書籍・雑誌

日本の論点

日本の論点ってなんだ。日本では珍しい分厚いB5の本だ。定価は2900円だ。

ジャパン・イシュー。グローバル・イシューと同じだ。

いろんな問題点を識者が論じている。

そんなことは面倒でとっても読む気はしないが、買ってしまう。なぜって、ちょっと興味があるからときどき買ってみるのだ。でも読みはしない。

たぶらかされるから、読まない。でもその分厚さはパラパラとめくるには適当な量だ。手触りもいい。

ここに論点がつまっている。そう考えるとつい問題は何かと考えてしまう。でもそんなことで簡単にこの世の中の問題は解決しない。それも分かっている。

いつか、そのつまらない論点の執筆者になってみたいものだ。まあありえない話だ。競争力がない。日本は弱い。そんなことが書かれているようだ。そしてそういう大波乱の時代を生き抜くには強さを手に入れなければならない・・・。せいぜいそんなところだ。

不安をつのらせて、それを乗り越えろというパターンだ。トラブルをつくって、それを修正する。壊して治す。病気にして治療する。けがをさせて、病院へつれていく。そんなアホみたいなことがいっぱいありそうだ。

でも私は中味は読まない。つまらないからだ。でもパラパラとめくるにはよい本だ。お前には売らないといわれそうだ。でも時にはつまらないという本も読んでみる。どの程度つまらないかチェックするためだ。

日本の論点ってその程度なのか・・・・。疑問がわきあがってくる・・・・。

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なぜ、雑誌なのか

ひとの脳から映像を撮る。目から脳が信号を得て映像を見ている。その逆を可能にしたらしい。

夢を映像でファイルしておくことができる。

脳もやはり、物体だ。そこに血流で栄養を与え続けることで活動している。

こころも同じだということだろう。こころは脳の内部の機能なのだ。

なぜ、雑誌。今、結構目につく。IT社会なのにプリントしたものが印刷したものがいっぱいある。依然として新聞はなくならない。どうしてだろうか・・・。

この脳みその構造と関係あるのではないか。脳も疲労する。そんなとき、自分の身体が疲れているとは思っても、こころがつかれているとはあまり思わなかった。なぜなら、違うものだと思っているからだ。

こころは物体ではないと私は考えてきた。でも脳という物体の一機能のようだ。それでしかない。脳が物理的に破壊されれば、そこで脳は機能しなくなる。明確だ。

でも、なぜ雑誌なのだ。ものだからか・・・。ITでもほんとは同じだろう。電気信号か物理的なものかでも双方だ。ものでしかない。でもどうして雑誌なのだ。

同じ目で情報をとるのも変わりない。どうして雑誌なのだ。

最近手帳がまたはやっている。どうして・・・。

またひとつ疑問が増えてしまったようだ。なかなか解けない疑問のようだ・・・。

大衆と個人の関係のようなものかもしれないな・・・。個人はわかっても大衆が理解しないと大きな動きにはならない。大衆の考えは、個人では把握できないことが多い。数に関係するのかな・・・。ものに対する尊敬の念なんていうのもありか・・・。

なぜ、雑誌なのだろうか。気がるさだろうか。電子情報とかいう表現と雑誌ではたしかに洗練度がちがうようだ。大人と赤ちゃんというそんな差だろうなと今は考えておこう。

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構成の役目を考えよう

文章を書くときに、悩むのはどんなことを書くのかということだろうか。

否であろう。何を書くかは、決まっている。というよりも何を主張したのかは決まっている。他人を称賛したり、非難したり、批判することもある。どう表現するかで、そのインパクトはちがう。目的は同じでも、そのやり方によって成果は変わるのだ。

そこにあるのは、パターンである。ヒトは何かに反応する。かっとなるのもその一つである。だから、ネゴするときとか、喧嘩するときは、相手を撹乱させるために、かっかさせるのだという。

