で決めていく。それが、プロフェッショナルになることだ。

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1000記事記念号

ブログを始めたときは、わけもわからず、何をかいたらいいのかとても不安だった。つい気を許してしまうととんでもないわけのわからない、いわゆるネチケットにかけたものでとても送れるものではなくなる。

自分の興味のあることが、本筋を離れてしまうこともある。

そこが、デジタル社会の基本としてだれもが体得しなければならないことだと私は考えている。最近、よく頭の中がすぐに文章としてでるようになった。

基本は短文でわかりやすくということだ。そして、ときには心の中をのぞいてそのプロセスを表現していきたい。なぜ、ひとは考えるのか。なぜひとは生きるのか。なぜひとは喜怒哀楽という表現手段をもっているのか。

なぜ、ひとは目、耳、鼻、舌、皮ふなどから感じたことを総合的に評価できるのだろうか。食べ物もしかり、人物もしかり、好き嫌いもしかり・・・・。

次は、1001回となるので、今日は記念してこの1回で終わりにすることとした・・・・。

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拉致のゆくえ

拉致問題の報道が最近、めっきり減った。なぜだろうか。

近々、大きな動きが北朝鮮にあるから・・・、ではないだろうか。

百人程度の拉致被害者がまだいるというではないか。拉致とは邦人誘拐という犯罪である。国際犯罪に対して、あまりにも無力な日本の姿は、日本の国際協力の貢献とかいうことに対しても、大きな不安を与えているのは確かだ。

どうして救出しないのか。できない理由はなんなんのだろうか。他国への遠慮なんて邦人誘拐について出る言葉ではない。協力しない友好国なんてありえない話だ。当事国が意欲がなく蔑ろにしているとしか思えないなら、どの国も言葉だけで終わりにする。お付き合い程度のことしかしない。

日本のどこかで拉致被害者救出について、真剣に計画を練っているところがあるのだろうか。拉致担当大臣が数か月でなくなった。拉致国は日本の不熱心な態度を読み取って何もしない。放置され、バカにされている。国家が他国にバカにされていいのだろうか。

拉致のゆくえについて、もっとマスコミは真剣に取り上げるべきだ。東独の例もある。崩壊はすでに始まっている。もし、その混乱の中で、闇に葬り去られてしまうことのないように、しっかりと救出すべきだ。

どんな手を使ってもという意味だ。政治的にできなければ、人道的手段でいけばいい。独裁者は偉大な指導者なのだから、人道的なことを優先しないわけはない。取引条件ではなく、ひととしての扱い、対応を求めることだ。

もし、私にいろんな力があれば、救出に向かうことを考えるだろう。どこにだれがいるのかという情報が大事になる。日本に帰りたくないという人物も訪日して親戚にあったというときがあった。どうも、なにか大きな黒幕がそういうすべてのことを封じているのではないか。日本にはそういう力を持っている人たちが10人ぐらいはいるのではないか。

若いIT長者たちは、もっと国際的な救出にむけてアピールすべきだ。まずは情報を集めることだ。

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朝のニュース

朝TVを見る。情報を得るためというより、世間の考えの基準を知るのが目的である。このTVのキャスターはどんなコメントをするのか。コメンテータといわれる著名人はどんなことを言うのか。

あるイメージがでてくる。世間標準という男女区別のないようなものだ。お化けのようなものだろう。

そこで、そのお化けが何をいうのかを聴くのだ。

ちょっと違うのではないのか。そんなことが多い。どうもTVに出ている人たちもそこに何か基準をもっているようで、あまり過激なことは決して言わない。つまり、全国ネットで攻撃の対象になったら厄介であるから、基本は政治家が出るときと同じようなものかも知れない。知名度を上げるというメリット、失言による非難・誹謗・中傷を覚悟しなければならないというデメリットが常にあるだろう。

だから、どんな人物でも失言におろおろしている。中には意地悪なキャスターもいる。失言を誘うとか、誹謗中傷を浴びせて戸惑わせて、視聴者の評判に影響を与えてしまう。そして、正義の味方として常にふるまう。

だから・・・、だから、朝のTV番組は正義の味方の月光仮面や水戸黄門や桜吹雪の大岡越前の上、ねずみ小僧じろ吉、清水の次郎長、・・・その他大勢のヒーロで埋め尽くされているのだ。

