あなたのご趣味はどんなことですか。そう問われたらどう答えるだろうか。その時々で無理やり答えるのではないか。つまり、きまったものはないのだ。そもそも他人にその人の趣味がどうのこうのと聞かれる筋合いはないのだ。どうしてそんなことを尋ねるひとがいるのか私にはわからない。本当に他人に言えないような趣味をもっていてもそんなことは誰も答えはしないのだ。ではどうしてそんな質問をするのか。
わからない。単に気まずさを避けるためのしぐさかもしれない。まあいい。でも結婚する相手の趣味はぜひ知っておきたいものだ。そのほかの人のものは興味がない。だが、自分が聞かれたらどうする。私が思っているようなことを彼女も考えているなら、どうなのだろうか。答えようがない。うやむやにするしかない。そうするとどうも煮え切らない人だとか決断のない人だとか言われて嫌われてしまうのではないか。そんなことをつい考えてしまう。
趣味が何かは問題ではない。ほとんどの人は仕事が趣味なのだ。または仕事に趣味をもちこんでいるのだ。だからどんなお仕事ですかと聞くだけでいいのではないか。そして年を重ねるとなかなか趣味というのは踏ん切りがつかないものだ。できないという暗示にかかる。それは仕事を趣味と思っていないのだ。本当の趣味は仕事だということを忘れているのだ。そして答える。なんの趣味もありません。それが仕事を趣味にしている人の言い方だ。
趣味のないことが何か悪いことのように考える必要はない。仕事が趣味なのだから、そこでやっていることがつまりは趣味なのだ。車の販売をやっているセールスマンなら、車が趣味なのだし、売ることが趣味なのだ。人と対話することが趣味なのだ。
だからどうだというのではない。だからそうだというのだ。何を言っているかわからない。どんなことにも文句を言う人はそれが趣味なのだ。いろんなことに口をはさむのも趣味の一つだろう。趣味っていいものだろうか。必要なものだというのは、仕事を趣味というならわかる。そしてどうも楽しそうな気がする。仕事をすること、つまり趣味をすること。
海の上でぶつかる。衝突事故がある。大きな船と小さな船でどちらが勝つのか。大きくて丈夫な頑丈な船体の方が勝つ。つまり浮かんでいる。一方は沈むことになる。命を落とすことになる。どうして繰り返し海難が起こるのか。海難事故の遺児についてこの間思ったばかりである。どうしてそうなるのか。仕事を趣味にしているのなら、それは趣味がプロなのだから、どうして事故を防止するか。人はサボルし、居眠りもするし、不注意にもなるのだ。それらが事故につながらないようにするヒューマンエラー防止の措置はいくらでもあるのだ。やはり、道路に信号機があり、法律にしたがって、信号を見てあるいているのがいけないのではないか。人は弱さを見つけると攻撃してくるものなのだが、日本人は平和に慣れてしまって、法律に従って行動しているだけのような気がする。それをだれもとがめないのは義務を果たしているからか・・・。そんなひ弱な社会か・・・。
道路を歩くとき、交通法規に違反しないようにする。酒気帯び運転は法律にしたがってしない。でもどこか違うのではないか。義務を守るのは当たり前、責務を果たすことを忘れている。人社会での責務は人間としてやるべきことをやることである。法律に従うことだけではない。小型漁船や幼児は原子爆弾を積んだ物体とみるならだれもむやみには近づけないだろう。少なくとも必要以上の注意を払う。でも法規にしたって緑色をみたら進めばいいというのではだめだろう。相手が意図的に灯火の色彩を替えていたらどうなるのか。おかしいことになる。そんなありえないことを見抜くのが人ではないか。ヒューマンエラーはあるのだ。それを防ぐのは他の動物たちではなく人間自身ではないか。
趣味が高じて仕事となるのではなくすきだからこそ、仕事を趣味にしているのだ。そういう人が私はほとんどだと思う。生活を維持するにはそれなりの覚悟がいる。趣味でなければ続かないと私は思う。そして好奇心が興味をひき、趣のある味をだす人生になるのだ。趣味が何か。私は好奇心を元にした仕事と趣にしている。だから、趣味がなにかは興味がない。
なんでこういう詮索をしたのだろうか。
他の人の趣味に対する答えが違うというのを確認したかったからではないのか。自問自答してみる。当分趣味には触れないことにする。