そんなことを仕組みの中に入れるのは、自分のプライドが許さないというような感じもするが、やはり分析は大事だ。ほとんどの人の反応が統計上で明確であれば、だめな方にいくやつはそうはいない。

ただ、すべてが流動的である。台風やハリケーンの進路ならデータ不足で正しい予測ができないこともあるだろう。でも、ヒトの行動はデータですべてを表せないだろう。前提条件があってないようなものだから・・・。

そんな時、いくつかの目次構成を作って、シミュレーションを簡単にやればいいだろう。そこからちがう感覚がでてきて、それが大まかな対象者の心に近いものであり、さらに自分のもくろみと一致すれば、どんな結果でもあきらめはつくというものだろう。

構成の役目は大きい。どんなことでもそうだ。ものの強度を作り出すには、同じ材料でも使い方でまったく変わるのだ。そこには論理がある。

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読書について

最近、本を読んでいない。実は、来る次の社会を想像しているのだ。いつまで書籍というものがあるのか。

素粒子論ではないが、この世界の質量とはどこでからきているのか・・・、なんて思ったりしている。

歩き、かご、馬車、車、いろいろな変化がある。

衣食住の変化も大きい。どんな風に変わるのか。あまり変わってほしくはないし、大きな変わり目に立ち会えるのも楽しみではある。

しかし、自分はあまり変わることはできない。社会が変わる。ギャップができる。どうする気だ。なんとかできそうか。

流れに任せるのがいいのではないか。自然にいきるのがいい。それでは生きていけないとしたらどうする。

古いものを捨てる。過去を捨てる。これからに生きるために、日々を過ごす。でもそれは衣食住でしかない。ほとんど何も大切なものは変わらないのではないか。

人間の手足が8本になったら、それは私たち今の人間タイプはついていけない。そこで終わればいい。でも、レトロがニューになることもある。

それが読書とどうかかわりがあるのか、よくわからない。いや、すこしずつ世の中の変化に対応しようということなんだけれども・・・・・。

どうも回りくどかったようだ。

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ものかきへの夢

小説家になる。それは、突然おもったことだ。

病院のベッドで想った。もう動けないかもしれない。どうしようか・・・。何ができるのか。

死ぬ前に、自分のできることを、できるなりにやればいいのではないか。

でも、小説って難しい。つくり話だし、想像力があって、そこにさらに夢がなければ、大衆の心をつかむのは・・・。

でも、心はマイナス方向ばかり、そんな題材ではなんにもならない。もっともっときつい経験をしている人たちがいるのだから・・・。

では、どうする・・・。もう眼の前は真っ暗だ。なにもできない自分・・・。

そこにいるのはなんの希望も持てそうもないと世間から思われているこの身なのだ。それでしかない。そんな思いこみが絶望へといざなっていくようだ。

どうせ、だめなのだ。でも、うわべは繕うことがようやくできた。なぜなら、まだそんなそぶりをみせては家族がかわいそうだ。まだまだやれそうな姿勢を自分に無理やりにきせてみた。そして、ときどき・・・・。

そんな感じで走ってきた。いつ息切れしても後悔しないという気持ちを強くもつことにした。そして、誠実にいきると誓った。それしか、この何もない何もできないわが身で生き続けることはできないと決めた。

今日一日を生きていけるという喜びがわいた。一日一日をそうやって見守るというのだろうか。いやちがう・・・。そこにたどりつくということだろう。いつも遅れてしまう。今日やることができない。でも、今日も一日いきてきた。明日もありそうだ。

そんなとき、ものかきへの夢があらわれてきた。ひとはいろいろなことができるのだと、またおもった。そこに何か大事なものを感じたなら、きっと、その気持ちを表していくことだ。おなじような気持ちをきっと今までも、これからも多くの人たちがもつだろうと思われるその感じを言葉にしておくのがいいのではないか。