だれがTVでこういったらから正しいとか、そんなことで噂話に入っていかないと、自分の意見だとかいうと、新聞もTVも見ていないのかとバカにされてしまうようなことが・・・。

今の日本では、自分の意見、私の主張なんていうものはないのかもしれない。みんなで虐める。この構図は、私たち日本人が戦後、日本の教育の中で学び取ったものではないのか。そこできずかないような巧みな学習要綱が作成されていたのかもしれない。

職業高校と普通高校の差別化、昭和30年代の政策の一つだといわれているが、士農工商の繰り返しだと私はその当時、悔しい思いをしたのを思い出した。自分で選んだのから、それはおかしいといわれるかもしれない。でも、職業高校を一度選ぶと、受験科目がなくなり、大学に進学できないというか、ごく限られたコースにしか進めないという現実があったのを思い出した。

だから、高校の英語に文法という科目があるのを私は知らなかった。でも、それが表面の差別化でしかないのは当然のことであり、英語とは勉強するものではなく、コミュニケーションツールなのだとか、ちがう発想を見つけることができた。

何かレッテルをはりつけて、おまえはそのラベルではちがう道へいくことになっている。どっか間違っているんじゃないなどというアパルトヘイトのような感じを当事者は受けていたのをだれか分かってくれているのだろうか。

朝のニュースの正義の味方は、ちょっと問題が大きすぎるのではないか。公共の電波を使って、同じようなことをいくつかの番組で同じような正義の味方のコメントだけを流すのはちょっといただけないと私は思うのだが、どうだろうか。

事実は事実として伝える、そして受け取る側もニュースをそういう眼でみる。コメントは賛成反対の二つとどっちでもないという中間のものがある。そんな基本を忘れていたようだ。ちょっと反省する・・・。

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あそび仲間  ・・・砂遊び事故に想う

気の合うともだち同士で遊ぶのは楽しいものだ。でもそこにときどきいろんなことが起こる。車の免許をとれる年ごろだと、ドライブとかもある。楽しいことや、事故に遭遇することもある。

何かスポーツでもそういうリスクはある。ゲームは、本気になって熱くなることもある。だから、だれかがちょっとクールな目でみているものだ。そんな微妙な感覚が友達グループを維持しているのだろう。

仲間意識は、安保条約のようなものかもしれない。グループ間の競争意識もあるだろう。そこで、何か新しい遊びに興味をもつ。それは、通常は異性であり、不良行為とかである。そういうことはだれでも成長過程で興味が増してくることでもある。

グループとは、私たちの気持ちの中にある同じ興味とか境遇とか活動とかによって形成されるものだ。中学時代は成長の格差もあるだろう。そこで、どんなことができるのか。とくに部活とかで形成された場合には、何か第2の遊びには突飛なものがでてくるのかもしれない。

砂埋め遊びは、なんとなく思い浮かばなかったが、砂風呂なんていうのはあるし、そういう発想なのだろうか。江戸時代の処刑の方法の一つと関係あるだろうか。土砂に埋まるのとか雪に埋まるのも、水没していくようなイメージはとても私には我慢ができない・・・、ところだ。

そういう多くの人が嫌気することを体験する遊びなのだろうか。何かその遊びのヒントになるようなものがあったのだろうか。中学生がやりたいと発想するようなことではないと思うのだが、インターネットとかであったのだろうか。

とても不思議な気持ちでいっぱいだ・・・・。

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魚部という活動・・・  指導者の存在と自然な教え方

水辺の生き物、魚、昆虫などを実際に採集し、飼育し、子供たちやみんなに発表するという活動らしい。

生き物に興味をもつことは小さいころに目覚めるのだと私は思う。それは、機械やメカニックなおもちゃに興味をもってそこから、いろんな方面に進んでいくのだといえる。

魚部というクラブがあるのは、北九州高校だった。たまたま昨夜2時ごろ目が覚めてTVをつけたところ、この番組の再放送だと思うのだが、見てしまった。偶然ってあるものだ。いいものをみたという気持ちだ。

こういう基礎的な部分はだれも教えてもらうのではなく、そういう機会のありそうなところを探していくのだろう。情報を集めて、いくとそれは自分の好奇心とか、夢とか現実の中での生活と関係してくる。時間は立つから、その兼ね合いもある。

