イラク戦での日本代表、かおにスパイクを入れられていた。でも、岡崎選手はにこにこしていた。なんで・・・?なんで怒らないのっていう雰囲気だった。
ほかの選手もやられていた。
あそこで真に怒りを爆発させても、だれも非難しない・・・っていう雰囲気だった。
だが、国際経験というものは、中国カンフーサッカーの現実をしっているかのようだ。
そんな喜怒哀楽の試合をしていては、勝てない。そのことをよく知っているのだろう。
怒ったら負け。
だから、意地悪いやつらは相手を怒らすという挑発行動にでる。あんたの母ちゃんデベソなんていうことだ。
でも、デベソぐらいならいいや・・・。
そう割り切る。そんなこという方がおかしいのだ。
カンフーサッカーでは、世界の強豪と渡り合えないのだ・・・。
あと一年もない。
どうでる。
日本代表はどうでるのだろうか。
パットしなくても、いずれ真の王者になれる・・・。そこに目標があれば、一時的な負けとか勝ちとかは関係ないのだ。
ゴールは世界王者なのだから・・・。サポーターは、そこにねらいを定めて応援するってことだ。
うぬぼれだ。
自分勝手だった。
そう反省してみてはどうだ。
自分にとって大事だから、相手を侮辱してでも取り返すとか、奪うとか・・・。
そんな理屈がなぜ通るのか。
地球を破壊するぐらいの軍事力をもっているからか。
相手よりも打撃を有利に運べるということからか。
そんな軍拡競争がまた、頭をもたげている。
宇宙空間から、地上を攻撃する・・・・。
なんともひとのうぬぼれははなはだしいとしかいいようがない。
いくら好きでも嫌われては終わりだ。
いくらなぐっても、かわいさあまっても、その選択は我が身を孤独にさせることだと、なぜわからないのか?
文化人、文学者・・・。
いろいろだ。
だが、自称であるのは心苦しい気がするので、どうすればいいかを考えよう。
堂々と、そう名乗ることのできる状況を創り上げるにはどうする。
どうする。
それは、社会の認めるような賞をもらうということだという。
賞罰なしではだめだ・・・ってことのようだ。
罰はまあ、ここでは除外だが・・・。
スパークールビズ。
クールビズでいいのではないのか。
一月はやくはじまったのだから、6月からは「スーパー・クールビズ」なんだそうだ。
そういえば、気象庁の警報にも「特別警報」というものができるそうだ。
十年に一度というようなすごい気象条件でおきる災害への警報に特別をつけて、大衆の注意を喚起するということらしい。
それを住民に伝えることは行政にとっての義務になるというのだ。
スーパーな警報ということらしい。
前代未聞の金融政策を政府と日銀が打ち出して、景気が向上しつつあるという評判だが、実態はどうもお寒いかぎりだ。
アフリカのほとんどの首脳たち50名ぐらいもを横浜にあつめて、なんとスーパーなTICAD-Vという国際会議を国連などと共催している。もう20年になるらしい。
まだそんなことが言える日本だったというのか。
それとも中国やインドが同じ国際会議を主催しているという状況に焦りを感じているのだろうか。経済力が陰りを見せているこの日本で、どこまでやれるのか。
知恵と工夫するノウハウを現地へと伝えるのが、一番だ。
だが、それでは日本国内は空っぽになるのではないか。
高齢者は社会のお荷物のようにあしらわれているのではないが、国民人口の4分の1が65歳以上だという状況での解決策は抜本的なものでなければならない。
それは日本人全体の労働範囲を拡大することだ。
80歳ぐらいまで健康な若人をつくりだせばいいのではないか。
だれがお荷物だといわれることで満足してあの世へいけようか?
スーパー若人という名の労働世代が健康社会をまた特別な社会へと導いてくれるはずだ。
心理面でのスーパーなアイデアが大切だ。
また、政権交代が三年後にくる・・・。
そんな記事が目についた。
そこで理由だが、自民安倍政権はミスをするということであったようだ。
いつまでたっても、相手のミスに乗じて政権につくという発想なのだ。
陥穽が政治のメカニズムを決めているのでは、いつまでもだめなままだ。
主権をもつという国民は、なんのために存在しているのかという疑問への答えはこうだ。
「選挙のため」という政治家ばかりであろうか。
あまり変化のないあきらめの言葉もみられた。
参院選までは自民の一人勝ちだ・・・。これってなんの意味があろうか。
与野党という仕組みがあってはじめて公正な国民のための政治が繰り広げられるのではないのか。
長い談話というかインタビューなのか、とにかく久しぶりに目についた感じだ。
隗より始めよ。
そんなことがあった。
そばにあるいいものを見逃している。
そこに気付いてくれれば、おのずと解ける。
隣国の理不尽な論争に巻き込まれるのではなく、民主国家として成熟した社会を目指すのだ。
そして実現するのだ。
そこに、過去のいろいろなできごとを糧にしていく価値がある。
国家は、税収で行政をつかさどっている。
予算を組んで、税を使い、その収支バランスをとる。
国民のためのよい政府、賢い政府でなければならないだろう。
でも、この国の台所を預かる人たちは、お金がないから、借金するという。それもたまりにたまってしまって利子をし払うだけで汲々だという。
でも、毎日ご飯をたべて、仕事をして、必要なお金を稼いで、寝て休息して何度も何度も繰り返して日々の生活を維持していく必要がある。
でも、社会も不景気で、その上大災害があり、資産は急激に減少してしまった。莫大な資金が復興には必要だが、そんなものはもう借金で首も回らないのだ。
でも、この国という組織は、税を獲得することで不足するときは、国債という借金をすることができる。もちろん、借りたものは返却することが必要だ。
そして、もうひとつあるという。税収と国債と、あと一つ、通貨発行の権利だというのだ。
なんだ?これは・・・。
ちと理解不能だ。
お金は日銀という中央銀行が政府とは別に発行しているのではないのか。
垂れ流しのお金の発行は担保もなければ価値は無ではないのか?
そんなバカな・・・。政府にお金を発行する権利があるなんて、だれか知っているのだろうか。嘘だろう・・・。
ウルトラ手法ではないか。そんなバカな・・・とか言えない。
もし国家が個人だったら、預金通帳の金額を勝手に増やすようなものではないのか。どっかから振り込まれたとかそういう出所の不明な悪の資金になるのではないか。
それでいいのか。
無から、通帳にまるでマジックのように突如金額を計上していけるなん・・・んて?ありえるはなしだろうか。想定していいのか。
まあ、プロの経済学者が主張しているし、また反対している学者が大勢いるようなのだから、素人が理解困難なのは、許していただこうか・・・。
でも、おかしい・・・。
まあ、法律とか憲法とかも決めたのは国民であり国家なのだから・・・、戦争放棄なんかと同じような戦前では考えられないような話なのだろうか。まったくないというものでもなさそうだ。
ただ、放射能汚染水と同様に、関係者を説得してからでないと、実行はできないことだ。国会もある。
でも、大連立とかいうと・・・?だれが反対するのか・・・?
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