それは、大衆小説家ではないが、私設小説家なのだが、いちおうものかきの代表でもある。自営ものかき業というもので、対象は自分である。

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作者がいうことばのジョーク

タレントは多方面の才能をもって活躍している。

本を出版するタレントが大勢いる。でも売れるのは少ないだろう。そんなとき、よく聞くジョークがある。

あなたの今回の本は何が特徴ですか。

作者が答える。  実は・・・、まだ読んでいないんです・・・。

もちろん冗談だ。でもそんな感覚がすぐに伝わるならだれも読まない。文体がゴーストライターそのものだったりするなら、真実はわからないと思われていしまう。かわいそうなことだ。

もちろん、屁理屈を言えば、書いたけれども読者としては読んでいないと取れないこともないことはない・・・。そんな二重否定の文章では、わかるものわからなくなってしまう。もっと簡潔に明瞭に文章をかけといわれそうだ。

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デジタルとアナログ

テレビと映画。

自動車と自転車。

動力船と帆船。

現代人と原始人。

デジタルとアナログ。この対比で当てはまるのだろうか。この頃平成11年の7月からデジタル放送になるといういろんなメデイアからの情報が身にしみる。毎日みるテレビには「アナログ」の表示が右上にある。どうも時代遅れかな・・・、俺も・・・。そんな感じだ。

デジタル・デバイド。でも、そうでもないはずだ。かなりいいところまで理解して慣れ親しんでいるはずだ。そんな弊害が起こらないようにいろいろと努力もしているのだ。

でも、どっちも必要なのだ。本当はそうなのだ。今までも同じではないか。何も変わらないけれども、どうも取り残されたように感じるのは、まだそうはなっていないからだろう。時代はあまり早く走っても遅くてもいけない。だから、家族の多い家庭は多様で活力が生まれるのだろうか。雑多な情報がその時々、鮮度よくはいってくるのが、ほんとうはいいのだ。

デジタル派は、どんどんアナログ派のグループに入り込んでいかないと、先の見通しが立てられなくなるだろう。アナログ派は、たぶんそのままでいいのだ。それはずっと私たちの社会を支えていたものだし、これからもその基本は変わらないのだから。

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空想の世界とは

現実に戻ろう。だれかがそうつぶやいた。

そうか、おれたちは今空想のスペースにいたのだった。すぐに現実になった。

でも何か動きがぎこちない。それは当然だろう。考えてみてもすぐわかるだろう。スーパーマンやスパイダーマン、ウルトラマンや仮面ライダー、そしてハンコックなんかが、この現実に戻ったら、それはまるで何もできないことにいら立ちを感じるだろう。

だから、空想の世界がある。作り話ともいう。そこに人間の心理をうまく使って、空想の説明をしていく。納得するのは、この世の中に悪がいて正義があるという前提にたってのことでもある。そこから空想する。破壊しようとするものとか、殺戮を繰り返そうとたくらむものとかがいる。彼らも超人だ。だから普通の人を守るために超人が必要なのだ。

そういう世界が実は、軍隊ではないか。普通のひとではない。武器をもち、身を武装している。それは、もっと強いやつらが侵略してくるからだという。本当だろうか。侵略するためではないのか。攻撃は最大の防御という論理を実行するには、強力な不戦の軍事力が必要だ。だれにでもわかる。

力があれば、力を誇示したくなる。下手な理屈で論破する必要もない。実に簡単だ。力こそが最大の交渉手段なのだ。交渉しないこと、話しあわないことが最良の解決策なのだ・・・。

どこかおかしいのではなく、こういう発想そのものがおかしい。空想の世界で、もっと真実というものの大切さをシミュレーションしてもらおう。空想することで、それは疑似体験ができる。映画は視聴覚に訴えるし、小説も同様だ。