とすると、自分の興味が好奇心が関心をもったものに近づいていくのだろう。アンテナに触れた情報がその誘導をしてくれる。だから、偶然でもないのかもしれない。

そういうところを求めていくと必ず指導者に出会うようなきがする。それぞれにあった考え方を自分で身につけるには、やはりいろいろな指導者の教え方を見て学んでいくことが必要だろう。

そこに、何か共通のものに対する仲間意識みたいなものがでてくるのだろう。そして、ライバルになるのではないか。大人でも子供でもそういう領域ではあまり関係ないのではないか。好奇心というのはとても大事なものだと、私はこのTV番組をみて想った。

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イエス、ウィキャン・・・ 米大統領選挙

もし、あなたたちにそんなことはできないとか、私たちにそんなことはできないと、いうヒトがいたら、こう答えよう。

私たちは、できる・・・と。それが世の中を変えていくのだと・・・。

確かに、演説のうまさを評価する人たちが多い。でも現実の場では、それがいろんな経験から身にしみてそう思わなければ、表現はできないし、伝わらないのではないだろうか。

演劇との違い、演技はあっても、そこには本人と現実のことなのだという自覚があるだろう。米国の大統領というのは、とても特殊な存在だ。

そこに、二世ではない、ケニアで生まれてもう事故でこの世にはいない留学生の子供が47歳という若さで選ばれたのだ。結末がわからないからとか、世論調査の結果が悪いからとか、そんな理由は一切関係ないだろう。

目標に向かって突き進むことが、どうしてできるのだろうか。そして、私が一番感動しているのは、選挙の仕組みをよく知っていることだ。普段投票しないひとが投票したのだ。一生まっていたその時だという認識を与えたのだ。ここがすごいと思う。普通は、選挙戦略とか戦術とかいって、投票率は低い方が勝利する率が高いとかいうプロらしき人がいる。

でも、それはちがう。ほぼ同数の人たちが二人に投票し支持を表明した。でも、選挙は代議員の数が州で決まっている。その数で争うというシステムだ。そして、投票数と代議員の数には大きな隔たりがあった。つまり、重点地域で勝利する。大衆を動かす。

少数意見の大多数を動かす。そこに勝利の秘訣があったように思う。日本でも米国でも他の国々でも同じ人間がこの社会で生活しているのだということを考えれば、当然のことなのだが、そこに日本の甘さがある。まだ、血統がどうのこうのという人がいて、いい人がのさばっているのはおかしいのではないか。関係ないといえるヒトがどれだけ、いるのだろうか。

本当に政治家としてなりたいと思ってなった人がどのぐらいいるのだろうか。そこに、日本の弱さがある。日本の大衆の弱さがあると私は思う。

日本でも追いついていこうではないか・・・。私たちはできる・・・。イエス、ジャパニーズ・キャン、トゥー・・・・、なのだ。

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USA ELECTION for NEW US President

Just started. It is expected by the people all over the world. Why small city of Japan is supporting B. OBAMA? The Name of the city is the same pronunciation is the reason, I know.

More than half population supporting new young candidate whoes name is B.OBAMA. Yesterday I was misunderstanding he was born from the African couple who came to America in the past long time ago, and the truth is he was born from the couple between african student studied in USA and american lady.

How african student can produce US President? It was one of the question I have had, because US President is the most difficult position anyone cannot be even strongly desired and/or even Bill Gates wants to be. Of course I dont know whether he want or not.

We have few more hours to get the election results. And the expectation is high for next change of USA and the World. We are the human being, all of us Chinese , Korean, Japanese, Asian, Indian, Micronesian, Polynecian, Melanecian, African, European, Eskimoe, Latin American, and all the Native people.

Can we celbrate the change for the future not only USA but also for the future of the WORLD?

   

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普通の女の子にもどりたい・・・ キャンディーズ

やはりバランス感覚が大事なのだ。それも普通の人間としての感覚だろう。とくに金銭感覚が大事だと、小室哲也氏の逮捕の知らせで想った。

キャンディーズの3人娘は、普通の女の子に戻りたいといって解散した。そして、今もそれぞれの特徴を活かしてい活躍している。

ヒトはリセットすること自分で選択する力がある。でも、時代の寵児として脚光を浴びてしまうと普通の人なんてつまらないだろうなとか、そんなこと生まれる前から決まっていたんだとか、勘違いをしてしまう。

