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ファッション・アクセサリ

シルバー人材

シルバー人材。
高齢のひとのことだ。
人材だ。人財ではなさそうだ。
そういえば、気になるのがその材と財の違いだった。
そうかそういうことかと、目からうろこが落ちた。
やってみないとわからない。
みんな高齢者だという目でみながら、こころは違うものを感じる。
これって、障害者への目だったのか。そう合点した気がする。
俺も、そういえば、俺は生涯をもっていなくてよかったとか、思っていた。
そして、かわいそうという感じを抱いた。
でも、それは今思えば、そうではない。
ハンディだ。できないことは、できない。
ないものはない。生まれつきのこともあれば、途中での事故とか病気の場合もある。
できないから、やらない。
できてもやれそうでも、やらない。
なんでって、それはみんなの目が恐いからだ。
みんな変な目でみる。差別を感じる。それが恐怖だ。
シルバー、つまりお年寄りのかわいそうな労働せざるを得ない人たちでかわいそうだ。
そうなるのかというと、ちがう。
あいつらのおかげで俺たち若い者が、将来苦労するのだなんていう気持ちをもっているかのような錯覚さえいだいてしまう。
これは、いわゆる弱者に共通する心理なのかもしれない。
だが、どんな人間でも、今ここにいるときが、一番わかいのだ。みんな共通している。
だから、どんなことでも挑戦していくのが大事だ。
健やかなこころとからだが、この世では一番のものだ。
それは若くても、老いても、おんなじだ。
シルバー人財なのだと、だれかがいつか気づくなんてのんきなことをいうな。
すでに昔から、人的財産なんだ。
おとしよりの知恵は、この世の中での重要な財産だからだ。

もうこれで後輩たちに優勝の夢を渡す・・・

これでワールドカップは終わります。私の場合は、終わりです。
そんなメッセージが出てきた。
では、そこにこだわりの元があったのか。
ワールドカップに3回連続で選出され、その都度点数を獲得して貢献した。
そんな評価だろうか。
覚悟の行動だったのだろうと推測される。
みんなそうだったのではないか。
だれもが、そうだったと私は思う。
選考に漏れた選手はかわいそうとも思う。
だが、そこに候補として選ばれたり、Jリーグの選手として現役で活躍している、又はプロとしてやっている、そのこと自体がすごいのだ。
あらためて、思った。
強いから勝てるのではない。サッカーに誠実で真摯に向き合い、サッカーの神様になんどもなんども追い返されてもはいつくばって努力して、そのピッチに立っているのだとわかった。
震えて泣いていた。ブラジルの代表的な選手。アルゼンチンの世界的な名声を得ている選手。ポルトガルの最強選手。いろいろな選手が、悲喜こもごものプレー結果を受け入れている姿を見た。現実がすべて正しいのだとでもいっているようだ。それしかないといっているはずだ。
ひとが人生で躍動できる期間はすごく短いようだ。
往年の名選手が今はほとんど解説者だったり、している。そこに年月を感じる。
そうか、なるほど。それだけ、歴史を築いてきていたのだ・・・と、納得だ。
ここまでくるには、どれだけのパワー(ひと、もの、カネ。情報)を必要としたことか。
これからのサムライジャパンに優勝の夢という土産をまだ残しておいてやった。
そんな風にしてその場を去り行く戦士というイメージでよかろうか・・・な。