そういう世界がひとつの文化として、この世の中の書籍や雑誌になって、活躍している。

空想力は構想力であり、創造性を磨くものだと、私は考えている。

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本屋さん

インターネットの普及で世界は変わる。本屋さんはどうなる。新聞屋さんはどうなる。みんなマスコミ関連の産業だ。

大きく変わるのか。それとも変わらないのか。

どっちだろう。著者が増えている。研究者の論文が増えている。だからいろんな印刷物は逆に増えている。

現物を本屋さんにいって見て買うことは減ったようだ。それでも、まだまだ本の威力はすごい。リスク管理面でも保蔵のいい手段だ。自転車のようなものか。ひとの健康にいいものは残る。主役は人間だというのがこの世の中の主張のようだ。

インターネットが発達していろいろな情報をそこから得ても、どっちでもいいような情報は自分の身体で感じるような本がいいのだ。自転車とか歩くとかいうのと同じだ。

そういえば、最近、下駄というのはどういう状況なのか。草鞋なんていうものもある。機能はしっかりと踏襲されているのではないか。復活の道は、主役である人間の感覚にあるので、どうも幸先がよさそうな気配もある。

本屋さんも同じだ。

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海の中のこと:観測船「地球」の役割について

水の力は水力発電でも実証済みだ。それがこの地球にはいっぱいある。宇宙からみるとそれは水の球にしか見えない。もともとはマグマという溶融金属の塊が核になっているのだが、表面の薄い部分の冷めた地殻のくぼみに液体が溜まっている。そして、内部のマグマの温度が地殻を通して伝わり、温度差をつくり、流動している。

そんなこと・・・。ある時、地球上の3か所で海水の動きを定点観測すれば、地球の気象がすべて解明できるという話をきいた。その時、何をこのヒトはだれかの受け売りでいっているのか・・・。そして、そんなことが・・・となって、結果として、何かありえそうだなと想った。

ずっと忘れていたのだ。地球温暖化を考えると。やはり、大気圏の影響よりも、地球内部の変化の方が大きいのではないかと、考えるようになった。実は、海水温度とか、大気温度だけでなく、地球の内部の温度に影響を与えているのではないか。地殻が薄くなってきたら、海水温が上昇し、大気温度も上がる。

もっと海の中のことを、監視し研究していかなければ、事実を誤認するのではないかと危惧される。でも、どうやって止められるのかが、今はわからない。

こんなことを考えていると、観測船「ちきゅう」があることに思い立った。それを基にして、もっと複合的にマグマまで調べていくのがどうしても必要ではないだろうか。すぐに空想が飛躍するので、ここで・・・終わりにする。

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本はなくなるか

巷には数多くの書籍が毎日、溢れている。どうしてなくならないのだろうか。ICT技術の影響で消えてしまうのかと懸念されたのだが、まったく無関係のように見える。

映画とTV。自転車と車。馬車とトラック。トラックと列車。列車と飛行機や船舶。いろいろとその盛衰の対象になりそうなものがある。でも、残っているものが多い。

ということは、本も同じ関係か。そうではなく、別の私たちの深層心理が関係していそうだ。

なんだろう。たぶんバーチャルとリアルの差ではないか。どっちが面倒かという選択が結構簡単な条件がありそうだ。本はそこにあればいつ読める。でもバーチャルは違う。でもバーチャルがいいというものもあるが、それが逆転すると、とんでもない現実逃避のような結果をもたらすのですごく恐怖を感じる。実体があればいいかというとそれもちがう。ロボットにヒトが代替できるだろうか。そんなドラマがあるが、いやだ現実になるのは・・・。

結論をいうと、なくならない。なぜか、ものを集めるという習慣が人にはあるからだ。

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短文

短い文章。それを短文という。

なぜ短文か。言いたいだけ言わせてやればいいじゃないか。私なんかはそう思うのだが・・・。短いことで、何かを考えるという。表現が豊かになるという。ほんとうだろうか。

たしかに俳句、短歌、短文小説。いろいろだ。

短文をつないて会話をする。短文で作文をつづる。基本は、主語と述語だ。副詞があり、形容詞がある。どんどん、ふくらませていい文章を作りたい。でも途中で何を考えているのかわからなくなる。