みんなどんな風に生まれようが、たとえハンディを負って生まれてこようが、その本人にはそれがすべてなのだ。己の力を超えて、それはヒトとしての力量を超過した勘違いをしてしまえばそこでからだもこころも耐えられなくなる。

だから、自分で己の人生をみんなが政策の基本計画の見直しではないが、5年に一度実施すべきではないだろうか。人間の場合、それは3年でも、5年でも、10年でも15年でもいいとは思う。個人できめるべきことだ。ただ、老齢化し高齢化してくると、経験は増えるが、真に役立つことがどのぐらいあるだろうか疑問だ。

特に不惑を超えると、もう夕暮れになったような気になるかもしれない。でも、それは今までの時間と同じぐらいのスパンがあるのだから、しぬ直前まで精いっぱい、頭を駆使して知恵を絞り創造性を豊かにしていくべきだと私は考えている。

時代の脚光を浴びた小室哲也氏とキャンディーズのちがいがあるとすれば、それはマネジメント陣の人間性ということではないだろうか。そして、復活してまた活躍してほしいと個人的に想う。

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報道の自由

報道の自由はよく耳にすることだ。でも現実には制約がいっぱいあるのも事実だろう。それは決まりであり、必要なものだろう。そこに大きな問題があると私は考えている。

つまり隠れ蓑にして、報道を操るには、そういう決まりを作ればいいのだ。合法でありそうでそうではない。なんと微妙なところだろうか。

だから、日本の官僚は公務員は、そして公職にある人たちは、すべて規則にしたがって生活している。公人なんていう言葉もある。すべて決まっている。すべておうかがいを立てる。そんなゆきあたりばったりでいいわけはないのに、責任逃れのような仕組みそのものだ。

いま、いろいろな不具合がこの世にはあるだろう。でも、それってすぐには改善できないものではないのか。そんな種類のものがいっぱいある。

報道の自由は報道関係の人たちがよく主張している。言論の自由というものを私たちはみんなが持っているのに、それもないらしい。報道陣が言論の自由を論じないなんていうのはこの世界にあるのだろうか。

ひとことも聞こえてこなかった。言論の自由と報道の自由はちがうが、どうもその懐が狭いように感じられて仕方がない。

報道の自由って、いろいろな意見を幅広く伝えるということもあるのではないですか・・・。

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ほっとけない・・・ いつもの同じパターン

ほっとけない・・・・。ほっとけない・・・・。

そういう同じパターンで、それも録音した声を流すTV番組が毎朝ある。司会者はかの有名人である。

でも、もう飽きあきというところだ。コメントも大衆を意識したものでしかない。つまり、20・80の法則のコントロールシステムを使うというのだろう。あなたの本当の意見はなんですか。主張はなんですか。大衆レベルの視点で世の中を見ています。常識人です。そんな感じはこの世の中を最悪にするのではないか。

テレビでいっていたから、正しい・・・・、なんていう解釈を普通の人がいうようになったら終わりだ。その番組は、そこで打ち切りにした方がいい。批判されない大衆番組なんてない方がいい。

だから、政治家はよく呼び出されて出ているのだ。そこで、庶民感覚とかいうものを示せば選挙が有利になるなんて考えない人はいないだろう。

後だしじゃんけんだろう。ほとんどはそうなのだ。勝手なことをいうのが仕事なのに、それがいかにもかしこまっていて、そしてなんら主張がない。

そして、同じパターンをいつまで続けるのか。本当に嫌になっちゃう・・・。

こんなだらしないことをいつまで同じパターンで続けるのか・・・。ほっとけない・・・。そう自分たちで感じてほしいものだ・・・。

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また訃報が・・・  フランク永井さん

76歳だという。有楽町で逢いましょう・・・・、この歌は地方に住む若者に東京という都会をあこがれにしたようだ。

ああここがあの歌のところか・・・、私もそう思った。そして、すこし感慨にふけってしまった。

晩年は奥さんと別れて、苦労していたらしい・・・。健康を害していたのは、いろんなストレスが原因であろう。

もっともみんなに親しまれていた歌手の一人だと私は憧れていたが、本当の苦労はどうだったのか私たちの耳に入ってくることはなかった。

昭和の好景気に沸く時代をいきた人なんだといえる。ご冥福をお祈りいたします。そして、いい歌をありがとうと感謝している。

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西部の涌井投手

緩急自在のピッチング。そんな感じだ。一目でいい投手だとわかった。

なるほど、安定感があり、くよくよしない気の強さというのか。その投球動作をみていると、やはり天才のもつ光や輝きをもっている。

スポーツとはいいものだ。そんなことを想わせてくれる。

天才という言葉に舞いあがらないことが、天才が才能を発揮する秘訣なのかもしれない。上原も調子はいい方だと解説者が言っていたが、どうも心理的なブレが見えた。味方の点が逆に重荷になっているような気がした。

