日記・コラム・つぶやき

日記の付け方

日記。それは三日坊主の代表だった。

それが、今、何かを毎日ノートに手書きで書き、そして、ブログにも別途の目的で書いている。どうしてそんなに好きになったのか。

それは、ある秘密を会得したからだ。自分の気持ちをコントロールすることは意外に簡単だ。素直になることだ。そして、表現することの難しさを知ることだった。つい冗談を記すことがときに大げさになる。それが、すべての基本になる。ありのままを記す。気持ちを素直に表す。そこに、エコひいき的な妄想があってはいけない。続かない。

続けるには、自分の手で、頭で文章をつづることだ。それは楽しいことだ。主語と述語とその他の方法で表現できることはいっぱいある。

そんな楽しいことを、他人の誹謗中傷につかってはもったいない。私は、いつも誰かを批判するとかいうのではなく、世間の事実を知り、そして書くという作業を続けたい。

文はどんどん短くなる。そういうのがわかる。頭が勝手にばらんすをとったりする。手が勝手にうごく。そんな感じを味わうのもいいものだ。

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ブログの目標

何のためにブログをかくのか。以前、その目的は何かという点について考えてみたことがある。結論はとくにないのだが、やはり、考えること、すなわち思考の試行であり、試行かなとも思う。

今、150の記事を書いてきたようだ。まだまだだ。とても自分の思考を試行しているとはいえないのが実態だ。目標を私は1000記事においている。もう息切れという状況では決してない。やはり、表現力もないし、心から溢れるパッションもない。そういうのんべんだらりんとしたものでも、それはそういうものだという特徴なのか。そんな勝手なことを言えるのがいいのだ。

ブログの目標はある時までに何かを追求していくのだが、それはやはり数ということになる。文章は短い方がいいという。でも意志が伝わらないし、意思も伝わらない。それは自分にそういうものが欠けているからではないか。

いろいろある。でもそういう心の断片をとくに意識しないで、つくっていくのがいいのだと私は考えている。ブログの目標はなんでもない。自分の心の断片を1000の形に残していくことだ。

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ブログの目的

何気なくブログを利用している。ふと目的って何かなと思った。とくに大勢の人々に伝えたいことがあるわけではない。それは違う手段と方法でやればいいことだ。ではなぜだろう。暇つぶし、日記、趣味・・・そんなところだろうか。

デジタルデバイドという対処策。年配の人にとってはそれが一番ではないか。何か新しいことをやる。茂木健一郎さんの脳の科学そのものである。何か新しいことをやると脳が刺激を受けるのだ。モーツアルトの音楽は脳に刺激を与える。本当だった。リラックスすることは、サンマの頭の例にもれず相通ずるものがあるらしい。

これはとてもいいことを知った。私はそう思った。そのもう一つの例は写真情報科学誌というものがある。最先端の科学情報や最新の自然k学の情報を分かりやすい図や写真で解説している。40過ぎごろから、新たなことをするのは面倒・・・、若い人にまかせればいいなどと思うのはみんな同じではないだろうか。

ITの普及は人の命を伸ばした。それは人の脳に刺激を与えたからではないか。大きな刺激の結果として、すこし遅れているとか、おおきく遅れているなど、そういう意識をみんなに与えている。それはおおきな成果であろう。だれも今何がどうなっているかしらないなら、デジタルデバイドはあり得ない。

そこにブログの意味があり、本来中高年層でも若い層でも、モクテキとして見ていいのではないか。次にどんな革命的なことがあるのか。マンガみるといいのではないか。今、ロボットの発達が著しいようだ。ひとは一昔前の想像のカセイジンになるのも単なる冗談ではないようだ。何もすることがなければ、人は何もしなくなる。そのためには、ヒトはやはり自然のままでいた方が良いと私は思う。質素な生活という贅沢を精一杯味わって生きるのが一番だと思う。でもそれが難しい。すぐに溺れてしまう我が身があるのだ。

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