だから、短文がいいのかも・・・。でも物足りない。帯に短し、襷に流し。それが現実のようだ。

要は自分が何にしたいかだろう。長い鉢巻か、大きなネクタイか、それとも・・・・。

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電子辞書のキーが動かない

電子辞書を買った。

キーが3つ動かない。何か機能が複合してそうなっているのかと思ったが、単純に故障のようだ。あんなに壊れにくそうなものが、やはり動かなくなる。品質管理に問題がある。もしそれが宇宙開発に使う部品にでたら、それはとんでもないことだ。

みんなそう想う。そして、そういう特殊なものには起こらない体制がチェック機能に含まれていると想像し、そのまま納得したりするだろう。そんなことが起こりうるし、どんなことでも起こりうる。もともと確率の小さいことはわが身には起こり得ない。そんな選択のあるものには、該当しないという確信が実はそうではない。

どんなことも起こりうる。いいこともわることも両方あるのだ。どうしてか。この世の中の一員だからだ。

どうして辞書でこんなことが飛ぶのか。それは、おかしくも何ともない。オシャカものはどこでもある。どんな優良企業でもある。でも否定し続けた1か月、自分の使い方の不慣れだと90%思っていた。そんなに信用していいのかという気持ちは、自分は事故に遭わないというようなものと同じだ。幸運だ。そう思おうとする気持ちはいつもある。

でもあるのだ。パソコンしかり、重宝すればするほど、動かなくなった時の損失は大きい。機械はいつか壊れる。それが当たり前だ。常々そう言っている自分の身になると、それはとんでもないことだ。どうして、バックアップを取らないのか・・・。面倒なのだ。

どんなシステムがここに当てはまるのか。リスマネの方法で官がて見よう。それも簡単なものに・・・・。

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ちかくの図書館いくつありますか「

図書館がいま、とても面白い。

昔は、ほとんど縁のないところだった。それが、いつのまにかなくてはならない存在になっている。

何が面白いのか。

それは、今、ネットワークができていて、どこかが開いているのだ。あっと閉館日とならないように出かけるまえに調べよう。近くに、どこでも、日本なら、4つか5つぐらいの図書館はある。

そこには、蔵書をようく知っているおばさんがいる。今はほとんどが若いお姉さんたちだし、お兄さんたちもいる。赤ちゃんをつれたお母さんも多い。子どものスペースもあるので、そこで小さな子供たちも本をいじっている。いや見て喜びの表情をにじませている。

ちかくの図書館は、あなたの住むところには、いくつありますか。

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読書

文字を理解するのはへたくそだった。子どものころから、あんな分厚いものを飽きないで読めるのだろうかとしょっちゅう考えていた。たぶん子供心の言い訳のようなものだと、今は思う。

なぜ本を読むのか。もし文字がなければ、すべて口頭で受け継ぐことになる。それでは、受け渡す側も受け取る側も大変だ。本には必要なことが格納できて保管できる。必要なことを知るには読書が一番効率的だと今は思う。でも子供のころの先入観があり、なかなか思うようにはならない。読むことをもしあきらめたら、考え方もそこで止まるのではないだろうか。新たなことを吸収するには貪欲さが必要だ。それは、何か目標があってのことだろう。つい何もできないで時間が経過してしまう。そんな日常だ。

一人で仕事をする。大勢で仕事をする。どちらも一長一短がある。みんなでやることの良さは気がまぎれることであり、波に乗ることで、ついそのスピードで満足してしまうことが短所であろうか。一人の場合は物差しがないので、なかなか面白いし、気分次第で現実とはかい離してしまうのが短所だろうか。

本を読む。そうは言ったが、紙上の活字を読むのか、ネット上の情報を仕入れるのかで結構スタイルは変わってくる。要はあまりこだわらないことではないだろうか。実をとるということだろう。そして、そんなスタイルは読書として定着する。大切なことはいかに新たな情報を加入させて発信していくかである。私があまり読書を好まなかったのは、それが原動力になることを知らなかったからでもある。