俺が抑えてやるという気概が足りなかったのではないか。

それは、決して涌井投手のせいではないだろう。二者択一ではないが、すごい投手がふたり並べば、そこで視聴者にうつるのは、自然の動きだろう。そこでどっちがどうだとか感じるのは、そういう伝えるものを二人とももっているということだろう。

そこで差がでるのは、そのときの雰囲気だろう。久し振りに野球っていいなと感じた。

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深い海の底を想像してみよう

深海で何が起こっているのか。この地球の内部から、ふつふつとそのエネルギーがわいているのではないか。

表面で人類が悪さをして水を汚し、空気を汚している間に、深海では地球そのものが生命の息吹を見せているのではないか。

生物がどうしてできたのかという神秘的な活動がそこで現実にあるのではないのか。ビッグバンで生まれた生命の源がこの地球という塊の中で、生命を作っているのではないのか。

深い海では、いろんな生命がうごめいている。地球の宝庫ではないのか。

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主張すると非難される不自由な国: 暗くて弱い国「日本」

きまりきったことだけを考えて行動していけばいい。その基準は、そのときの時代の雰囲気でしかない。一般的な人気取りの指標でしかない国がある。

そこで、自分の考えを主張する。そうすると、規格に外れてしまうと存在を否定される。そんな社会でいいのか。多様な意見とそれらを主張することで、感性が磨かれるのではないのか。いくら年月を重ねても、そこで多様性があれば、感化されることもある。どうして一億総標準日本人でなければいけないのか。

主張すると非難されるような国は、今の日本がおかしいということの指標のようなものではないのか。もっと、自由社会の一員としての日本という存在を私たち日本人は世界に対して主張しなければいけないときに、靴のサイズに私たちすべてを合わせろという理屈はおかしい。

そして、自由な国日本という表現を世界に対してはする。なんという矛盾であろうか。おかしな国日本、暗くて弱い国「日本」ではないはずだ。そんなイメージしかないこの頃の私たちの愛する国の現状だ。これが課題でなくてなんだというのか。もっと自由を尊重しなければ、ほんとうに不自由で暗くて弱い国の見本になってしまうと私は憂えている。

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言論の自由

公人と私人。言論の自由はあるのか。そんな日本の自信のなさがでているように私には思える。あまりにも、主張する日本人というイメージから遠ざかってきたのだろう。だれもが疑心暗鬼になっているのだろう。

航空幕僚長という日本のAFのトップだ。私的な論文発表で300万円という賞金を得た。その内容が政府の公式見解と反するものだから更迭された。

日本って自由なようで不自由ななんとも身勝手な幼稚な考えしかないような印象を内外に与えている。

それは、防衛という国の一番大事な機能を米国に依存しているからであると私は考えている。もし、日本が独自の防衛機能を十分に持っているなら、米軍が駐留していてもそれは遊軍であり、友軍でしかない。しかし、日本は武器を使えないというジレンマをもっており、あいまいな位置づけの自衛隊でしかない。

自分を守れない自衛隊なんてあるのか。代行として、抑止力を米軍に依存している。全面的に頼り切っている。だから、ふたたび疑心暗鬼になり、もし守ってもらえないならと混迷してしまう。そして、国際貢献という名目で米国に媚びているのだ。媚びることで物事は解決しない。

自分たちの国を国民を家族を知人を友人を守るのになんら方策を持たないなんておかしなおかしな国だ。

言論の「自由」のない国の域をまだ乗り越えられないのだ。独裁国家になんらモノを言えないのだ。友達のトモダチはみなともだちだといわれて従っているのだ。いつからそんな弱い暗い日本国民になったのか。

もっと自由でおおらかな日本人をはぐくんでいかなければ、日本の将来はない。

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バランス感覚が大切

常識という非常識とかがあるけれども、私たちが生きるには常に知識を得ることが必要だ。

そこに流動する社会の変化が私たちの心に均衡となって現れるのではないか。ひとつのコメントでTVの発言でもって影響を受けることもある。それがみんなの常識的な意見なのだと思わざるを得ないこともある。