万年筆を買う・・・

書いてみた。
どうも数十年ぶりの書き心地は、ずいぶんゆるゆるだ。
シャーペンとボールペンに慣らされた指はなかなか、万年筆のペン先の機能を使いきれないようだ。
それでも、A4一枚にかいてみた。
まあまあだ。
じつは数年前にパイロットからそんな万年筆が発売されたというのは知っていた。でも、買うまでの行動には至らなかった。なぜって、それは面倒だからだ。
でも、今、なにか懐かしく感じている。
高校生になると、そのころはプレゼントのひとつになっていて、たいていのひとは貰っていたように思う。腕時計と万年筆は、特別のモノだった気がする。
カートリッジ式だった。
もちろんインク壺からの吸引式もあったが、やはり持ち運びが便利ということで、インクカートリッジが主流だった。
モノは大事で、ペン先はよく交換していた。
先がすり減って癖ができる。そこまでいくと文字にも味わいができたりして、一層捨てがたくなる。その辺も、なんでもポイ捨ての時代ではない良さが思い出される。
自転車や映画はなくなる。でも、これらは残っている。とても人気がある。なぜか、それはそこに現実があるからではないか。自分の目で、自分のからだでモノを見る、使うという原体験があるからだろう。
他にも、これから50年、100年後にどういう感覚で、今あるモノが現実の社会生活で使われ続けるのだろうか。
パソコンなんていう言葉はどうなるか。
人工知能なんて当たり前だろうか。
本はどうだろうか。目でみて読むとかいうのは、ひとの行為として残り続けるだろうか。
脳に直接働きかけるなんていう学習法ができれば、だれも苦労して暗記や覚えたりの努力をするだろうか。
必要ないなら、やらなくなる。
だって、データベースが充実すれば、その情報量はテラバイトどころではないだろうから、人間の知能を超えてしまうだろう。記憶になんの価値もなくなるのではと危惧される。
でも、間違いを正しで、何度でもやり直すなんていう愚直な行動は、いつの時代にも必要なのではないかと、私は考えている。
万年筆に想うことはいっぱいありそうだ。

言葉で残す心情がある・・・

こころとはなんだろうか。

あんたにあるこころは、何型か?

わたしのは、新型だ。

あなたの祖父はたしか旧型だったはずだ。

そこに年度をつける。西暦がいい。

私のは、新型の1948タイプだ。

君は確か、超新型の2018年タイプだったな。

うちの生まれてくる孫は、同じく超特別型の9999年タイプとなっている。

どのぐらいの旧型まで生存しているのか。

たしか、BC型がある。これはBC4000年タイプとかいうが、遺跡の中に資料というか、痕跡がある程度だ。

ピラミッドの中に眠る王様は、結構いるが、ミイラ型だ。

その時々の心根を幾何学的に構築物にして残している。

ほとんどは人の顔であり、身体である。

中にはひとと他の生物の合体も心象の映像として扱っているようだ。

あとは宇宙というか、そらのかなたのことだろうか。

これは星に願いを託している心情のようだ。

いろいろな昔の話として伝わっているだろう。

かぐや姫、乙姫様、神隠しなんていうのもある。

だれが、いつ、どこで、だれに語ったのだろうか。

言葉ってすごい・・・。こころをイメージ化しているところがすごい。

なぜ外国のコーチは教え方がすごーく上手なのか?

新体操の特別コーチはロシアの元代表。

日本の中学の新体操部に教えにきたのだ。

日本の女性は美しいのだといって、部員たちを鼓舞した。

そうかと自覚したようだった。

そうか、そこがスタートか。

演技するのは美しさなのか。評価の対象は演技で見えてくる演技者の美しさってことなのか。そうなんだ。自信をもって笑顔で楽しい演技をみせる。すると評価も上がる。

バトンを落として、ああ私はなんともだめなやつ、どうせつぎもだめだろうから、笑顔がなくなる。動きもぎこちない。まるで私が悪いのだから、だめなのだからと続く演技で、その悪さを検証しているようなものだ。自己嫌悪を観客へのアピールにしているかのような訳のわからんことを考えてしまうような気がする。そんなん関係ないじゃないかと、しゃあしゃあとしているのもどうかと思うが、まあ、落ち込む必要はさらさらないはずだ。

そんなこんなをなんで外国のコーチは通訳を介しながら、ちゃんと伝えられるのだろうか。

その秘訣はいったいなんなんだろうか。

その技とか演じ方、演技する選手のきもち、みている観客、そして演技を採点するひとたちのこころのすべてが分かっているからではないのか。

失敗する原因はなにか。集中力の欠如。言うは易く行うは難しだ。だが、それをケロッという。バトンを投げる、相手がとれるか心配になる。投げた後に自分の動きのとるということに専念できないから、失敗もするっていうのだ。だから、相手を信頼する、つまり、自分が投じたバトンをうまく相手がとるかどうかは関係ないのだ。投げることに集中する。そのあとは誰かが投げたバトンをとるという動作が自分の役割だ。信頼するってことだ。気が散っていてはだれだって失敗する確率は多くなるという理屈だった。