読書はごはんだ。この社会を維持し、改善していくためのエネルギー源なのだ。今一度読書について考えてみることが大事だと感じる。

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夢を持とう

私の夢は、いろいろある。その中で一番は自分で何かをやることだった。それはやりたいことがいっぱいあるからだ。夢ではなく現実にしたいことがいっぱいあるのだ。まず、見ることだろうか。いろいろな土地をみて回る。いろいろな人々をみることだろうか。そしてできれば話を聞くことだろうか。

驚くことがいっぱいあるだろう。そんな期待で胸が膨らむようだ。ということは知らないことが山積しているということだ。宝の山にいるようなものだ。どうやってそういうことを体験していったらいいのだろうか。

たぶん、ひとつにつかまると、そこで虜になってしまうのではないか。それでもいいのだが、あきてくるだろう。いつかは・・・。だから、そういう自分の性格も考えてこの世に生きる自分の生活プランをつくってみてはどうだろうか。

まずは精神的に独立することだ。他人に依存しない。自立することだ。そこで何かがはじけるような気がする。きっと探しもののひとつめがどっかその辺で待ち構えているはずだ。もう昔から顔見知りのような探しものに違いない。面白いそうだ。いろいろ見つかるだろう。

ほとんどだめだと思うが、夢ということでは、本を書きたい。どんな本か。それはわからない。でも何か自分のものだというものをこの手でもって、これが私の本だと言ってみたい気がする。それが、私の夢だ。

夢を持つことはいいことだ。わくわくするし、だめさも感じるが、それはいいのだ。それが夢なのだから・・・。そう私は考えている。

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アイデアは空から降ってくる

いつもアイデアは空から降ってくる。これは私がそう信じているから、そうなるのだ。そこで疑いをもってうつうつとしていたら、絶対に降りてはこない。

今ままで誰も考えたことのないアイデアがある。一度実施したものは興味がない。自分のアイデアになるものは自分で望んでいなければ絶対に手にはできない。それは最後の0.0001秒ぐらいに見つかる。だからいつもあきらめない。というより、そのギリギリの時にならないと最善のものはでてこない。10も20も30ものアイデアが既にあり、そういうなかからでてくるのは人見知りで、いつも遅くしかでてこない。

でも必ず、人前に姿を現す。それはそれがそのアイデアの役割だからだ。他のシチュエーションでは場違いなのだから、その必要とされるときにタイムリーに現れるしかないのだ。他では評価も見向きもされない。それがベストの場だと判断できるのはアイデアそのものなのだ。

だから、私はアイデアたちが自分の必要を感じたときに受け入れられるように、準備をしているだけなのだ。でも時には、自分で考えたいと思うのは贅沢というものだろうか。

そして同じように海の中では、海底近くから浮き上がってくるようだ。だから地上にはいろいろなアイデアが満ち溢れているのではないだろうか。この世の中のヒトのこころもきっといろいろなものを創造していくことができる。品質を保ち、そのプロセスを重視して、事実に基づいて判断することからアイデアは現実になるようだ。そして最後に私たちは人間性をそこに重要視して判断することが大事だと知っている。意思決定というのは、そういうものではないか。降ってきたものや浮き上がってきたものをほんとうに大事にしなければ決して見つかりはしないし、でてきても見逃してしまうこともあるし、ヒトのためにならないものにしてしまうこともある。

普段はぼけっとしていても、そんなときには神経を高めて受信しようではないか。そんなアイデアを集める仕組みを考えてみるのもいいかもしれない。否定するより、肯定して進んでいこうではないか。アイデアは空から降ってくる・・・。イエス。

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ニュートン

科学雑誌。写真主体の内容。広範なサイエンス内容。ニュートンという名前の雑誌がある。これはこれからの主体になるとみられている。内容から見て広い年齢層に見てもらえる内容である。