義務教育を受けたらそこで自分で判断する能力を養うというのが要件ではないか。いわゆる世論というものと、そのへんのコメンテータの批評などをみても、自分たちのバランス感覚を失うことはないだろう。

どっちの水が甘いのかという感覚は、どっちの方がより人間らしい判断かというのに通じているように私は思う。

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中部空港と富士山静岡空港 ー不安と期待ー

中部空港は人工島である。関西、神戸と同じ構造である。たしかに水域を利用して造ったので何かウォータフロントという感じがいい響きである。

直接の目的である航空機利用から離れて、国際便ターミナルがショッピングセンターに生まれ変わったという。どうしてだろうか。ニュースの画像によると人で混雑している様子だった。つまり、利用率が少ないということだ。そんなに便利な所にあるわけではない。いろんな計画と思惑があり、すべてがうまくいっていないということだろうか。

でも、目の付けどころはいいのではないか。なにかはっとするものを感じたのは私だけだろうか。次に、静岡の富士さん静岡空港が来年3月に開港する。立木問題で遅れそうだが、どうなるのだろうか。名古屋と静岡との違いって何だろうか。

そんなにはない。観光地で対象となるのは富士山か、伊豆半島か、日本平、三保の松原、清水港、お茶畑、…などだろうか。強烈な特徴ってあるのだろうか。熱海なんていうのもある。まあ東京都だが、静岡から伊豆七島へ入るというルートはあるのか。既得権の東京業者がクレームをつけるだろうか、そんなことはない・・・。

どうも不安である。すぐに使われなくなるという可能性はないのか。私たち地元民が使うのは国内で大きな空港へいくのには便利になるのでは・・・・。でも頻度が問題だ。運賃も問題だ。逆に制約が大きくなって面倒かもしれない。有効に使えるかどうかまだ私自身は結果をもっていない。

小さな島と島の間では、小型飛行機は不可欠である。でも陸続きの場合は、代替ルート、手段がいっぱいある。その中で選択するのが一つ増えたけれど、結局は採用しない・・・、なんていうのが多いのではないかと私は考えている。

ではどうする。使われない施設は維持費だけが出ていく。そうなると閉鎖となる。ペンペン草が生える。一度、閉鎖すると施設を再開するのは至難の業だ。

中部空港がその典型的な姿としてモデルになっているような気がしてたまらない。なにか良案はあるのだろうか・・・。どこかで、だれかが秘策というか当たり前のことで、大丈夫だといっているとは到底思えないのだ・・・。だから不安だ。

そして、何かいいアイデアをだしていけないのか。そこに完成しているのだから・・・、有効に使う手だてを考えようではないか。

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株価は総合力の反映ではない・・・

平均株価が7000円を一時きったというニュースがあった。確かに、資産価値が相場に比例して変わっているのだが、本当にそうなのか。

株価でもって力がなくなって、総合力が不足して、企業は創業する力がなくなるのか。銀行は貸すお金を無くしてしまうのか。力が刻々と変わり下落してしまうと、そこで力が尽きて死んでしまうのか。

事業に対する資金投資が株なのだから、それは単なる株の売買ではないはずなのに、金融商品として売買されているところにからくりがある。運用益を得てそれで力をつけているのもわかる。でも、そんなことですべての評価ができるのだろうか。

もっと中長期的な目でみることと、考えることが必要ではないか。あまりにも短絡的であり、あまりにも挑発的であり、あまりにも反応が幼稚であると、私は思う。

安定した経済社会を実現するには、もっとまっとうな考えで進むべきではないか・・・。

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目に見える成果

まゆが新たな技術で注目されている。例のクラゲの発光遺伝子が、蚕の卵に投入されて光る絹糸ができるという。サンゴからとった赤い色も同様にできるのだという。

何か画期的なことだ。そして、目に訴えるというのがいい。医療分野ではガンの転移などの検査に大きく貢献しているらしいが、一般の目に触れることはすくないようだ。

だから、あの蚕からできる絹がいろんな色彩をだしてくれると、私たち一般の目にもよく理解できる。こんな風に科学が実際の産業面で活用されていくのだというプロセスがよくわかるのがいい。