納得だ。すごい。ロシアの新体操が強いはずだ。

残念なのは同じスポーツでも国によって方針がちがうのだ。もちろん自国の勝利を願うのはいいだろう。でも、技術力が敵に知れ渡るから、排除なんていうのはなんとも四千年の歴史を誇る国家がとる道であろうか。疑問はつきない。

でも、話をもどせば、なんともロシアのスポーツ界はコーチ力がすごいと称賛されなければならないだろう。

汚い恰好・・・

汚い。恰好が汚い。

それがいい。でも、衣服そのものは清潔だ。

でも、汚い恰好が肝要だ。

できるだけダサいのがいい。

そしてシンプルなことだ。

いつも身一つというのに近いのがいい。

旅する心得だ。楽な服装というのもそこに含まれる。

だぼだぼではないが、空気がはいって断熱性が高い。

熱くても寒くても、重ね着するというコンセプトだ。

靴もそうだ。ひとつですべて兼ねる。

帽子だってそうだ。タオル、手ぬぐいなんかマフラーになる。

ズボンのバンドにもなる。

ポケットのたくさんあるカバンは不可欠だ。

セキュリティを通るときには、金物はそこに放り込む。

とにかく汚い恰好だ。もちろん清潔さは忘れるな。

セカンドキャリアについて

やりたいことはたくさんあるも、できることはほとんどない。

それが、セカンドキャリアの現状である。

なにをするか、土壇場であがいてもしかたのないことだ。

できることはなにか。

なにもない・・・というのは、自信のなさからくるものだ。そして、そこに責任という重たいものがあるから、その覚悟が及ばないということがある。

どうしても、一か八かという覚悟はできない。

そんなに若くはない・・・ということになる。

できることは、ほかの人たちにも同じだ。

セカンドのキャリアとしてのことは、たしかに難しいものがある。

好奇心は興味をごまかすご都合主義なのだろうか。

おわりのようでそうでない部分がなににもまして悩ましい問題となるようだ。

ひし形排水孔・・・ってなんだ?

さらに噴霧洗浄だって・・・?

なんだ?なんだ?

これってなんだろうか。

リクシルさんの開発製品だそうだ。

そういえば、ちょっとつまる感じがひし形なら改善されるかもと・・・素人なりに想ったりした。

そして、さらにこれはすごいって想ったのが、噴霧洗浄だ。今のスタンダードは開発の課題でずいぶんと先発メーカーが苦労したらしい。でも、なにか痛みを感じることが多い部分だ。もちろん、体調にもよるが・・・。

噴霧なら・・・。そう想った。たぶんOKだろう。

もうわかっていただけたものと想う。

トイレの開発の話しである。できれば、新型に取り換えたいな・・・と率直に考えている。

いいアイデアだ。グッジョブだ。

温暖化ガスの国際的な仕組み・・・

どんな影響を被るのか。

千年猛暑と気象予報士のあるひとが言い始めたのは、ちょっと前のことらしい。

極地探検の観測によって、気候変動のメカニズムが明らかになりつつあるようだ。

はたして、このまま温暖化が進展すると、極地の氷は溶けてしまうのだろうか。

その溶けた水は、海洋でどうなるのか。

海洋そのものは水を湛えておけるのだろうか。

生活を支える給水ダムの湖底がみえるという記事をよく見かけるが、そんな状況が海洋でもみることになるのだろうか。

日本海溝にちょっと水がまだある・・・なんていうことが現実にあるだろうか。

大気はその時どうなっているのか。

地球上の生き物たちはどうなるのか。

干上がった地球は、冷却のメカニズムを持たぬままに、どうなるのだろうか。

地球内部のマグマは表面に噴き出して全球を覆い尽くすのではないか。

そんなことを・・・つい、つい想ってしまう・・・・。

二者択一

凋落と長楽のどっちかを選んで、その理由を述べよ。

こんな問題がでたら、どうする・・・。

だれも凋落なんていやだと想っているのだし、長く楽しむ方だって、何かその中身によっては気が向かない・・・。

ところで、こんな問題が多くはないか、最近・・・。

問題がないところで、あえて問題をだし、そこへ誘い出す。

だいたい、二者からひとつ選ぶなんて、意味がないことが多い。

つまり、意味がないのだ。

ひとつを選ぶなんて正答はないのだ・・・。

たぶん、百も二百もあるはずだ、正しい答えがだ・・・。

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