興味のあるものを見ていくだけでもいい。あまり普段目にしないものや、ちょっと苦手な分野のところに焦点を絞ってみるのも楽しいだろう。これからは、宇宙の科学が面白いのではないだろうか。宇宙旅行という小説が実際に出てくるという期待がある。普通の人がなんの準備もなく、宇宙へいける。どこまでを宇宙というのか、それは手始めは地球周回の宇宙であろう。

ニュートン力学の名前をとっているのだが、いい雑誌だと私は思う。みんなに買ってみてもらいたい。きっと力がわいてくること、間違いない。

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プロが書いた本

プロの本。そんなもののひとつには料理の本、スポーツの本、調理人の本、医師の本、いろいろな職業人の本などがある。

そこに共通しているものは、どうしてその人が本を書こうと思ったのかということである。そこにみんなの興味もある。いつ、どこで、だれが、何を、どんなふうに、なぜという疑問は網羅されていなくてはならないだろう。

面白いのは、実際に体験したこととか、その中にある彼がプロと呼ばれる所以となったものである。ノウハウとかコツとか言われるものがある。それらはたいていの場合、ありふれたものである。とくべつこうすればできるというものではないようだ。だから文章にするとあまり面白くはない。求める人にはわかるというようなものではないだろうか。

そういうものがあるのだと思う。ほんのちょっとしたことが、実はなかなか気付かない。その重要性を知るには、その段階で逡巡して自分で見つけることしか、本当にプロになる道はない。でも物まねはできる。模倣していくうちに本物になる人もいる。父親が大統領で息子も同じ道をいくのはそういうものではないだろうか。どちらを模倣といっているわけではない。

自分が望むものをまじかで見られるのは、プロにとってはすごいことだと思う。不可欠なことかもしれない。ただそこで差があるのは望むものは人それぞれに異なる点であろう。みんな同じではない。ないものを求めるのか、いいものをよりよくするために求めるのか。いろいろなケースがあるようだ。

プロの書いた本には、何かを期待させてくれるものがある。そこで好きこそものの上手なれということを思い出した。たぶんやっているうちにそういうものは際限なくなってつい、普通以上に突き詰めていってしまった結果がプロにつながっているのかもしれない。

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知的財産とは

使われない財産。不要な財産。いっぱいあるらしい。

どうしてだろうか。大きな企業や組織では大きな成果を狙うためにあまり経済効果のない研究は葬り去られるらしいからである。そういう情報をなぜ公開しないのだろうか。それともだれも興味を示さないのだろうか。それが今、知的財産として注目を浴びている。

こんなものがほしい。こんなことがしたい。あんなことができる。そういうものの仕組みが実はいろいろある。埋もれている。だれかが使ってやらなければ意味がない。まったく違う分野での成果が期待されるものが数多くあるのは確かであろう。

一つの研究成果は多くの知的財産を生み出す。それは財産としての中心的なものを保護するための周辺研究の成果だったりする。なくては困るがあってもそう大きな役割は果たしていないというような位置付けだろうか。

個人情報というのも一つの知的財産だと言えよう。顔写真もそうだろう。行動パターンもそうかもしれない。考え方もそうなるのだろうか。ちょっと違うだろう。確かに小説、絵画、芸術作品、いろいろな創作品は知財である。そういうものを活かす技術が今はICTの世の中であり、いろんなことに応用できるのではないか。

水中映画館。水中劇場。こんなのはどうだろうか。ハード施設はいいとして、ソフト面でのニーズがあるか疑問である。しかし、将来健康的に見て水中での生活が好ましいとか、陸上の土地不足から、海面や海中スペースの活用を考えなければならないだろう。その時生活空間としての利用があげられる。水中呼吸ができるようになればそれは簡単であろう。

そうしたら山登りと同様に深場の探検などがレジャーの本命になっているかもしれない。浮力を利用した競技もうまれるのではないか。水中オリンピックなどというのも夢ではなさそうだ・・・・・。少し眠ってしまったようだ。ゆめを見ていたらしい・・・・。

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