目に見える成果である。

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ロス疑惑のこと

あんときは、みんなどうして揉めるんだろう・・・、と不信が世の中を貫いていた。悪者になった容疑者が三浦元社長だった。まだ、若い青年実業家というイメージだった。

当時は、まだ海外でそれもロスとかNYKとか米国に住めるなんていうのは、夢の夢のそのため夢みたいなものだった。推理小説のなかでの出来事としか私の理解はなかった。保険金殺人というのが、その筋書きだったのだ。

もちろん、ドラマを見ている気持ちでしかないので、容疑をかけてみていた。そのうちどうにかなるんだろう。アメリカの日系人ロス市警がもう英雄のような存在で報道されていた。アメリカは自由の国で司法国家だから、正義が貫徹されるというのが大方の見方であった。私も同じだった。

そのうち証拠不十分で無罪放免となったのは、みんなが忘れたころではなかったのか。それが再びサイパンで捕まった。容疑は共謀罪だという。自分の手を汚さないで指揮したというのらしい。

なぜ、米国の司法権の及ぶ地域にたびたび訪れていたのか、よくわからない。実の危険を感じなかったのか。一度、この世の中で嫌疑をかけられると、それはもう見世物になるようだ。そんな人生を覚悟してはいなかったのか。一度脚光を浴びてしまうと、真実はどうでも注目からそれるのはつらいのかもしれない。逆転の発想なのかもしれない・・・。真相はわからない。

なぞが残っているなら、ロス市警はその証拠をしっかりと公開すべきではないだろうか。ましてや被告の弁護人は他殺だと主張している。10分間で自分を絞め殺すことが、はたして本当にできるのだろうか。なぞは深まるばかりだ。

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誤解は気付かないものだ

この間、国営放送で子供ニュースというような番組を見た。その時、ノーベル賞、物理学賞の受賞者の名前を逆に表示していた。

ああ、まちがっている・・・。私はすぐに気づいた。

でも、キャスターはそのまま訂正しないでいた。あれだけいろいろ調べて進めているのだろうけれどやはりあるのか・・・。ヒューマンエラーはあるのだ・・・。起こりうるのだ・・・。現実にそれを本人たちがみていたら、ああそんなものかと落胆したに違いない・・・。

ノーベル賞の値打ちがそんな評価してされていないのかと、何とか先生はぼやくのではないだろうか。

でも、順応的管理という言葉を思い出した。できるかぎりのシミュレーションを行うが、それでも柔軟に対応することをいう。それは結果としていい方向に導くための便法かもしれない。

こだわらない。

固執しない。

まるで日本の歴代の首相はその順応的管理のお手本のようだ。そして、それが日本の将来にとって良いのであることがわかれば、それは成功であり、順応的管理の勝利でもあるといえるのではないだろうか。

誤解は気付かないもの・・・。そう改めて感じだ次第だ。

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富士山静岡空港の立木問題について

空港の開港は来年3月だ。だが、まだ認可が下りないという。なぜだ。

立木が残っていて、整備した滑走路をすべて活用することが無理なのだそうだ。就航航空機の小型化と滑走路の誘導標識灯などの追加改修工事が必要だという。

なぜだ。そんな初歩的なことが今頃おこるのだ。

立木が成長したという話もあるようだ。反対者が唯一のよりどころとしているのはわかる。安全上の問題がいくら長さを制限しても視野を悪くするのは理解できる。つまり、安全性が低下する。そんな空港にはだれも行きたくない・・・。

そうなれば、自然に廃港となるのではないか。航空機の飛ばない飛行場に莫大なお金をかけてしまった・・・。そんなストーリがすぐにでてくる。

そうでなくとも、すべて順調にいったとしても、利用率は低いものしか期待できない。死活問題だ。それでいいのか。計画がどうして頓挫するようなことになるのか。

いまが一番、空港の活用策にむけて大事な時なのに、とても残念なことだ。将来の廃港が立木のせいで垣間見えたと喜ぶひとたちが何人いるのだろうか。歴史的な評価で、廃港が正しいという結論がずっとあとに出されるのだろうか。

いや、建設した施設は県民および中部東海地域の住民が総出で、その有効利用に知恵を絞るべきである。立木の問題は、自然の植物の問題であり、その寿命は限りがあるものだ。それとも、新たな立木を植栽するのだろうか。いずれにしても、違法性がないようにして、活用を考えようではないか。

立木では太刀打ちできないもっと難しい問題という幹がそこにたちはだかっているのは、誰の目にもみえている・・・。

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水俣病のこと

忘れてしまったことがいっぱいある。とても大事なことなのだが、新たな事件で忘れていく。

水俣病もそうだ。多くの人が水銀の被害にあった。

今また、食物の安全が取りざたされている。何を食べたらいいのかわからなくなる。でも、食べなければいけない。殿様に毒見役というのがいたという。そんな馬鹿なと私はせせら笑っていたのだ・・・、子供のころだ。だってそんなことありえないではないかと考えていたからだ。

みんな食べ物は畑からとってくるのだから、毒が入っているはずはないのだ・・・。

でも実情は食糧自給率によって変わったのだ。根本から変わったのだ。自分ではつくらないのが当たり前になっているし、そうできないのが現状だ。どうするのだ・・・。この社会構成を考えてみて納得するしかないだろう。

自分の役割を果たす。そしてほかの人たちもそうしていると信じるしかない。そのために自分の仕事は責務としてしっかりとやる。天命に誓ってやるのだ。

でも社会の仕組みがおかしければ、偽善の輪の中に取り込まれてしまうかもしれない。社会正義が実は、住民の生命健康を侵害しているという現象をだれが、指摘して改善していくのだろうか。

それは、私たちみんなだと私は思う。水俣病は決して忘れてはいけないものだ。まだ苦しんでいる人たちがいる。そんな何代にもわたるものを決しておろそかにしてはいけないのだ。

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スポーツ選手の美しさはほんものだ

健康美というものがある。みんなそういうものを目的としているのだが、この世の中の80%は不健康美になっているようだ。

モデルの痩せ方は異常だ。確かに形としてはあるのだろう。でも、日常で持続できるものではないし、だれも特殊な状況でしか求めはしない。

暮らすのによくないだろう。

スポーツ選手もたしかに多様である。そしてほとんどが実が入っている健康美である。農家のヒトが食事をしっかりしないと働けない。働けなければプロではないのだ。プロはしっかりと中身のあるものでないとなれない。

普通のひとは普通の健康美でいい。スポーツ選手はプロとしての鍛練した美しさがある。それは、鍛練しなければ決して得られないものだし、そのスポーツの精神にそったものだ。相撲道はああいう形を作ったのだ。柔道はああいう形を作った。

水泳はああいう形を作った。それぞれの形は、その美しさを仕上げてきたのだ。それは伝統の美しさというのだと私は考えている。

もっと本物の美しさを楽しもうではないか。スポーツをそして楽しみもっともっと応援しようではないか。

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不可解なロス疑惑の結末・・・

サイパンで三浦元被告が逮捕。とっくに忘れていた事件だった。

日本ではなく、米国のロス市警に逮捕されたのだった。無罪となったのは日本であり、米国ではないという論理のようだ。

そして、昨夜のニュースで、三浦元被告が自殺したという知らせが伝わった。ずいぶん派手な帽子をかぶっていたので、逮捕されるとあんな標をつけさせられるのかと、自由米国という印象が吹き飛んだような気がしたのだが、何語かわからないが、解説によると「アバヨ」というメッセージだという。

無罪判決がでるまで、本当に悪ものの代表のようなレッテルを貼られてきたのではないか。心象はまったくよくなかった。そして、だれもが予想しない無罪判決。証拠不足ということのようだった。

ロス市警の面目がたたないというような流れがあったのだ・・・。

半年以上、サイパンで拘留されてロスに移送された。面目が回復か・・・と意気込んでいる気配も感じられた。ようやく追い詰めたぞというような空気があった。

ひとは、どこかでなにかをどうにかして悟っていくものなのかも知れない・・・。それは、真相はどうか知らないが、どっかで自分の人生の総括をしているのかもしれない。

無罪判決が、新たな監視を継続させていたのだ。どうしてもっと冷静に米国の権力を分析して国内にとどまらなかったのだろうか。それは、みんなの疑問を吹き消すために、海外に出ていく必要が、三浦元被告のこころの中に微妙な均衡をとるために不可欠だったのかもしれない。

いいことをしていても、たとえばノーベル賞を受賞しても、悪人・罪人として大衆に暴露されるのは、何か個人としてみると、あることないことがすべてさらしだされてしまうようであり、文明社会といっても、魔女狩りの暗闇が、いまもこの世に残っているようで釈然としないのは・・・、私だけだ